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- 2016年12月18日 10:00
日本人は世界に挑めるのか?
先日バンクーバーである日本の高校の修学旅行生、約100人向けに講演をさせていただきました。一方的な講演よりもアクティブ ラーニングスタイルを目指していたのですが、残念ながらアクティブにならないのが玉にキズです。以前も同様に高校生向けにやらせていただいたことがあるのですが、その時もいくら質問を振っても返事がないのです。アクティブ ラーニングは答えがない授業のようなものですからそこにいる人が皆、参加することに意味があります。今回はかなり易しくかみ砕いたつもりですが、「おとなしさの壁」は破れませんでした。
講演が終わった後、何人かの生徒さんが私に個別に質問をしてきたのですが、一人の男子生徒が自分は今住んでいる田舎町から出たこともないし、出るつもりもなかったけれどそれでよいのだろうか?という悩みのような質問をしてきました。私はふとアメリカの田舎娘がブロードウェイのステージを目指して頑張るシーンを思い出し、一歩踏み出す勇気の話をさせていただきました。
産経新聞に感動する記事がありました。「世界の旅行者が認める栄誉 長野・白馬村の小さな温泉旅館が支配人部門最高賞に」であります。わずか18室を家族4人で廻す典型的家族経営型旅館ながら、世界最高の栄誉に輝いたその理由の一つは支配人の「発信力」のように思えます。ホームページやSNSなどを5か国語で発信していますが、想像するにフォローがしっかりしているからではないかと思います。記事には客の8割は外国人とありますが、外国人客ほど口コミが有効なところはありません。
白馬の小さな旅館の支配人の経歴に私はなるほど、とうなずきました。遊園地のテーマパークのアトラクション係5年でホスピタリティ習得、オーストラリアのワーキングホリディで世界目線のリゾートを体得、帰国後外資系のスポーツジムでトレーナーをしながら英語習得という経験が目覚めさせたようです。私が時々いう「履歴書美人」とは相反する経歴ですが、そこには試練と積み上げがあり、目的をもって時間を過ごされたと感じさせます。
我々が80年代に「地球の歩き方」をもって世界を旅行した時、そこに書かれているレストランや宿泊施設のわずかな情報は実に有益でした。まさに旅のバイブルであったわけですが、この「しろうま荘」にくる外国人はありそうで余りない本当の情報がそこにあり、コミュニケーションを通じて満足できたことがその栄冠の背景ではないでしょうか?
英語や中国語、韓国語のウェブサイトを備えている会社や案内はいくらでもあります。電車に乗れば3か国語のアナウンスが聞こえてくることもしばしばです。しかし、あれはテープです。では廻ってくる車掌に英語で質問したら答えが帰ってくるかといえば、笑って手を横に振ってごまかされるのが関の山。つまり、日本はやっぱり英語が通じない国なのであります。日本は英語による発信力が弱いこと以上に発信に対してのフォローができないともいえそうです。
黒木登志夫東大名誉教授の著書「知的文章とプレゼンテーション」では学術発表は英語がスタンダードと指摘しています。日本語は素晴らしいが、世界で通じるかどうかと考えれば英語を駆使せざるを得ないにもかかわらず、日本人の英語能力はあまりにも低すぎると警笛を鳴らしています。残念なことにこの通りであり、多くの日本の若者は「俺は海外になんか出ないし」と自分で自分の将来に制約をつけてしまっています。
高校生向けに講演をしていた際にふと思ったことは「英語でやり取りをしようというのではなく、日本語で聞いているのにそれでも何ら会場から声が聞こえてこないのは英語の問題ではなく、日本人のメンタリティの問題かもしれない」という点でしょうか?たぶん、日常接している先生ならばいろいろ声を上げるのでしょう。しかし、私のように初めての人が相手となると固まってしまい、貝のように口を閉ざしてしまうのです。
これはコミュニケーション能力そのものの欠如だろうと思います。人前で自分の考えを述べる、主張する、説得するといった訓練がほとんどなされていない気がします。塾は「個別指導」でどんなおとなしい子にも易しく対応し、心を開かせるというスキルが大流行しています。ほとんどの塾の看板には「個別指導」の文字が並びます。グループ指導がワークしない弱点そのものではないでしょうか?
