- 2016年10月25日 21:27
フィリピンをめぐる日米・中の綱引き:援助競争で「売り手市場」になる世界
2/2「米国に近い」が故の反動
この状況のなか、「自らの利益を最大化する」という合理性の観点からみて、日米・中を天秤にかけて両方から実利をせしめることが、フィリピン政府にとって最上の選択となったとしても、不思議ではありません。「援助すれば味方につくはず」と思うのは、援助を提供する側のいわば勝手であって、援助する側が自分の都合で援助しているのと同じく、援助を受ける側も自分の都合で受けている以上、先方にどのような判断が働いたとしても、文句を言える筋合いではありません。援助が善意だけでなく、外交の一環として行われる以上、それが国際政治の現実とさえいえます。
フィリピンの場合、冷戦時代からフィリピンが日米と近かったのは確かです。しかし、それはフィリピンからみれば「それしか選択肢がなかった」からでもあります。「それしかない」からこそ、沖縄と同様、あるいはそれ以上の米兵による無法な振る舞いも我慢し、ヴェトナム戦争にも付き合わざるを得なかったわけです。
それに鑑みれば、それ以外の選択肢、つまり中国が出てきた時、フィリピンの側にそれまで抑えられていた様々な感情が噴き出したとしても、不思議ではありません。その意味で、ドゥテルテ大統領の言い分は極めてラフなものであるとしても、フィリピン国民から少なからず支持を受けるものであると同時に、米国にこれまでのフィリピンに対する扱いを思い起こさせ、「より丁寧な処遇」を求める圧力になるのは確かです。
冒頭で述べた、「ドゥテルテ大統領が心底中国を礼賛しているか」を問うことに意味がないというのは、この文脈においてです。台頭する中国はフィリピンにとって、多くの開発途上国にとってと同じく、あるいはこれまで関係が近かったが故にむしろより一層、米国に対してバランスをとる存在、カウンターバランスと映りがちです。そのなかで、ちょうど「他に選択肢がないから西側と友好的に振る舞っていた」のと同じで、「西側からいいように扱われないために、利用できる限り中国を利用する」という判断が働いたとしても、不思議ではないのです。
「売り手市場」における勝者は誰か
中国の台頭に代表されるように国際政治が多極化するにともない、「売り手市場」の構図が鮮明になるなかで、歴史的に米国と関係が深い国の政府のなかには、フィリピンほど露骨にでないにせよ、米国への警戒感と反感を示し始めた国は少なくありません。特にユーラシア大陸では、対テロ戦争の関係もあって、パキスタン、サウジアラビア、トルコなどで米国への批判的なトーンが強まっています。なかでも、今年7月のクーデタの黒幕とトルコ政府がみなすギュレン師が米国に滞在していることにエルドアン政権は批判を強めており、入れ違いのように、昨年11月の戦闘機撃墜事件を機に悪化していたロシアとの関係は急速に回復しています(この文脈で、ドゥテルテ大統領が「失脚させられるものならやってみろ」とCIAを挑発したことは示唆的です)。
ただし、この環境が、中国が進める「一帯一路」構想を加速度的に推し進める条件になるとは限りません。ミャンマーでは2011年に総選挙が行われ、これを契機に1988年のクーデタで成立した軍事政権が徐々に民主化を進め、それにともない欧米諸国の経済制裁も解除され、いまや「東南アジア最後のフロンティア」と呼ばれるに至っています。この一因として、欧米諸国が1988年以来経済制裁を敷いてきたなかで投資を拡大させてきた中国のオーバープレゼンスに対して、ミャンマー政府が警戒感を強めたことがあげられます。また、伝統的に中国と友好関係の深いイランが、昨年の歴史的な核開発合意を転機に西側諸国との関係を一気に改善し、それ以来日本からも投資が相次いでいます。これらのケースにはそれぞれ固有の事情がありますが、世界が多極化するなかで、西側と関係の深かった国で反米的な声が出るケースがあるのと同様に、中国と関係の深い国で西側との関係改善を模索するケースも頻発していることは確かといえるでしょう。
すなわち、世界が「売り手市場」になるにつれ、各国は軸足を微妙にシフトさせながら、自らの利益の確保を図っているのです。しかし、その状況のなかで大国は、いわば「走らなければ負ける」という脅迫観念を抱えながら、果てしないマラソンに向かっているともいえます。
一方で、「売り手市場」であることにより、日本を含む援助の出し手は要望されるままに援助を提供しがちで、開発途上国の政府自身による汚職や人権侵害の蔓延も国際的に放置されがちです。さらに、援助競争が過熱するほど、緊張がエスカレートするばかりか、大国自身の財政負担が増すばかりです。それはちょうど、冷戦期の核軍拡競争が米ソの財政赤字を増加させたことや、冷戦終結によって「援助競争」が終わった後、先進国の間に「援助疲れ」が蔓延したことを想起させます。
その意味で、冷戦期に米ソが財政負担が大きくなりすぎた軍拡競争にブレーキをかけるために軍縮交渉に着手したことは、合理的・現実的な判断だったといえます。この観点から現代を振り返れば、大国自身の財政負担に鑑みても、あるいはむやみに大盤振る舞いすることが、逆に開発途上国にとっての自立心や向上心を阻害する点に鑑みても、日米・中には野放図に援助を拡大させないための協議を、非公式の形であっても行うべきでしょう。そうでなければ、「走らなければ負ける」マラソンをどちらかが潰れるまで走り続けなければならず、そのレースに勝ったとしても、大きな負債を抱えることになるのはほぼ間違いないのです。
※Yahoo!ニュースからの転載- 六辻彰二/MUTSUJI Shoji
- 国際政治学者



