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- 2011年10月26日 03:10
皇位継承問題を考える(2.男系継承の伝統、継承者不在の危機)
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今回は、皇位継承に関する過去の例や、皇族の現状など、皇位継承問題をめぐる事実関係を紹介していきます。
1.125代の天皇は1人の例外もなく男系で継承
(1)男系とは何か
「男系」とは、父の父の父の父の……と父方の祖先をたどっていくこと。
過去125代の天皇は、1人の例外もなく男系の祖先をたどると天皇に(概念上は神武天皇に)たどりつきます。
父の父の母の父の……のように、母方を入れないと天皇にたどりつかない場合は、男系ではありません。天皇の男系子孫ではない人が天皇になった例はありません。
なお、「男系ではない」は長いので、間に1人でも母方が入る場合は、便宜的に「女系」と呼ぶのが一般的です。
例えば、眞子さまと一般人男性との間に生まれた子供は、その子が男の子であっても男系ではなく、「女系」の「男子」と呼びます。
逆に、悠仁さまと一般人女性との間に生まれた子供は、その子が女の子であっても男系で、「男系」の「女子」と呼びます。
このように、女性皇族と一般人男性との間の子供を天皇にする、いわゆる「女系天皇」の前例がないことは、眞子さま、佳子さま、愛子さまの子供を天皇にすることへの反対論の大きな理由になっています。
(2)過去8人いた女性天皇
過去「女系天皇」は1人もいませんが、男系女子の天皇(女性天皇)は8人10代います(皇極天皇と孝謙天皇は2度即位している)。
この、「女系天皇」は前例なし、「女性天皇」は前例ありというのは、皇位継承問題を語るうえでの最も基本的な知識です。
第33代 推古天皇(在位592〜628年)
第35代 皇極天皇(在位642〜645年)= 第37代 斉明天皇(在位655〜661年)
第41代 持統天皇(在位690〜697年)
第43代 元明天皇(在位707〜715年)
第44代 元正天皇(在位715〜724年)
第46代 孝謙天皇(在位749〜758年)= 第48代 称徳天皇(在位764〜770年)
第109代 明正天皇(在位1629〜1643年)
第117代 後桜町天皇(在位1762〜1770年)
これら8人10代の女性天皇は、かなり特異な政治情勢のもとで、多くが本命の男性天皇につなぐまでの中継ぎ的な形で天皇になっています。
どういう事情があったかは、この資料をご覧ください。8人10代とも非常に興味深い。皇位継承問題を追っかけてきて、いちばん面白いと感じたのはこの資料です。
特に持統天皇の執念がすごい。上でリンクを貼った資料には書いてないですが、息子・草壁皇子のライバル、大津皇子に罪を着せて死に追い込んだことも含めて読むと、非常に味わい深い。「春すぎて」とかお気楽な歌よんでる場合じゃないって。
男系の女性天皇の前例はあるので、眞子さま、佳子さま、愛子さまたち本人が天皇となることには、女系天皇ほどの反対論はないです。
しかし、彼女らが天皇になることを認めても、その子供が天皇になること(女系天皇)を認めない限り、一代限りの延命策にしかなりません。
(3)傍系の男系子孫に継承した例
125代の歴史の中には、時の天皇に近い男系子孫が途絶え、傍系の男系子孫に継承した例がいくつかあります。
a.第25代武烈天皇→第26代継体天皇(507年)
武烈天皇と継体天皇は、ともに応神天皇から5代目の子孫で、10親等の隔たり。
継体天皇は武烈天皇の姉、手白香皇女を皇后に迎え、2人の間の子供が第29代欽明天皇となることで、血筋の融合を図っています。
【画像】
↑「継体天皇」のイメージ画像
b.第48代称徳天皇→第49代光仁天皇(770年)
共通の祖先である舒明天皇から、称徳天皇は5代目、光仁天皇は3代目の子孫で、8親等の隔たり。
称徳天皇は天武天皇から4代目、光仁天皇は天智天皇から2代目。672年の壬申の乱で皇位が天智系から天武系に移行後100年を経て、天智系に戻りました。
なお、光仁天皇が天皇に選ばれた理由としては、称徳天皇の妹、井上内親王を妻とし、2人の間に他戸王という皇子がいたことが大きいとされています。
