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ヌーハラ問題から日本文化のグローバル化を考える

「ラーメンは音をたてて食べるべきである」は正しいか?

「ヌーハラ」とは「ヌードルハラスメント」の略で、ラーメンなどの麺類を音をたてて食べるのが国際的なマナーに反していて下品ゆえ(「海外では一般に麺類を食べるときに音をたてるのはよろしくない」というマナー。この「海外」がどこを指すのかは謎)、ハラスメントに該当することを指している。

これに対して政治家の中田宏氏は11月25日のエントリー『ヌーハラ問題。「ラーメンは音を立てずに静かに食べましょう」・・・んなワケないでしょ!!』(http://blogos.com/article/199561/)で、
「『Japan Guide.com』のサイト(英文)には「ずずっと音を立てるのは風味を引き出すので良い食べ方だ」と書いてありますし、このように日本のマナーをどんどん広げていくべきです。」
と、音をたててラーメンなどの麺類を食べることを「美味しい食べ方」「日本のマナーとしてどんどんと広げていくべきです」とコメントしていた。つまり音をたてて食べるのがデフォルトだから、異文化の人間はこれをちゃんと理解すべきであるという主張だ。

氏がこのように主張する根拠としてあげているのが以下のエピソードだ。
「私は過去にインドに行った時に手で食事をしたことがあります。 左は”不浄の手”とされ右手で食べるのですが、正直、自分の手を舐めるような変な感じがしました これをかつて欧米人は「下品だ」と言い、また日本や中国の箸についても「下等民族の道具だ」などと言っていましたが、今では和食や中国料理が世界中にあるなかで上手くはなくても欧米人も自ら箸を使うようになりました。」
ラーメン・蕎麦・うどんを音をたてて食べるのが美味しいと感じるのは僕も同じだ。横でモソモソと音もたてずに麺をすすっている人間に気づくと、こちらが逆にヌーハラを受けたような気分になってしまう。だから、中田氏の言わんとしていることは、わからないでもない。

但し、留保がつく。それは「麺を日本、あるいは日本文化が支配的である環境で食べる場合」だ。中田氏の問題点は氏が依拠する、いわば「郷に入れば、郷に従え!」というところにある。そこで、これを今回の考え方のデフォルトとしてみよう。そうすると、中田氏は「郷に入れば、郷に従え!」を主張しながら、立ち位置を変えた瞬間「郷に入っても郷に従っていない」、つまり自家撞着に陥っていることがわかる。

現在、世界に広がる日本文化は”J.カルチャー”

その前に一旦、話を日本文化の海外への定着に振ってみたい。1960年代の高度経済成長以降、日本の知名度については「クルマや電化製品などのモノ、つまり消費や技術に関するものについては世界に知られるようにはなったが、日本の文化、つまりコト・伝統については認知度が低いまま」と言われてきた。そこで、なんとかして日本の文化を売り出そうといろいろな試みが行われてきた。ベタに「ゲイシャ、フジヤマ、スシ、ニンジャ、ゼン、ブシドー、ワビ・サビ」みたいな海外のステレオタイプを前面に出すやり方。あるいは他文化、とりわけ西欧に阿るやり方がそれだ。音楽だと英語でロックを歌って売り出すなど(フラワートラベリンバンドやバウワウ等。例外はサディスティックミカバンドで、日本語で歌っていた)。ただし、結局のところサッパリだった。

で、「どうやったら日本文化が世界に知られるようになるのだろう?」と手をこまねいているうちに、ひょんなところから日本文化は認知されるようになった。そこで海外に定着した「もうひとつの文化」をそれまでの日本文化とはアプローチが異なるということで、とりあえず「J.カルチャー」とカタカナで表記しておこう。J.カルチャーはアニメやマンガといったオタクカルチャーからジワジワと世界に浸透していった。

