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なぜ被害者と加害者が逆転するのか?- 書評「ミズーラ 名門大学を揺るがしたレイプ事件と司法制度」(映画評論家・柳下毅一郎)

世界中で繰り広げられるレイプ事件の構造

レイプとは、加害者が同情され、被害者が非難される犯罪である。

 今年の8月、群馬県前橋市で、映画撮影中だった俳優の高畑裕太が、滞在していたホテルの従業員をレイプしたとして逮捕された。事件は示談で解決したが、その後、高畑の弁護士は、「違法性の顕著な悪質な事件ではなかった」とする声明を発表した。暴力によるレイプなどではなく、高畑は合意の上でのセックスだと思っていたが、それをあとからくつがえされたのだと強く示唆したのだ。

加害者が合意だと思っていればーー無理やりのセックスだと思っていなかったなら、それはレイプにはならないかもしれない、というのだ。示談交渉には元暴力団関係者がかかわっていたとされ、あたかも高畑は合意のセックスで金を脅し取られた犠牲者であるかのような報道がされる。被害者と加害者はきれいに逆転しているのだ。

 それはこの事件に限ったことなのだろうか?いや、ふりかえってみればこれと同じ構造は世界中でくりひろげられている。そのことを鋭く告発するのがジョン・クラカワーの『ミズーラ 名門大学を揺るがしたレイプ事件と司法制度』である。

レイプ被害を告発した女性に立ちはだかる苦難

 モンタナ州の小さな大学街の名前が全米に知れ渡ったのは2011年のことだった。度重なるレイプの報道で、その街は「アメリカの『レイプの首都』」とまで呼ばれるまでになった。人口7万人の市で、過去三年間に80件のレイプが発生しているという。住民の嘆くまいことか。だが、本当に恐ろしいのは、実はミズーラは特別でもなんでもないということのほうだろう。ミズーラのレイプ発生数はアメリカの平均程度であり、アメリカのどこでもこれと同じようなことが起こっている。

『ミズーラ』に最初に登場するのは2010年9月、大学生アリソンが幼馴染のボーから受けたレイプ事件である。二人は兄妹のように育ち、アリソンはボーのことを信頼していた。だが、友人たちを集めてのパーティーのあと、居間のカウチで寝ていたときにアリソンは無理やり犯される。アリソンは悩んだが、一年以上たって、ついに告発を決意する。だがそれは彼女の回復ではなく、屈辱のはじまりだった。

 ボーはモンタナ大学が誇るアメリカン・フットボールのチーム、栄光の“グリズリーズ”のメンバーだった。アリソンの告発は、街の誇りである“グリズリーズ”への異議申し立てのように受け止められてしまう。前途有望な若者であるボーの人生を台無しにするつもりか、とアリソンは友人たちから謗られるのだ。

 警察も、検察も彼女の味方ではない。検察は負けるかもしれないからと起訴をしぶり、ようやく起訴にこぎつけてもアリソンが望むよりもはるかに軽い刑罰で司法取引をまとめようとする。裁判になればアリソンは相手の弁護士から汚い攻撃を受けるし、スポーツ・ファンが多い陪審員は大学の人気者を有罪にしたがらないだろう。だから裁判ではなく司法取引のほうがいい、と検察官は言う。重い刑を求めるために、アリソンは必死で検察と戦わなければならない。その先には弁護側との、そして裁判官との戦いがある。

レイプが”なかったこと”にされるほうがはるかに多い

 たしかにアリソンが告発すれば、順風満帆だったボーの人生は破滅するだろう。だがアリソンの人生はどうなのか。誰一人、レイプによって台無しにされたアリソンの人生を気にかけはしない。アリソンの人生とボーの人生とは価値が違う。アリソンは徹底的にそのことを思い知らされる。それが社会に組み込まれたものとなっている女性蔑視の文化である。波風をたてるな、忘れてしまえ、穏便にしろ。アリソンが攻撃されるのは、黙って順応することを拒んだからである。