そこまでは継体天皇と似ていますが、光仁天皇即位の1年半後、謀反の罪で井上内親王は皇后を、他戸親王は皇太子を廃され、さらに3年後2人は変死します(別の女性を母とする光仁天皇の皇子、山部親王(後の桓武天皇)の陰謀とされている)。
1.125代の天皇は1人の例外もなく男系で継承
(1)男系とは何か
「男系」とは、父の父の父の父の……と父方の祖先をたどっていくこと。
過去125代の天皇は、1人の例外もなく男系の祖先をたどると天皇に(概念上は神武天皇に)たどりつきます。
父の父の母の父の……のように、母方を入れないと天皇にたどりつかない場合は、男系ではありません。天皇の男系子孫ではない人が天皇になった例はありません。
なお、「男系ではない」は長いので、間に1人でも母方が入る場合は、便宜的に「女系」と呼ぶのが一般的です。
例えば、眞子さまと一般人男性との間に生まれた子供は、その子が男の子であっても男系ではなく、「女系」の「男子」と呼びます。
逆に、悠仁さまと一般人女性との間に生まれた子供は、その子が女の子であっても男系で、「男系」の「女子」と呼びます。
このように、女性皇族と一般人男性との間の子供を天皇にする、いわゆる「女系天皇」の前例がないことは、眞子さま、佳子さま、愛子さまの子供を天皇にすることへの反対論の大きな理由になっています。
(2)過去8人いた女性天皇
過去「女系天皇」は1人もいませんが、男系女子の天皇(女性天皇)は8人10代います(皇極天皇と孝謙天皇は2度即位している)。
この、「女系天皇」は前例なし、「女性天皇」は前例ありというのは、皇位継承問題を語るうえでの最も基本的な知識です。
第33代 推古天皇(在位592〜628年)
第35代 皇極天皇(在位642〜645年)= 第37代 斉明天皇(在位655〜661年)
第41代 持統天皇(在位690〜697年)
第43代 元明天皇(在位707〜715年)
第44代 元正天皇(在位715〜724年)
第46代 孝謙天皇(在位749〜758年)= 第48代 称徳天皇(在位764〜770年)
第109代 明正天皇(在位1629〜1643年)
第117代 後桜町天皇(在位1762〜1770年)
これら8人10代の女性天皇は、かなり特異な政治情勢のもとで、多くが本命の男性天皇につなぐまでの中継ぎ的な形で天皇になっています。
どういう事情があったかは、この資料をご覧ください。8人10代とも非常に興味深い。皇位継承問題を追っかけてきて、いちばん面白いと感じたのはこの資料です。
特に持統天皇の執念がすごい。上でリンクを貼った資料には書いてないですが、息子・草壁皇子のライバル、大津皇子に罪を着せて死に追い込んだことも含めて読むと、非常に味わい深い。「春すぎて」とかお気楽な歌よんでる場合じゃないって。
男系の女性天皇の前例はあるので、眞子さま、佳子さま、愛子さまたち本人が天皇となることには、女系天皇ほどの反対論はないです。
しかし、彼女らが天皇になることを認めても、その子供が天皇になること(女系天皇)を認めない限り、一代限りの延命策にしかなりません。
(3)傍系の男系子孫に継承した例
125代の歴史の中には、時の天皇に近い男系子孫が途絶え、傍系の男系子孫に継承した例がいくつかあります。
a.第25代武烈天皇→第26代継体天皇(507年)
武烈天皇と継体天皇は、ともに応神天皇から5代目の子孫で、10親等の隔たり。
継体天皇は武烈天皇の姉、手白香皇女を皇后に迎え、2人の間の子供が第29代欽明天皇となることで、血筋の融合を図っています。
【画像】
↑「継体天皇」のイメージ画像
b.第48代称徳天皇→第49代光仁天皇(770年)
共通の祖先である舒明天皇から、称徳天皇は5代目、光仁天皇は3代目の子孫で、8親等の隔たり。
称徳天皇は天武天皇から4代目、光仁天皇は天智天皇から2代目。672年の壬申の乱で皇位が天智系から天武系に移行後100年を経て、天智系に戻りました。
なお、光仁天皇が天皇に選ばれた理由としては、称徳天皇の妹、井上内親王を妻とし、2人の間に他戸王という皇子がいたことが大きいとされています。
そこまでは継体天皇と似ていますが、光仁天皇即位の1年半後、謀反の罪で井上内親王は皇后を、他戸親王は皇太子を廃され、さらに3年後2人は変死します(別の女性を母とする光仁天皇の皇子、山部親王(後の桓武天皇)の陰謀とされている)。