J.カルチャーは、これまでの日本文化とは二つの点で根本的に売り方が異なっている。一つは「文化として売ろうとはしていなかったこと」。いいかえれば「消費物」「ビジネス」として売り出したことだ。さしあたり「カネが入ればそれでいい」という、きわめてイイカゲンな売り方だ。だから日本アニメは安売りされ、あっちこっちで放映された。もう一つは「こちらのやり方を押しつけはしないが、迎合もしない」という売り方だった。これは「買ってもらうのが第一の目的なので、文化振興云々はどうでもいい。また、いちいち手間暇かけて相手向けにカスタマイズするのもカネがかかるので、あまり手をつけない」というスタンスが、結果としてこうなったと考えればいいだろう。前述のロックバンド(七十年代前半)はこれと反対で、明らかに当時のロックシーンに阿っていた。全部英語で歌い、サウンドのスタイルも世界の潮流に準拠していた。要するにアグレッシブに「世界に出たい」と考えていたわけだ。で、阿りつつ手間暇かけていろいろ考えた。とはいっても、結局はいわば「猿マネ」で、こう言っては内田裕也さんに申し訳ないが、今聴くとかなり恥ずかしい(その代わり、テクニックはスゴかった!)。

ところが前述したようにアニメやマンガは違う。阿っていない、というか垂れ流しなので勝手に広がるだけだった。これがかえってよかった。安売りした商品がメディアに流れ、子どもが飛びつく。で、これが世代交代することで広い世代に浸透していき、気がつけばジャパンアニメは世界中を席巻していたのだ(映画『マトリックス』監督のウォシャウスキー兄弟が『マッハ go go go』(”Speed Racer”)を、ディズニーが手塚治虫の『ジャングル大帝』をパクって『ライオンキング』を制作するなんてことが結果として発生した)。

ただし、これは「垂れ流し」なので、阿ってこそいないけれど、どのようにJ.カルチャーが理解されるのかは、これを受け入れた文化に委ねられた。つまり勝手にカスタマイズされた。たとえば「ポケットモンスター」は”Pokemon”として普及した。マリオもまた同じでファミコンならぬNintendo(まったく同じハードだが)のキャラクターとして普及した。そこに日本の文化を「きちんと教えよう」なんて押しつけがましい「邪心」はまったくない。邪心は「カネ儲け」だけ(笑)。すると、J.カルチャーは「日本文化」であることも知られないうちにグローバル化したのだ(リオの閉会式のパフォーマンスでマリオやハローキティがメイドインジャパンであることを知った人間はかなり多いんじゃないんだろうか)。そう、J.カルチャーは「郷に入れば郷に従え」ならぬ”When in Rome, do as the Romans do ”として広がったのだ。

中田氏の立ち位置では日本文化はグローバル化しない

中田氏はこの認識が抜けている。コメントの立ち位置は「麺を音をたて食べるのは絶対善」あるいは「箸を使用することは下品なことではない」というナショナリズム的な思考停止だ。あるいは「カレーを手で食べるのは下品である」という欧米かぶれ、つまり「欧米か?」とツッコミを入れられてしまうような心性だ(こちらは西欧至上主義、あるいはインド文化蔑視の態度ということになる。全然、郷に従っていない)。

文化のグローバリゼーション(この場合、日本文化の普及)は、中田氏のような立ち位置では絶対に発生しない。文化人類学にクレオール化という言葉がある。輸入文化は、それを受け入れる文化の文脈で理解され変更されることで初めて定着する。だからローカライズという洗礼を受けないわけにはいかないのだ。

アニメはもちろん、寿司やラーメンなど、日本文化は今や着々と世界に浸透しつつある。ただし、これらは横文字の、つまりAnime, Sushi, Ramenとして。アメリカの場合をみてみよう。今年7月ロスで開催されたAnimeEXPO2016では三日間の開催期間に26万人が集結した。会場では日本語のアニソンが流れ、あちこちに日本語の文字を見つけることができ、千人を超すコスプレイヤーが会場内を闊歩していた(詳細はこちらを参照。http://blogos.com/article/182883/)。しかし、これらはちょっと日本のそれとは違っていた。そして館内に響く入場者の会話は、あたりまえだがほぼ英語だった。

