- 2016年11月03日 12:27
大塚玲子『PTAがやっぱりコワい人のための本』
1/2もしPTAをしなくていい権利をお金で買えたら - Togetterまとめ リンク先を見る
「PTAは任意団体なんだから退会すればいいのに…」とならずに、こういう問いが成り立ってしまうのは、このまとめの中の終わりの方のツイートにあるように、同調圧力がこわいからという1点につきるだろう。
うちの地域の子ども会は加入率が25%ほどに落ち込み、夏休みのラジオ体操の保護者当番が続けられなくなり、なんとPTAにこの当番の話が回ってきた(この体操に出てハンコを押す)。子ども会を回している親たちにかわり、夏休みのラジオ体操当番をPTAの会員が全員輪番で出席してやれ、というのである。*1
地域の子ども会はもはや任意加入という意識が強く浸透していて、どんどん入らなくなっているからだ。
知らない人のためいっておくが、子ども会とPTAは全く別組織である。子ども会は地域の任意団体であり、PTAは学校を単位とした任意団体である。前者も後者も昔は半強制加入だったが、今は前者には「入っても入らないでもいい」ということが浸透しているが、後者が任意制であるとは思いもよらない人たちが未だにぼくの住む地域には多い。
全く別組織であるはずのPTAにこの仕事が最近降ってわいた訳で、「子どものため」という旗印で、半強制加入で豊富な労働力を持っているPTAの負担は増える一方である。
地域ぐるみの子育ての一端を担ってきた子ども会が、減少の一途をたどっている。福岡市内にある子ども会は、人数不足のため4月から活動を一時休止し、子どもたちは隣接する地域の子ども会に加わることになった。……全国子ども会連合会に加盟する会員数は2015年度で約280万人と、ピークだった1981年度の約3分の1になった。(西日本新聞2016年4月10日付)
そしてこれはPTAの幹部(活動家)や学校関係者が思い描く、典型的な悪夢でもある。任意加入を認めたとたんに、こうした崩壊とも言えるような現象が起きるに違いないと。
ぼくはいま任意加入の徹底を求めているが
ぼくは、転校した今の小学校で、PTAの任意加入を求めている。
いや、PTAはもともと任意加入なのだから、厳密にいうと、(1)規約に明記すること、(2)入学時などに任意であることを知らせること、(3)入会届・退会届を出すようにすること、を求めている。
ぼくはヒラ会員なのでこんな根本議論はPTA総会ぐらいでしか出せない。
いきなりこの3つはハードルが高いので、「今年1年かけて研究・検討に着手する」という提案を要し、事前に会長に見せた。
「できれば役員会として、役員会から提案してもらえないか」
会長からはていねいな電話があったが、結論的に言えば、それはのめないということだった。
仕方なく、総会のヒラ場でいきなり動議提案せざるを得なくなる。説明をするがとても十分な時間は取れない。
大半は戸惑って手もあげず、「提案に反対」に手を挙げた中の出席者が「提案に賛成」よりも多かったので提案は否決された。
その総会の場で、ぼくの提案を受けて会長が「任意加入をどう伝えるかは課題だと思っている」「今後考えていきたい」と述べた上での否決だったので、それコミで否決されたのだろうというのがぼくの解釈だった。
したがって、その後、PTAの係(専門委員会の副委員長)をやりながら、何度か「運営委員会」(PTAの定例的な意思決定の会議)や会長にただしたが進展はなく、会長からやんわりと「役員会としてはこれ以上協議はしない」というむねを伝えられた。
ぼくはあきらめられず、今度は校長に「請願」を行った。
校長は官公署=学校機関の公職だから、請願法にもとづく請願の対象になる。
そして、「PTAは任意組織だから学校としては知りません」と言われないように、PTAの規約で校長が校長としてPTAに組み込まれていることを示して、PTAとしての話ではなく、公職者としてどう振る舞うかという問題になることを述べた。
実は、ここから劇的な進展があったのだが、まあ、それはまた別の機会に述べる。この記事にとってはそこはどうでもいい。
何かに取り憑かれているのではないか?
PTA会長も、役員も、そして校長も懇談をしたのだが、こわがっているのは「任意であることをきちんと伝えてしまうと、組織が瓦解する」ということだった。そのあまりにもわかりやすすぎるモデルが、その学校の地域の子ども会なのだった。加入率25%の悪夢。
少なくとも、ぼくの娘が通う小学校のPTA関係者たちが取り憑かれているのはまさにこれ。
任意加入にしたら、誰も入らなくなる、そして仕事が回らない、ということなのだ。
だからこそ、ぼくは何度も会長にも言ったし、校長にも述べた。
「任意加入といっても、ぼくが示している3つをいきなりやれということでなくてもいいんですよ。例えばまず規約に書くことを検討してみるとか。それに、活動の仕方だって、今の委員会制度を前提にするから、『あの仕事はどうするんだ』『この仕事も今でもギリギリなのに』ってなるんですよ。それを1年くらいかけて研究したらいいんですよ」
有り体に言えば、1年研究して、まずは、こっそり規約に書き込むだけでもいいのである。それがぼくの提案に「応えた」ということになるのだが、とにかく彼ら・彼女らにとっての前提は、
- 任意であることを大々的に知らせたら、崩壊する
- 仕事が回らない
こればっかりなのだ。
いやー、ホントに何かに憑かれてるんじゃね?
