記事

インドネシアの「非過激化プログラム」に期待を寄せる

注)本コラムは筆者の個人的見解を示すものであり、JICAの公式見解を反映しているものではありません。

vol.388 7 December 2016
フリージャーナリスト 杉下恒夫氏

先日、インドネシアで地域研究をしている友人が帰国したので、久しぶりに会った。私はインドネシアの地域専門家ではないが、これまで会議や取材などで、広大な領域を擁するインドネシアのほとんどの主要都市に足を踏み入れた経験があり、良く知っている国の一つだと思っていた。しかし、近年は訪れる機会がなく、ジョコ政権が生まれてからのインドネシアには一度も行ったことがない。

経済成長を続けるASEANの国々の変貌は急速だ。少しご無沙汰していると、大都市などは別の町に来たのではないかと思うほど様相が変わっていることがある。ジャカルタも大きく変わっているはずで、今、一人で行ったらきっと迷子になることだろう。

しかし、友人の話によると、インドネシアの変貌は景観だけではないようだ。移ろいは国民の価値観の変質という国家の脊柱に波及しているという。インドネシア変貌のベクトルは、イスラム回帰だ。世界最大約2億人のイスラム教徒を抱える国家に今更イスラム回帰という言葉は、不適切という気もするが、インドネシアのイスラム教にはヒンドゥー教、仏教など他宗教と習合した特色があり、中東やアラブの国々などに比べると、戒律はいくぶん緩かった。そのインドネシアのイスラム教徒に、教義に忠実に生きて行こうという意識変化が顕著なのだという。

こうしたインドネシアのイスラム化の動きは、特に最近始まったものではなく、1980年代から少しずつ活性化していた。だが、ここ数年のイスラム回帰の進展は、私が想像していた以上に早いようだ。インドネシアには「プサントレン」と呼ばれる独特の寄宿制イスラム学校がある。その数が21世紀になって急増しており、今では入学する若者の数が400万人に迫っているという。「あなたがしばらくぶりにインドネシアに行って驚くのは、ビルの高層化などより、町を歩く女性にヴェールを被っている人が圧倒的に多くなったことだと思います」と彼に言われた。

現地から流れてくるニュースでも、インドネシア社会の変化は、感じられる。2016年1月14日には、ジャカルタの目抜き通りで、「イスラム国(IS)」の支持者と見られる男数人によるテロ事件があり、2人の市民が犠牲になった。実行犯の背後には、東南アジアにIS支部設立を企てるシリア在住のインドネシア人が存在しているとされる。この一派は昨年12月にも自爆テロを計画して事前に発覚、10人が身柄を拘束されている。

私も2004年9月にジャカルタ・オーストラリア大使館前爆破テロに遭遇したことがあるが、これまでのインドネシアでのテロ事件は、「ジェマア・イスラミア(JI)」などインドネシアで生まれたイスラム過激派組織によるものがほとんどだった。だが、1月のテロ事件は、インドネシア政府の取締りで弱体化したJIではなく、ISの強い影響を受けた犯行グループによるものだ。ISに共鳴して出国、シリアなどで軍事訓練を受けて戦闘に参加する若者の数も増えており、こうした若者がアジアに戻って、さらに凶悪なテロ事件を起こすことも懸念されている。

11月4日には、イスラム教の聖典「コーラン」を揶揄したキリスト教徒のジャカルタ特別州プルナマ知事の再選を阻止しようというイスラム系団体の大規模デモが行われ、約10万のイスラム教徒がジャカルタ市内を埋め尽くした。白いイスラムの民族衣装に、白いスカルキャップを被った大勢のイスラム教徒が「神は偉大なり」と叫びながら大統領府周辺を練り歩くのをテレビ画面で見た時、インドネシアのイスラム回帰は奔流になっている、と感じた。

そんなインドネシアでちょっとホッとする話もある。それはジャカルタ特別州の高校生などを対象に「非過激化(De-Radicalization)プログラム」と名付けられた事業が今夏から開始されたというニュースだ。「非過激化プログラム」とはどんな内容の事業なのか。インドネシアの代表的な英字紙「ジャカルタ・ポスト」(電子版)によると、本来は過激どころか寛容な教えが多いイスラム教の教義を、若者たちに正しく教えることで誤った解釈に染まっている人たち(過激派武装グループ)の影響を受けないようにするプログラムだという。

同じ趣旨のプログラムは、バリ島テロ事件(2002年10月)などで刑務所に収監されているテロ実行犯に対してすでに実施されており、若者向けのプログラムは、これらを基に作成された。インドネシア政府は、今後、このプログラムを全土の若者を対象に実施することを計画しており、さらに、イスラム教を国教とする隣国マレーシアや近年、イスラム過激派の勢力拡大が懸念されているバングラデシュなどで国境を越えて実行する計画もあるという。

現在、イスラム過激派武装組織への取締りは、軍や警察などによる監視体制の強化が優先されているが、ハードな対策だけでは完全な予防、解体には繋がらない。それは、世界各地で繰り返されるイスラム過激派によるテロ事件を目にして、世界の人々が痛感していることだ。心に巣食う犯行に繋がる誤信を根気よく緩やかに解いていくことこそ、持続性のあるイスラム過激派対策となるのだろう。「非過激化プログラム」の周知度は、日本ではまだ低いようだが、これがインドネシアで成果を挙げ、全世界に広がってゆくことを熱望する。日本も側面支援したい。

あわせて読みたい

「インドネシア」の記事一覧へ

トピックス

  1. 一覧を見る

ランキング

  1. 1

    BLOGOSサービス終了のお知らせ

    BLOGOS編集部

    03月31日 16:00

  2. 2

    なぜ日本からは韓国の姿が理解しにくいのか 識者が語る日韓関係の行方

    島村優

    03月31日 15:41

  3. 3

    「いまの正義」だけが語られるネット社会とウェブ言論の未来

    御田寺圭

    03月31日 10:09

  4. 4

    カーオーディオの文化史 〜ドライブミュージックを支えた、技術の結晶たち〜

    速水健朗

    03月30日 16:30

  5. 5

    BLOGOS執筆を通じて垣間見たリーマンショック後10年の企業経営

    大関暁夫

    03月31日 08:27

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。