Sushiも同様だ。基本は巻き寿司、しかも裏巻で、ベースになるのはアボガドやクリームチーズ、サーモン、そこにシラチャーや )ソース、ハラペーニョなどなどあやしげなソースがぶちまけられている。反面、光り物を見つけることは難しい。で、そういった勝手にローカライズされた寿司=Sushiがその辺のスーパーであたりまえのように売られている。Ramenはまだ勃興期を脱してはいないが(大都市圏を除く。インスタントラーメンは、もはや完全に定着)、チキン味を中心として、そして味も少し変わったかたちで広がっている。もちろん、音をたてて麺をすする人間を見つけることは難しい。そしてこれらはいずれも阿ったのではなく、勝手にカスタマイズされて現地の文脈に取り込まれたのだ。つまり”When in Rome, do as the Romans do ”。だから音をたてるのは原則、ヌーハラになる。

残念ながら中田氏のコメントにはこういった文化伝播のメカニズムに関する認識が抜け落ちている。文化は売り込むと言うより、勝手に広がるのだから。そして、こうした歴史はこれまでずっと繰り広げられてきたはずだ。日本文化は現在J.カルチャーとしてブレイクしつつある。いや、もうしているのかもしれない。

文化のカスタマイズは日本文化の輸出に限った話ではない。日本もまた異文化の輸入に際して同じことをやっている。例を一つ紹介しておこう。フジテレビ『料理の鉄人』に登場した中華の鉄人・陳建一の父・陳建民は日本に四川料理を紹介した人物として知られている。その典型がエビのチリソース、通称「エビチリ」だが、これは建民が四川料理を日本に定着させるために乾焼蝦仁(カンシャオシャーレン)をアレンジしたものだ。四川料理は豆板醤がふんだんに使われるため辛く、このままでは日本人の口には合わない。そこで陳は豆板醤の量を減らし、代わりにケチャップ、スープ、卵などを加えてマイルドに仕上げた。その結果、われわれ日本人にっとって四川料理はきわめてポップな中華料理の一ジャンル、エビチリは家庭料理の一皿となったのだ。

本物(=オーセンティック)の日本文化が認められることはあるのか?

話をヌーハラに戻そう。じゃあ、海外(あくまで今回議論の対象となったあやしげな「海外」限定ですが)で音をたてて麺をすするのは結局ダメなのか?(ちなみに音をたてている文化が日本以外にないわけではない)。解答の一つは「まずはダメ」ということになる。ローカライズの洗礼を受け、一般に広がる過程では、音をたてろとか、そんなことをいちいち指摘するのは「野暮」なのだ。ただし、こういった「変形したかたちでの普及=音をたてずに麺を食べる」の後、オリジナルな、つまりオーセンティックな料理や食べ方が認められることは十分にあり得る。前述したエビチリだが、これでわれわれは四川料理を知った。そしてその認知度が高まれば、今度は「本物の四川料理を食べてみたい」という気持ちも湧いてくる。実際、現在、オーセンティックな四川料理を食べさせるレストランは国内でもあちこちにある。その時、客は舌のモードをオリジナルな方にセットし直しているはずだ。日本料理(そして日本文化)も同じで、普及すれば、オーセンティックを指向するような人間もまた登場する。そして、それに合わせたかたちで海外で施設が設けられる。つまり「本物のラーメン屋」がオープンする(いや、もうしているのだけれど)。そこでは、当然「音をたててラーメンをすすること」がデフォルトとなるはずだ。ちなみに、今僕が滞在している米・トーランス(ロスの隣の都市)には十件以上のラーメン屋があるが、音をたてることについてはお構いなしだ)。

こうして文化はグローバル化していく。そして、今、日本文化=J.カルチャーは大ブレークしつつある。

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