妖怪とか。
思考が凝り固まってしまっているのである。
校長に聞いたが、ぼくの娘の通う学校では、PTA非加入は一人もいない。例外なく加入。それほどまでに「加入しなければならないもの」ということが浸透している。ぼくは「任意加入についての提案が今後全く受け入れられないなら、来年度は退会することもありうる」というふうに告げている。
非加入者が出れば、おそらく質的に違うものになってしまうのだろう。
うちの学校では、校納金といっしょにPTA会費を学校がいわば「代理徴集」する。それは名簿などの扱いから言って問題ではないのかと校長に問うたが、いまのところ全員加入であるので問題は生じないのだという。ただ、非加入者が一人でも出れば扱いは変わってくる、というのが校長の回答だった。
ここにも、加入が任意であることを知らせることで退会者(非加入者)が出ることを恐れる「根拠」がみて取れる。
「思想の屈伸体操」としての本書
そこで、本書、大塚玲子『PTAがやっぱりコワい人のための本』(太郎次郎社エディタス)である。すでに『PTAをけっこうラクにたのしくする本』を出している大塚であるが、前著は短いルポ・経験集のようにして、負担軽減と目的のクリア化を中心して、網羅的に様々な課題の解決方法を示した、いわば一種の百科事典的な良さがあった。
本書は、エッセイ……というと言い過ぎであるが、PTAにまつわる「恐怖」「負担感」などの固定観念を解きほぐそうとする本である。鶴見俊輔は、かつてマンガのことを「思想の屈伸体操」と呼び*2、カチカチになったメインカルチャーの言葉と思想を解きほぐす役割として、マンガというサブカルチャーを特徴づけたことがあるが、まさにそれであろう。
PTA問題を考える際の「思想の屈伸体操」。
目次を見るだけもそのことは一目瞭然であろう。
Part1◎嫌われスパイラルはなぜ続く?
PTAの仕事はなぜ増えつづけるのか?
減らせる仕事はないの? PTAの断捨離術
データで見るPTA 担い手減少の現実
「とにかくやらせる」から生じる本末転倒
PTAが成立しなくなる!? タブー視されていた任意加入
入会届け完備! ?合法?PTAが増殖中
活動曜日・時間に正解はあるのか?
保護者どうしの対立はなぜ泥沼化するのか
地元に知りあい、いますか? じつはオトクなPTA
「役員決め=地獄の根くらべ」の思い込み
突破口になるか? お父さんのPTA 参加
女性会長はなぜ少ない?─じわじわとPTA を変える、てぃーこさんインタビュー
Part2◎ヨソのPTA ではどうやってるの?
「ポイント制」の罠にご用心
パソコンできる人・できない人問題
「ベルマークは勘弁して!」母たちの切実な叫び
「おやじの会」はPTAのかわりになれるか?
トラブルの温床? PTA改革で省いてはいけないこと
会費なし、義務なしの町内会ができた!─紙屋高雪さんインタビュー
Part3◎ハッピーなPTA はつくれますか?
PTAをとことんIT化したら、何が起こる!?─川上慎市郎さんインタビュー
「顧客」はだれか? 「もしドラPTA」をやってみた─山本浩資さんインタビュー
時間も手間もかけず、あくまで「消極的」に!─小沢高広さん(漫画家・うめ)インタビュー
http://www.tarojiro.co.jp/product/5583/
あ、そうなのである。
ぼくのインタビューも収録されている。
あたかもカフェで話をするように
本書はあたかも、カフェで雑談しながら、聞いているように読むのが正解である。
例えば次のような会話があったとする。
「うちの学校、今度の土曜日、フェスタなんだけど、PTAの委員総出で、フランクフルトとか焼きそば焼いて売るんだよね」
「へえ」
「売ったり作ったりするのはまだいいんだけど、物品の管理がすごくて、雑巾1枚、ラップ1本、スポンジ1つ、ぜんぶちゃんと返却したかをチェックするのがもう……」
「なんだそれ」
「つうか、フェスタ自体、こんな形式でやらないといけないのかね? 前の学校ではなかったんだけど。バザー委員会がバザーしていただけだったんだが、ここの学校では横断的に委員が総出でやるんだよ。やめてもいいと思うんだけど」
「PTAの仕事って減らないよなあ」
「なんで減らないのかね」
……というつい先日、ぼくがした会話が想定される。
そこで本書の出番である。
本書冒頭の「PTAの仕事はなぜ増えつづけるのか?」にこうある。
PTAでは、「前年どおり」が目的化しがちなことと、「人が入れ替わる」ことによって、仕事が減りにくいことがおわかりいただけたでしょうか。(p.16)
それはおそらく、PTAは「子どものため」の活動をしているからでしょう。
「子どものため」に手をかけること、すなわち活動を増やすことは、一般的に「すばらしいこと」「賞賛されるべきこと」とみなされますが、活動を減らすことは「よろしくないこと」と認識されています。そのため、「増えるけど、減らない」という現象が起きるのです。(同前)
ここには端的に、活動を増やすさいのポジティブなエートスもパトスもロゴスもふんだんに用意されていても、減らす方にはがあまりにも貧弱なものしかないことが示されている。
あたかもカフェで、大塚という、「ちょっと詳し目の人」が軽く語って、他の人に気づきや方向づけを与えているかのような風景。
もしぼくがそのカフェにいたら、話の方向として、「じゃあ、PTAの仕事を見直して減らすことが子どものためにこんなにすばらしいという大義の旗印ってあるかな?」というように転がっていくと面白いと思う。



