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私は、あの写真をコントロールできる自由を、手にしました――「ナパーム弾の少女」と児童ポルノ

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特別な歴史的重要性

実のところ、この写真は発表当時、通信社の内部で配信すべきかどうかの意見が分かれたという。少女が裸だったからである。(注5)

(注5)http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/090700247/?P=2

(事実、同じ現場で同じように撮影していたはずの他の報道機関は、撮影物を公開しないまま破棄してしまったり、あるいは正面からのアングルを避けて報道したりした)(注6)

(注6)『ベトナムの少女』(文春文庫) 92ページ

だが、通信社は配信の決断に踏み切った。この写真は世界中の新聞に掲載され、今日では只の報道写真ではなく、人類社会が歴史を共有するための特別な写真となった。

写真に写っている裸の少女、キム・フックは、この戦災を生き延びて成長した。この時、病院へと運んでくれたカメラマンたちとの人間的な信頼関係もあり、また、この写真を自らの平和活動のために活用しているとのことである。

このような歴史を経た一連の文脈がある程度共有されていたからこそ、多くの人々は、この写真を「児童ポルノ」ないしはそれに類似した「被写体である少女の人格を傷付けるような表現物」ではないという直感的な判断にいたったのではないだろうか。

Facebookも、結局のところ、世論のこの直感に沿う形で、削除の判断を撤回した。その言い分は次のようなものである。

「コミュニティの意見を聞いた上で、このケースに関してはコミュニティ規定の解釈を見直した。裸の子どもの画像は通常はわれわれのコミュニティ規定に反するし、幾つかの国では児童ポルノと見なされる。だが今回は、この画像には歴史的、世界的な重要性があると認識している。(中略)だから、削除した画像を復活させることにした」

要するに、この写真は原則に照らせば、児童ポルノとみなされ得るものであり規定違反にあたるが、その特別な歴史的重要性にかんがみて、例外的に児童ポルノないしは規定上削除されるべき画像ではないと解釈するべきだという判断である。

だが、撮影・発表されたのが今日の世界であったとしたら、この写真は「児童ポルノ」にさせられずに済んだであろうか。そこにはかなりの不安がある。それはインターネットの普及により、社会背景的な事情が変わってしまったからである。

写真の配信は、新聞・雑誌への掲載や、テレビ報道に留まらず、無数の「悪意ある人々」が渦巻くインターネット空間への放出という事態になったであろう。

後に情報公開された録音テープによれば、リチャード・ニクソン大統領はホワイトハウスでの会議の際に、これが合成写真ではないかとの疑いを口にしていた。おそらくは「ナパーム弾の少女」による反米・反戦のムードを警戒してのことだろう。(注7)

(注7)http://www.cbsnews.com/news/nixon-the-a-bomb-and-napalm-28-02-2002/

ニクソン大統領は、あまり表立ってはこの陰謀論を唱えなかったようだ。

だが、現代の政治家や、メディア、そしてインターネットで熱心に政治や社会問題を語る人々はどうだろうか。きっと激しい感情の衝突を伴う議論が巻き起こったことだろう。

卑猥な揶揄や人種差別的なメッセージが大量に添えられてインターネットで拡散される場面が起こり得ることだって、想像に難くない。

そして、インターネット空間で活発に議論を交わす無数の「善意ある人々」は、そのような悪意を持った人々の狼藉に耐え切れず、報道の公益性との比較衡量等などといったまどろっこしい価値判断のプロセスはすっ飛ばして、「なぜ通信社はそんな児童ポルノ紛いの写真を配信したのだ。少女の人生を破壊したいのか」と叫んでしまったかもしれない。

現代の「ナパーム弾の少女」は、インターネット上の善意溢れる人々と悪意溢れる人々の、ある種の共犯関係によって、歴史的価値を獲得する前に、「児童ポルノ」の烙印を押されて封印されてしまったのではないか。

さて、Facebookからは、コミュニティ規約に違反する画像についても、公益性がある場合には投稿を認める方針の発表があったようだ。(注8)

(注8)http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1610/24/news059.html

プラットフォーム企業として正しい方向だとは思うが、被写体の各種人格的権利と、公開の公益性をめぐる問題は、ますますFacebookにとって悩ましいものとなるだろう。

この文章を読んできた人の中には、問題はもっとシンプルなのではないかと言いたい人もいるかもしれない。「ナパーム弾の少女」のような真っ当な反戦写真は、誰かを傷付けるようなものではないことは明白なのだから、そんな細かい議論をすること自体がバカらしい、と。