女性蔑視の文化は根深い。警察も検察も裁判所も、善意で、良かれと思って行動する人の中にも、それはしっかりと巣喰っている。何よりもアリソン自身が、当初はボーの未来のことを考え、告発を思いとどまっている(彼女が告発することにしたのは、アルコールと暴力についてのカウンセリングを受けるという約束をボーが果たさず、あからさまに敵対的な態度をとったからである)。犠牲者自身ですらがそうなのだ。

 本書ではミズーラの街で起こったいくつかのレイプ事件が平行して語られていく。事件はどれもテンプレートのように似た経緯をたどる。くりかえし言われるように、レイプは見知らぬ相手ではなく、知り合い同士のあいだで起こる。男性はたいてい拒絶の言葉を聞かない(あるいは聞かなかったふりをする)。無理矢理にでもやってしまえば、後から文句を言われることなどないと信じている。

 レイプの訴えがあったとき、警察はまず女性に対してボーイフレンドの有無を聞く。セックスしたあとで、ボーイフレンドの手前、態度を変えてレイプされたと言い張ることがあるからだという。だが、そうした「女性からの虚偽の訴え」神話にもかかわらず、実際にはなかったレイプが訴えられるよりも、あったレイプがなかったことにされるほうがはるかに多い。調査によれば、アメリカではレイプ犯罪の八割は警察に届け出されない。そして届けられた犯罪のうち、検察が訴追するのはわずか一割。そして裁判で有罪になるのはさらにその半分ほどだ。アリソンの挑戦がいかに狭い門かわかるだろうか。レイプの99.99%は罰せられないのだ。

日本にも根付く”女性蔑視”の文化

 本書の中でもっとも印象的なのはミズーラ郡の検察官をつとめるキルステン・パブストである。彼女は検察官でありながら、容疑者の側に立つような言動を見せ、どうせ勝ち目はないからと事件を不起訴にしてしまう。そしてしばらくすると検事局を辞職して弁護士に転じ、レイプで訴えられたスポーツマンの弁護で活躍するのだ。

それは法律家が正義ではなく勝利をめざす、融通無碍なマキャベリストであることを示すいかにもアメリカ的な逸話だ。だが、彼女がやっていることはきわめて合理的なのである。米国では郡検事は選挙で選ばれる。その座につくためには、世間で人気があるスポーツの応援者であることをアピールしなければならない。スポーツマンの暴力行為を咎め立てしていては、とうてい多数派の支持は得られないだろう。パブストは必ずしもそうした損得を考えたわけではないかもしれない。だが完全に女性嫌悪を内面化した彼女にとっては、それはしごく当たり前のことなのだ。

 アメリカは自他共に認めるスポーツ社会だから、スポーツ・エリートへの崇拝もまた特別だ。だが、こうした構造は決してアメリカにとどまるものではない。スポーツマンであるがゆえに、エリート大学生であるがゆえに、女性を蔑視し、レイプするのは当たり前のことだと考えてしまう男たちは日本にも当たり前のように存在し、彼らを許容してしまう文化も存在する。

慶応大学の集団レイプ、東大生の集団レイプのニュースは、我々がいかにレイプ文化を許してしまっているかを改めて思い知らせてくれる。集団レイプ事件のせいでミス慶応コンテストが中止になったとき、候補者たちは怒りと不満のコメントを出した。そこには被害者への同情などひとかけらも感じられない。女性蔑視の文化は日本にも深くしっかりと根付いているのだ。

プロフィール

柳下毅一郎(ヤナシタ キイチロウ):映画評論家/特殊翻訳家。東京大学工学部建築学科卒。
JICC出版局(現宝島社)の編集者を経て、映画評論家、特殊翻訳家、殺人研究家として活動。
Twitter:@kiichiro
1/22(日)大阪Loft PlusOne Westにて「柳下毅一郎のダメ映画新年会!」開催!

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