- 2016年12月01日 12:41
ごはんを食べられなくなったら、人間は5日くらいで安らかに息を引き取る。そんな“平穏死”を推進する医師や病院も増えている - 「賢人論。」第28回(前編)石蔵文信氏
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石蔵文信氏は1955年生まれで、団塊世代の下の世代にあたる。循環器系の専門医として救急医療の現場に勤務していた経歴の持ち主だ。定年退職をした夫のうつが妻のうつを引き起こす「夫源病」という言葉の生みの親でもある。そんな石蔵氏は、昨今の高齢者救急医療のあり方や死に対する我々の考え方に警鐘を鳴らす。そして、“多くの年金をもらえることが幸せだ”という価値観に疑問を投げかける、氏の真意とは?
取材・文/猪俣ゆみ子(編集部) 撮影/公家勇人
高齢者の救急医療の現実。無理な医療措置を行うことは果たしていいのだろうか
みんなの介護 石蔵先生は医師としてご活躍され、著書もたくさん出されています。現在の介護業界や高齢者医療について、問題と思われることはありますか?
石蔵 今の介護って、何かあればすぐお医者さんに、という傾向があるでしょう。でもそれでは医療費がいくらあっても足りません。超高齢者は、何かあったらそれが天寿と思った方が良いかもしれません。それから、なんでもできる自立した人を施設に入れてしまうというのも、考え直したほうがいいことだと思います。
みんなの介護 “なんでもできる人”というのは、身の回りのことを自分でできる人のことでしょうか?
石蔵 そうです。どうしてそういった人を施設に入れるのかというと、一番多い理由が「心配だから」。介護が必要な程度は人によって違うだろうけれど、多くの施設には“自立”できている高齢者でも入居できる、いわゆる“24時間医師・看護師が対応するから安心”というところがあるでしょう。
私はよく「医者がいるほうがえらい目にあってしまう」と言っています。どうしてかと言うと、救急医療をやってきたから思うことなんですが、80、90歳の人が救急で運び込まれることもあるわけです。そういった高齢の患者さんに心臓マッサージをすると、あばら骨が折れたり、管をたくさん入れて何とか蘇生して病室に運んでも、1週間ほどで亡くなることが多い。
救急車を呼ばれると、救急隊と救急病院は何もしないというわけにはいきません。なぜなら、何もしないと訴えられる可能性があるからです。もちろん、患者の家族はつい「できる限りのことをしてください」と言いますよね。そういわれると、病院は処置をやらないわけにはいかないから「できる限りのことをやります」と答えてしまう。でも、できる限りのことをすれば、ものすごい医療費がかかってしまうのですよ。患者本人は、あばら骨を折られて、管を入れられて点滴を入れられて、数日たつと体中が浮腫(水分過剰)になって亡くなられる…というのが、高齢者の救急の現実です。
みんなの介護 年齢を問わず、誰かが急に倒れたりしたら救急車を呼ぶ、というのは至極もっともな流れだと思うのですが…。
石蔵 そういうときに、救急車を呼ぶというスイッチを押さないで看取りの先生に電話をすれば、自宅に来ていただいて、脈をとってもらい“ご臨終です”というふうになるかもしれません。救急病院で処置されるのと静かに看取られるのでは医療費がかなり違うと思います。救急病院でお金をかけて処置をしたとしても、今説明したように、多くの場合、本人は苦しむ可能性が高い。たくさんのお金がかかっているのに、本人もつらい、医療関係者も大変という問題が生じます。救急隊が呼ばれる回数も増えているという問題もあります。
ある先生が「救急車を呼ぶということは“平穏死”ができないスイッチを押すことだ」と言っておられましたよ。
みんなの介護 平穏死とは、芦花ホームの石飛先生が提唱している、安らかな最期の迎え方のことですよね。
石蔵 石飛先生とはよく交流しています。私らは「生き方死に方を考える社会フォーラム」をやっていますが、私らが今から10年、20年前に診た末期がんの患者さんは、1分1秒でも長く生きてもらうために挿管とか点滴とかをするわけです。それは、はた目から見ていても苦しそうです。次第に水が溜まっていって、仕方がないので胸や腹から水を抜く。でも次の日は、同じように胸や腹に水が溜まります。
看取りをやっている石飛先生にお聞きすると、ごはんを食べられなくなるのは、体が受けつけないわけだから、点滴などをしなければ5日くらいで安らかに息を引き取られるらしいです。そうなると余裕をもって家族で集まることができる。それが平穏死というものです。本人も楽、家族も余裕のある、お金がかからない死に方なんだけれど、唯一の欠点をあげるならば、医療側の収入にならないのです。
最近では、政府は、在宅で看取ったときの医療報酬をある程度高くして在宅での看取りを勧めています。このような財政誘導で“平穏死を推進してくれる”病院や医院が増えてきているようです。

死は“負け”ではない。ある程度のところまできたら家族も覚悟をすべき
