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- 2016年12月12日 07:00
東大生より賢い風俗嬢。若者の間に知性の逆転現象が。

増田俊也
1969年、東大紛争で安田講堂に立てこもった全共闘に対し、大学当局は警視庁に機動隊出動を要請、火炎瓶などによる武力的衝突が起こる場面がテレビで生放送される大事件となった。この事件を含め東大紛争では767人の逮捕者を出した。これら昭和の事件には思想があったが、今回の性犯罪には芯となるものが何もなく、ただ世間を呆れさせた。若きインテリたちにいったい何が起きているのか。
独学で身に着ける教養
このところ、東京大学、慶應大学、千葉大学医学部など、世間一般で受験勉強の勝ち組と思われる青年たちが相次いで起こした女性に対する集団性暴力事件について、先週に続いて考察したい。
いま私は、講談社の『小説現代』で連載している警察小説「刑事の抱いた夜」の取材のために、風俗関係者に取材し、多くの風俗嬢たちに会っている。これだけ多くの性風俗関係者と会うのは、若いとき以来、久しぶりのことだ。
そのなかで私が気づいたのは“知の逆転”という現象だ。知性と無知は対極にあるという、かつてあった紋切り型の切り口では考察しきれない深いところで、この逆転が起きているのを感じる。
たとえばこんなことがあった。
キャバクラから転身した二十一歳の風俗嬢に話を聞いたのだが、キャバクラに来る客と風俗に来る客、どこが違うか問うと、しばらく天井を見て考え込んだ。そしてまっすぐに私を見てこう言った。
「キャバクラのリピーターのお客さんはその女の子の体が欲しくて来ますが、風俗に来るお客さんは心が欲しくて来るんです。だからそれぞれその目的がいつか達せられるまで、頻繁に通うようになっちゃうんです」
そしてそこから様々な故事や歴史上の事件、あるいは小説や映画の場面を引いて、彼女の世界観を話しはじめた。私はうなってしまった。あまりに正鵠である。この知恵者ぶりはどうだろう。彼女は高校中退で学歴はない。しかし、確かな知性がある。
ここ十数年、こういった驚きを、男女問わず、頻繁に経験するようになった。
彼ら彼女らが渡世のための身の処しかた、いわゆる世間知とかそういった類いのものを披瀝するだけなら驚かないだろう。そうではなくて、昔なら高学歴の者しか話さなかったような専門的話題や学際的話題が、さまざまな階層、さまざまな学校、さまざまな職場で、普通に話題にのぼることが出てきている。
たとえば最近私がよく食事をする、中学卒のある三十代後半の青年がいる。私が「彼はあまり詳しくないだろうから」と遠慮しながら話すダーウィンの進化論と経済学の関係などに対して、むしろ驚くような見識を示してくる。これらは、おそらくインターネットの登場によって、あらゆる情報が公平に配分されるようになったからだろう。誰もが学問を独学できるようになった。
インターネットで得た生の情報に興味を持ち、体系的にまとめられた書籍を読み、さらにその書籍の出典に興味を持って古書を漁り、どんどんとその読書の幅を広げていく。これはもう、かつての学問のまさに王道的手法であった。彼ら彼女らは、知らず知識を自身の内で体系化し、物事の本質をつかむ力を得ているのだ。こういう人たちを、本物の教養人というべきだ。ネットの出現以前は、進学高や難関大学で、教員からの言葉や仲間たちとのサロン的会話のなかでしか得られなかった知の種子の隠し場所を、誰でもが知り得る時代になった。巷間言われるインターネットの功罪の、功の部分である。
インターネットの功罪
彼ら若者たちと話をすると、眼の色が澄んでおり、実に素直に人と接しているのがわかる。こちらの置かれている立場なども忖度し、先に先に気を遣って席を譲ったり、会話の流れを変えたりもする。
彼らは東大などのエリート学生たちからすれば社会的成功とはいえないような職業に就いている。しかし、眼に見えない水面下で、彼らの教養人化が進んでいる。一方で、かつて教養世界を独占していた受験勝ち組学生たちの心の砂漠化、荒廃化が進んでいるように思う場面にも遭遇するようになった。これも性に対するインターネットの知識が悪い方向へ動いている、ネット功罪の罪の部分である。それが極端なかたちで表に出たのが、今年続いたエリート学生たちの性暴力事件であろう。
多数の男に輪姦されるとき、体力的弱者の女性の絶望は想像を絶する。その立場に想像が及ばないような受験勉強や大学講義なら無いほうがよい。その時間を、先に紹介した風俗嬢のように、興味の赴くまま歴史的名著を読み漁り、人生を深く味わう教養のために割いたほうがいい。彼ら受験勉強組もそちらに戻ってくれば、日本の教養世界は再び豊穣になってくるにちがいない。
(週刊実話連載「作家の深夜日記」より)
- 増田俊也
- 作家です。
増田俊也(ますだ・としなり)小説家。北海道大学中退。1965年(昭和40)愛知県生まれ。
中日新聞社在職中の2006年に『シャトゥーン ヒグマの森』(宝島社)で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞してデビュー。2012年には『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社)で大宅賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞した。
他著に山田風太郎賞最終候補になった北海道大学時代の自伝的青春小説『七帝柔道記』(角川書店)、北大柔道部の後輩・中井祐樹の軌跡を追った『VTJ前夜の中井祐樹』(イースト・プレス)など多数。2016年春、四半世紀勤めた中日新聞社を早期退職し、専業作家に。
中日新聞社在職中の2006年に『シャトゥーン ヒグマの森』(宝島社)で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞してデビュー。2012年には『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社)で大宅賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞した。
他著に山田風太郎賞最終候補になった北海道大学時代の自伝的青春小説『七帝柔道記』(角川書店)、北大柔道部の後輩・中井祐樹の軌跡を追った『VTJ前夜の中井祐樹』(イースト・プレス)など多数。2016年春、四半世紀勤めた中日新聞社を早期退職し、専業作家に。