- 2016年12月29日 11:48
学校になじめない“異才”が、大きく育つ居場所をつくる~「ROCKET」が実践する、厳しくも自由な新しい教育とは~
少年画家が“黒板に描けなかった夢”
2015年夏、ゲスト出演した朝の情報番組で、さまざまな子どもたちの夏休みをカメラが追う企画を目にした。私が見たのは、「いじめられっ子」だった小学生、濱口瑛士くん。学校では周りから悪口を言われるなどして、とても傷ついている様子だった。学校になじめない彼は、絵を描くことが大好きで、家にいるときは1日中絵を描いている。何時間とペンを握っていても全く飽きない様子で、大きな画用紙があっという間に、緻密な物語で埋まっていった。
彼の絵は、ひとつひとつに物語がある。周囲となじめない心の痛みや、叶えたい夢が反映されているかのようで、見る者の心を惹きつけてやまない。そんな濱口瑛士くんが小6の夏休みに出会ったのが、日本財団と東京大学先端科学技術研究センターによる「異才発掘プロジェクト ROCKET」だった。彼はプロジェクトのスカラーに選ばれ、同じように、学校になじめない仲間たちと出会う。関心領域は違えど、通じ合うものがあったのかもしれない。濱口くんがプロジェクトへの参加を通して成長し、笑顔を見せていく様子は、カメラ越しに見てもハッキリとわかった。
“突出した子どもたち”のための家でも学校でもない学びの場
ROCKETは、突出した関心領域や能力をもつものの、学校になじめない、なんとなく現状に物足りなさを感じているなどの子どもたちに、「家でも学校でもない学びの場」を提供するプロジェクトだ。14年度からスタートし、500名以上の応募の中から1期生(スカラーと呼ばれる)15名、2期生13名を選抜。年々、注目度が高まり、今年度は3期生として31名のスカラーが選ばれた。
説明会も多くの都市で開催し、沖縄から北海道まで、全国津々浦々の子どもたちが集まっている。学校へ行っている子もいればそうでない子もおり、関心領域は「オールマイティ」から「マインクラフト(マイクロソフト社のゲーム)」「鉱物」「心理・造形」「歴史」など幅広い。広く浅く受験知識を教える「学校」で学ぼうと思っても、ちょっと難しい分野が目立つ。これは面白そうだ。
12月19日、東京大学安田講堂にて、第3期生のオープニングセレモニーが行われた。スカラーの生徒が作ったCG映像で幕を開けたセレモニーは、多くの小中学生とその保護者でにぎわう。東大先端科学技術研究センターの中邑賢龍氏をはじめ、マイクロソフト社の役員や文科省からの来賓も講演し、メディアの取材も多数。何より、1期生と2期生の子どもたちが参加し、大勢の観客の前でのびのびと発言していたのが印象的だった。東大教授の前でも臆せず発言し、大人がハッとするようなことを言う。
自分の頭で考え、実践することを学ぶ

(撮影:北条かや)
ROCKET は、「Room Of Children with Kokorozashi and Extraordinary Talents」の頭文字を取ったもの。学校になじめない子どもたちから、学びの場を奪わず、好きなことを仕事にしていくためのユニークさを身に着けてもらう。「好きなことだけしていればいいなんて、努力や忍耐を覚えない子どもが育つのでは」という意見もあるかもしれない。「ひとつの能力に突出した天才を育てる選抜プロジェクトなのか?」と思われる人もいるだろう。しかし、取材してみて、それらは誤解であることが分かった。
先端研の中邑氏がリードする教育方針は、自由と責任が一体になった厳しいものだ。集まる子どもたちの中には、周りから「変わっている」と言われてきたケースも目立つ。マインクラフトなどのゲームやプログラミング、ロボット工作など、好きなことに没頭し、教科書や本のたぐいは一切読まない子もいる。
そんな子どもたちとの最初の教室で、中邑教授が与える課題はなんと「生きたエビを解剖して食すこと」。硬い甲羅に覆われたエビやカニを前に、生徒たちはまず、iPadで解剖の方法を調べ始める。それが彼らにとっての「学び」の手続きなのだ。ふだんは自由に、好きなことを追求しているつもりが、学びのプロセスはまったく自由ではなくなっている。中邑氏はそんな生徒たちに、「君たちは学校や先生を批判するけど、結局は、教科書(指南書のようなもの)がないと何もできないのではないか」と挑発する。
「何でもネットで調べられる現代の子どもたちは、便利さを手にする一方、学びの機会を奪われているともいえるんです」(中邑賢龍氏)。
奮起した生徒たちはiPadを捨て、まな板の上の「生物」と、文字通り格闘し始める。こうして、自分の頭で考え、身体で実践するということを学んでいく。
「子ども扱いしない」方針の中で身につく力

ROCKETでは、スカラーを子ども扱いしない。ある生徒(T君)は、ロンドン・デザイン・ビエンナーレに出展する、アーティストの鈴木康広氏について作品作りを学ぶことになった。ガサガサしたアクリルの像を何十時間もかけて研磨し、透明なガラスのように仕上げる。ピカピカになるまで磨き上げる工程に、T君は「ゴール」を見つけようとした。
T君が、「これでいいですか?」と鈴木氏に確認すると、「100%中、90%だね」。鈴木氏はすかさず、「でも、300%とすると、60%になるのかな?」と問いかけたそうだ。T君はのちに、アーティストの鈴木康広氏が言ったことの真意に気づく。他人の基準でゴールを目指していると、いつまでたっても「自分」が出てこない。
自分の幼少期に、こんな学びの機会があっただろうかと振り返ると、少しうらやましい。学校で教わることが全てで、学校に適応できなければ自分はダメな人間だと思わされてきた気がする。イリイチなど多くの社会学者が指摘してきたことだが、この社会は、学校教育に順応し、そのシステムにきちんと乗っかれる人たちが「上」へ行けるようになっている。学校化された社会システムは完璧だが、完璧であるがゆえになじめず、「うまく適応できない、苦しい」と感じる人が出てくるのは当たり前かもしれない。
そんな子どもたちはこれまで、「不登校」になったり、「問題のある子」とされて苦しんだりしてきた。学びの場を制限されてきた。変化のない、単一的な成長を求める社会では、それでよかったのだろう。1を10にする能力は、学校の中で十分身につけられる。
「奪わない、そして与える」包摂社会
ところが現代は、1を10にするのではなく、0から1を生み出す能力が必要とされる時代だ。学校に適応できなくても、主体的になにかを発信し考え抜く力を養えば、ぐんと伸びる子はいる。学校以外の場所で育つ力もある。子どもたちの未来に期待するならば、その全方位的な学びの機会を、大人たちが奪わない社会であるべきだろう。東京都知事が「インクルーシブ」なるキーワードを多用する時代になった。社会が包摂的であるためには、まず「チャンスを奪わないこと」そして、「平等にチャンスを与えること」の二段構えが必要であると筆者は思う。
ROCKETとの最初の出会いは、学校以外での「学びの場」を得て大きく成長した少年画家、濱口瑛士くんとの出会いだったが、今回の取材を通して、筆者はたくさんの子どもたちが笑顔でプロジェクトを振り返るのを目の当たりにした。彼らは与えられたチャンスを全身で受け止め、活かそうとしている。ルールは教科書からではなく、自分の体験から身につける。こうした、厳しくも自由な学びの場がもっと広がれば、この息苦しい社会は少しでも「インクルーシブ」に近づくだろう。次世代を教え、育てる営みこそ、社会の礎なのだから。