みんなの介護 我々、病院を利用する側として気をつけなければならないことは。
石蔵 さっき言ったような「できる限りのこと」をやろうとする病院に入ると、苦しいし、しんどいだけだから、みなさん方の考え方を“安らかな最期の迎え方”に向けることですね。“何もしない医療が悪い”と思わずに、人、特に超高齢者が食べられなくなったとしたら、それは自然死が近いということだから、治療する医療より看取りを考えたほうが良いと思う。
みんなの介護 “何もしない医療”を受け入れるということはすごく勇気のいることですね。
石蔵 死が負けではなくて、患者さんを看取ってあげるということはすばらしいことなんだと皆が思うようになると、看取りが生きがいになっていくスタッフもいるわけです。むしろ、「点滴をしたり胃ろうにしたりするほうが、心が荒んでくる」と打ち明けるスタッフもいる。ある時期にさしかかったら過度の医療措置や介護をするのではなく良い看取りをするんだ、という意識になれば、すごくやさしくなれる。きちんと看取りをしたほうが利用者本人のためにもいいし、家族にとってもいいと思うのです。
石飛先生が提唱してから、介護の現場でも胃ろうはだいぶ減ったんじゃないかな。私の友達に、胃ろうを作ることを専門としている消化器の医者がいるんですが、彼と5年前に会ったときは「毎週作らなきゃ」と言っていた。それが、この前会ったら「月に1つもやっていない。ものすごく減った」と言っていた。
超高齢者が胃ろうをすると、3年から5年くらい“長生き”できるかもしれない。“長生き”というのは“心臓が動いている”というだけでね。胃ろうをするということは、口から食べられなくなったということ。十分食事が食べられなくなったら、胃ろうをせずに平穏死にもっていきましょう、と家族が同意すると、そこから1か月くらいでほとんど食べられなくなり、何も食べられなくなってから4、5日で亡くなられるようです。
みんなの介護 とはいえ、“目の前の患者さんを何とかしなければならない”と思っている人もまだまだいると思うんですね。
石蔵 多少いらっしゃるとは思いますが、今は、訴えられるか、訴えられないかの問題の方が大きいようです。ほとんどの救急医は、90歳のおじいちゃんが運び込まれてきて、“何にもせんほうがいいのに”と思うでしょう。「おじいちゃーん!おじいちゃーん!」って言っている家族に、先生が「どうしますか?」と聞くと「できるだけのことをしてください!」と言っちゃう。家族は何気なく言うんだけれど、医者にとってみたら“できるだけのこと”って、“ここの病院にあるすべての医療機器を使わなければ訴えられるのではないか”と思ってしまうわけです。
命は地球より重い?地球がなくなったら人類はもとよりすべての生命が失われる
みんなの介護 一筋縄ではいかないと思いますが、大事な家族が死ぬか助かるかという状況になったら、やっぱり「何とかしてください!」と思うものだし、言ってしまうのでは。
石蔵 だから、家族の修行が大事なんです。かなり弱ったおじいちゃん、おばあちゃんが倒れたときに、例えば、パニックになって救急車を呼ぶよりは、ちょっと一息おいて、看取りの先生を呼ぶというシミュレーションをしておく、というのが大事だと言われています。
まわりに家族がいるということは安心かもしれないけれど、いわゆる“よい死に方”ができない可能性があるということを知ってほしいですね。ある程度のところまできたら、家族も覚悟をしないといけない。“このおじいちゃん、おばあちゃんは今度あったら死ぬんだよ”という覚悟をして、看取りの先生に毎週来てもらうのが一つ。これも医療費はかかるけれど、救急医療に比べたら安いもんですよ。それに、死に方がよりいいと思うんです。よい看取りをしながら、家族も満足して、本人は逝ける。
こういう話をすると決まって“命って地球より重いんです!”とか何とか言う人がいますが、その人たちには「地球がなくなったら人類はもとよりすべての生命が失われる。やっぱり地球の方が断然重いでしょう」と問いたいね。やっぱり、年を取ってくれば適切なところで命を全うしないと、残された人に迷惑をかける可能性が高い。高齢の親の介護で一生を棒に振る家族もいるわけです。例えば、これから昇進していくときだったり、子どもの教育費がすごくかかってきてお金が必要なときに介護離職なんて悲惨です。
みんなの介護 今は介護離職で悩んでいる人も多いと言われています。
石蔵 私がよく「介護は3か月くらい家でみたら、施設に入れなさい」ということ。「あなたの幸せを考えなさい」と言っています。介護は“適当”でいい。
みんなの介護 身の回りのことをできなくなった親の老後をきちんと支えてあげるのが、子どもの使命だ、という人もいます。
石蔵 マスコミの影響もあるんじゃないでしょうか。みんなでプレッシャーを感じて結局のところ、家で診ている人も診られている人も行き詰まり、うつになったり虐待を起こしたりする。気持ちが深く入って、距離が近いほど虐待が起こりやすい。だけど、例えば“施設に入れて悪いな”という気持ちで週に1回でも会いに行けば、機嫌よくできるでしょう。そっちのほうがよっぽどいいですよ。



