- 2017年01月11日 08:30
【読書感想】統計学が日本を救う - 少子高齢化、貧困、経済成長
2/2 実際に「統計」にしてみると、イメージほどコスト削減につながっていないことって、たくさんあるのだな、と思い知らされます。
現在、政府は「在宅介護」や「在宅で終末期を過ごすこと」を推進していますが、それは、本当に社会にとってプラスになっているのか?
また、病院や介護施設以外の在宅などで死亡した高齢者については、外来診療費用と訪問看護費用がそれぞれ35%を占めており、その総額として127万円となっている。2006年の診療報酬改定においても在宅での看取りを推進するように診療報酬点数が引き上げられたが、では在宅で終末期を迎えることを、もっと推奨するべきなのだろうか。
そうした考え方に疑問を投げかける研究結果がある。
少し古いデータになるが、東京大学の中山夕子による1995年の研究では、自宅で主に終末期を過ごして看取られた高齢者について調べたところ、がん患者を除く10症例の死亡前1年間でかかる費用は542万円と、入院死亡者や施設死亡者に比べても割高、という結果になっていた。
先ほどの127万円という推計結果とこれほど乖離する大きな理由は、前者の研究が公的なコストのみを扱っているのに対し、後者は死亡者、あるいはその家族による自己負担についても考慮しているためだ。542万円中100万円が、医療費および介護費用に関する家族の自己負担額であり、それに加えて253万円が「介護にかかった機会費用」となる。
機会費用とは、たとえば家族1人1時間を介護によって使ったとき「もしその介護者が労働していれば得られたはずの金額」という考え方である。この推計では控えめに「無資格のパートタイマーの自給で換算」しているが、それでも外で働いていれば253万円をもらえるだけの負担が家族にかかっていることが分かる。仮に介護をする家族が教師や看護師といった有資格者であったり、企業で高い職位についていたりすれば、この機会費用はもっと大きな額となる。
またさらに言えば、親の介護というライフイベントは、中高年のメンタルヘルスに対して配偶者との離死別や失業、貧困状態以上の悪影響を与えるという結果も示唆されている。これは前述の小塩が、厚生労働省による中高年者縦断調査を用いて分析した結果である。ここから、施設での介護になる場合と、自宅で介護する場合で、どれほど精神的な負担が大きいか、という点についても考慮する必要が考えられるだろう。
もし前者の研究で得られた在宅死亡者にかかる公的コスト127万円に、後者の研究から推計された253万円の機会費用を加えるとすると、合計380万円ということになる。つまり、介護施設と比べてもほぼ同様か、割高という結果になるのである。
中山さんのデータについては、1995年と、もう20年前のものであることと、10例というのは統計として扱うには少な過ぎるのではないか、という問題点があるのですが、「コストの総量は、どちらもそう変わらない」あるいは「介護という行為に慣れている分だけ、施設のほうが効率的」な可能性はありそうです。
もう、「親は子どもが介護するのがあたりまえ」という常識も、一度リセットしてしまったほうが良さそうな気がするのです。
著者は、日本にとっての大きな問題となっている「少子化」についても検討しています。
「女性の社会進出が進んだことが少子化の原因である」という主張に対しては「日本よりはるかに女性の就労率が高い多くの国が、日本より高い出生率を示している」というデータを提示しているのです。
種々の解析の結果、以下の結論になるそうです。
つまり、政府が本気で少子化対策に取り組もう、というのであれば、やるべきことは既に明らかだ。有識者たちを集めて堂々巡りの「論」を戦わせるより、とにかくこの「子育て世帯向けの大幅な減税・給付」そして「保育サービスの拡充」を図った方がはるかに筋が良いのである。
「子どもを生んでください」と「説得」することには何も効果はなくて、必要なのは「環境を整備すること」なんですね。
最近の日本の政策をみると、遅まきながら、こういうデータがようやく活かされつつあるようにも感じます。
読んでいると、これだけのことがすでに分かっているのに、なぜ実現できないのだろうなあ、なんて考えてしまうところもあるのですが、医療の話についても「社会全体の利益と個人的な都合が対立する」というのは少なくないわけで、そこで「自分のことを後回しにする」のはなかなか難しいとも感じるんですよね。
でも、こういう「事実」を知っておくのは、「落としどころ」をさぐるためにも、すごく大事なことではないかとは思うのです。