だが、この「ナパーム弾の少女」だって、本当は色々と難しい写真だったのだ。

「私は、あの写真をコントロールできる自由を、手にしました」

最後に、今回の問題の主役である「ナパーム弾の少女」の話をしよう。

「ナパーム弾の少女」は1972年6月8日に撮影された。

撮影場所は、当時の南ベトナムの首都サイゴンから、北西に約50キロの農村チャンバン。

この村に、南ベトナム軍がナパーム弾による爆撃を行った。南ベトナム国内で活動するゲリラ組織(解放戦線)との交戦の際に発生した「誤爆」であるとされている。

焼け出された村人たちは、命からがら南ベトナム国道1号線を走って逃げた。

使われたナパーム弾からは、高温で燃焼するゼリー状の石油化学物質が四散して、人々の服や肌に張り付いた。当時9歳のキム・フックが、大火傷をおって裸で走っているのは、ナパーム弾によって引火した服を脱ぎ捨てたからである。

撮影したのはAP通信の現地カメラマン、ニック・ウットことウト・コン・ウン。

ウトたち報道陣は、車でキム・フックと他の負傷者を近くの病院へと搬送した。

重篤な状態のキム・フックは、取材をしていた外国人記者たちの働きかけにより、サイゴンの専門医のいる病院に送られ、命を取り留めたが、左手の機能に後遺症を負い、また左肩から背中にかけては激しい痛みのともなうケロイドが残った。

写真はAP通信によって配信されて、世界中のメディアに掲載され、大きな反響をよんだ。73年にはピューリツァー賞を受賞。

ベトナム戦争を継続するアメリカへの批判はますます強まった。

画像を見る

1973年6月2日号のタイム誌に掲載された慈善団体の寄付広告

ある程度は容態が回復したキム・フックの元には、西側のメディアの取材が相次いだ。

まだ子どものキム・フックは、後遺症で激痛の走る身体でムリをしてまで、期待に応えれば外国人たちが助けてくれるのではないかと自分の写真を撮らせようとしたという。当時キム・フックを取材したあるカメラマンは、自分たちの仕事のあり方に葛藤を感じたと後に回想している。(注9)

(注9)『ベトナムの少女』(文春文庫) 133-136ページ

75年にベトナム戦争が集結し、南ベトナムは北に併合された。それまで地元のビジネスでそれなりに成功して裕福だったキム・フックの家族は急転直下、経済的な不遇に直面した。

キム・フックが再び西側のメディアに大きく登場したのは1984年、彼女が21歳のときのことだった。

キム・フックは、取材にきた西ドイツのテレビ局のはからいで、専門治療を受けるためにフランクフルトへと出国した。経由地のバンコクで、「戦争は恐ろしく、嫌いです。私は戦争を憎みます」とコメントしたことが記録に残っている。(注10)

(注10)朝日新聞 1984年7月15日 朝刊

この前後、キム・フックは世界のいくつかのメディアの取材に応じて、ケロイドの残る身体を撮影させたりもしている。

画像を見る

『戦争絵本 物語ベトナムに生きて3 ナパーム弾とキムちゃん』より

だが、当時のベトナム共産党政権は、成人したキム・フックに反米宣伝の広告塔になることを強いていたとも言われている。

1992年、キム・フックは新婚旅行を口実にベトナムを出国すると、そのままカナダへと亡命した。

キム・フックが再びメディアに注目されたのは1995年のこと。長らく消息が知れなかったキム・フックが、亡命してカナダで暮らしていることがマスコミに報じられてからだった。

92年から95年にかけて、キム・フックが沈黙していた理由はいくつかあった。ベトナムに残してきた家族をどうするかや、亡命後の生活費の工面など、現実的な問題に直面する中、あの「ナパーム弾の少女」としてマスコミに登場して注目されることには、大きなリスクがあった。

それと同時に、この頃のキム・フックには、自分を好き勝手に利用するマスコミに対する不信感があったとも言われている。自分が戦争について語ること自体についても否定的だったようである。

だが、95年頃を境に、キム・フックは平和活動家として積極的に発言をするようになった。

かつてベトナムに駐留してチャンバン爆撃に関わったアメリカ軍の元将校と会って和解したことも、大きく報じられた。

カナダのユネスコ親善大使に任じられ、平和運動のための「キム財団」を設立し、世界中で講演活動を行うようになった。(注11)

(注11)http://www.kimfoundation.com/

2010年にキム・フックは、あの爆撃の時に自分を撮影し、専門病棟への転院のために奔走してくれた恩人でもあるイギリスのテレビ記者と再会した席で、こう語っている。

「私は、あの写真をコントロールできる自由を、手にしました」と。(注12)

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