先般、給費制の復活が法務省からも正式発表がありました。法曹養成制度「改革」の失敗が顕著になる中で、給費制の復活はその改善のための一歩となりました。
「司法修習生に対する「給費」が復活 どうにもならないほど司法が崩壊していることの象徴となったことが悲しい」
読売新聞の論点スペシャルで3名の識者が登場しています。
中村隆・日弁連副会長
阪田雅裕・元内閣法制局長官・弁護士
福井秀夫・政策研究大学院大教授
阪田雅裕氏の主張について検討してみます(次回、福井秀夫氏を検討します)
まず阪田氏は「法曹志望志望者の現象や、質の低下という深刻な課題を解決する上では、(給費の復活は)本質から外れている」とします。
しかし、阪田氏は、「最も大きな問題は、法科大学院に入っても司法試験合格率が低く、受験までにかかるコストと期間に見合わないこと」としています。
さらに「お金がないと卒業できない法科大学院を廃止し、以前のように直接、司法試験に挑戦できるようにすれば、学生にとってはより魅力的だし、人材の確保にもつながる」と述べ、もう1つの考え方として法科大学院制度を維持するならばという提起もされていますが、いずれにせよ、現状の法科大学院制度にこそ問題があるという主張については、私も全く異存はありません。
ただ、現実問題として、今、法科大学院制度は失敗したまま、2018(平成30)年まで問題が先送りされています。これ自体、けしからんということにはなるのですが、文科省と法科大学院協会などの利権がこれらの改善を阻んでいるのが実態だということは、元官僚であるならば理解してもらいところです。
しかし、この点が改善されたからといって司法修習生に対する給費が不要になるものではありません。
阪田氏は、「弁護士は自由と正義という法益を守る存在であり、法曹を担う人材を社会の財産として養成していくこと自体に異論はない」と弁護士の意義を正面から認められています。
この点は、さすが元内閣法制局長官です。安倍氏に送り込まれた小松一郎氏などとは全く違います(小松氏からこの法曹養成制度に関する発言自体は聞いたことはありませんが)。
「違憲と主張するのは憲法学者だけではない 歴代内閣法制局長官も違憲と表明」
ただ少々、誤解があるようで、阪田氏自身が述べるように「私自身は内閣法制局の経験があったため、司法修習を受けていない。従って、確信はないが」と言いながら、「法律家としての実務上必要な知識は、そもそもOJTで身に付けらレるのではないか」と述べている点です。
現実的なところをいえば、即独やノキ弁が増えている中で実務の中で学ぶと言ってもみても現実性がありません。
しかし、それ以上に司法修習の存在意義そのものを再度、確認する必要があります。
司法修習は実務能力を身に付ける期間でもありますが、法曹三者の中で同一資格を付与するという点に大きな意義があります。法曹三者は対等であること、さらにはそれぞれの相互理解と信頼を制度的に保障しようというもので、戦前では弁護士は民間だからというだけで区別するようなやり方を戦後の民主化という改革の中で給費も含めた対等な関係として誕生したものです。
法科大学院制度で、裁判官、検察官、弁護士がそれぞれの座学の講義を受けてみたところで実現できるものではなく、それ以上に司法修習は戦後の民主化の中で勝ち取られた権力抑制のための制度であり、今日でもなおその存在意義は失われていません。給費は国民によって養成されているという意義づけがあり、単なるビジネス資格ではないということです。
司法修習の廃止は、在野法曹としての概念すらも否定してしまうものとなります。
右翼勢力が執拗に弁護士会を攻撃するのも在野法曹としての弁護士会が憎くてたまらないからです。
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- 2016年12月23日 19:33