日本人が世界に挑めるのか。確かにノーベル賞はたくさん頂いています。それ以外の部分ではどうでしょうか?外国に新天地を求めるチャレンジャーは少なくなりました。日本の就職状況が良好だからでしょう。その心地よいぬくもりに反逆精神を持つブラッドを育てないと20年後に日本が引き続き輝いているか、大いに心配するところであります。
では今日はこのぐらいで。
講演が終わった後、何人かの生徒さんが私に個別に質問をしてきたのですが、一人の男子生徒が自分は今住んでいる田舎町から出たこともないし、出るつもりもなかったけれどそれでよいのだろうか?という悩みのような質問をしてきました。私はふとアメリカの田舎娘がブロードウェイのステージを目指して頑張るシーンを思い出し、一歩踏み出す勇気の話をさせていただきました。
産経新聞に感動する記事がありました。「世界の旅行者が認める栄誉 長野・白馬村の小さな温泉旅館が支配人部門最高賞に」であります。わずか18室を家族4人で廻す典型的家族経営型旅館ながら、世界最高の栄誉に輝いたその理由の一つは支配人の「発信力」のように思えます。ホームページやSNSなどを5か国語で発信していますが、想像するにフォローがしっかりしているからではないかと思います。記事には客の8割は外国人とありますが、外国人客ほど口コミが有効なところはありません。
白馬の小さな旅館の支配人の経歴に私はなるほど、とうなずきました。遊園地のテーマパークのアトラクション係5年でホスピタリティ習得、オーストラリアのワーキングホリディで世界目線のリゾートを体得、帰国後外資系のスポーツジムでトレーナーをしながら英語習得という経験が目覚めさせたようです。私が時々いう「履歴書美人」とは相反する経歴ですが、そこには試練と積み上げがあり、目的をもって時間を過ごされたと感じさせます。
我々が80年代に「地球の歩き方」をもって世界を旅行した時、そこに書かれているレストランや宿泊施設のわずかな情報は実に有益でした。まさに旅のバイブルであったわけですが、この「しろうま荘」にくる外国人はありそうで余りない本当の情報がそこにあり、コミュニケーションを通じて満足できたことがその栄冠の背景ではないでしょうか?
英語や中国語、韓国語のウェブサイトを備えている会社や案内はいくらでもあります。電車に乗れば3か国語のアナウンスが聞こえてくることもしばしばです。しかし、あれはテープです。では廻ってくる車掌に英語で質問したら答えが帰ってくるかといえば、笑って手を横に振ってごまかされるのが関の山。つまり、日本はやっぱり英語が通じない国なのであります。日本は英語による発信力が弱いこと以上に発信に対してのフォローができないともいえそうです。
黒木登志夫東大名誉教授の著書「知的文章とプレゼンテーション」では学術発表は英語がスタンダードと指摘しています。日本語は素晴らしいが、世界で通じるかどうかと考えれば英語を駆使せざるを得ないにもかかわらず、日本人の英語能力はあまりにも低すぎると警笛を鳴らしています。残念なことにこの通りであり、多くの日本の若者は「俺は海外になんか出ないし」と自分で自分の将来に制約をつけてしまっています。
高校生向けに講演をしていた際にふと思ったことは「英語でやり取りをしようというのではなく、日本語で聞いているのにそれでも何ら会場から声が聞こえてこないのは英語の問題ではなく、日本人のメンタリティの問題かもしれない」という点でしょうか?たぶん、日常接している先生ならばいろいろ声を上げるのでしょう。しかし、私のように初めての人が相手となると固まってしまい、貝のように口を閉ざしてしまうのです。
これはコミュニケーション能力そのものの欠如だろうと思います。人前で自分の考えを述べる、主張する、説得するといった訓練がほとんどなされていない気がします。塾は「個別指導」でどんなおとなしい子にも易しく対応し、心を開かせるというスキルが大流行しています。ほとんどの塾の看板には「個別指導」の文字が並びます。グループ指導がワークしない弱点そのものではないでしょうか?
日本人が世界に挑めるのか。確かにノーベル賞はたくさん頂いています。それ以外の部分ではどうでしょうか?外国に新天地を求めるチャレンジャーは少なくなりました。日本の就職状況が良好だからでしょう。その心地よいぬくもりに反逆精神を持つブラッドを育てないと20年後に日本が引き続き輝いているか、大いに心配するところであります。
では今日はこのぐらいで。



