記事
- 2011年08月09日 19:57
インターネットと留学
普段から愛読している『月明飛錫』に「言葉を発することは自由になったのに、言葉が権力に届かない」という記事が掲載されており、大変興味深かったのでこれについて少し。
これはソビエト崩壊後の状況と、現在のインターネットで自由に情報が発信できるようになったことを対比して書かれたものです。共産主義体制が崩壊したのち、一部の者だけがうまく立ち回り巨万の富を築いたロシア。
マスメディアの権威が凋落したが、インターネットを駆使し、影響力を行使できるものは一握りのものに過ぎず、大半の者は情報を発信しても、「ほとんどは、無名の大衆の1人、声無き民のまま」「情報を発信することは自由にできるが、その言葉が権力に届かず、世論を動かすことにもなら」ず「不満が高まっている」現状。
読んでいて大変身につまされる記事でした。マスメディアが凋落したとはいっても、読売新聞が約1000万、朝日新聞の約800万の販売部数を誇っているわけですから(押紙などの問題は省きます)、個人の影響力とは比べものになるはずもありません。
実際、いろいろ批判されることがあるとはいえ、書かれている情報量、精度が比べものにならないことを考えると仕方のないことなのは言うまでもありませんが、人は自分のこととなるとどうも客観的に見ることができないのが世の常で、なかなかそうは考えることができないようです。
これと同時期見た記事で興味深かったものに、『メンズサイゾー』に掲載されていた「ロンブー淳が一般人に「フォロワー8人のお前に影響力ない」 Twitterで相次ぐ有名人の”暴言”」があります。この記事で最も私が考えさせられたのが「Twitterでは「フォロワー数」がユーザーの影響力を示す数値ともなるが、前述のロンブー淳のように自身の影響力を誇るような発言をしてしまう有名人もいる。」という部分です。
当然運もあるでしょうが、有名になるためにそれだけ努力したり、才能があったのでしょうから、それなりの待遇を求めるのは理解できますが、「暴言」はいただけません。また、この記事が「一般人」「有名人」というくくりで記事を書いているわけですが、これが現実かと考えさせられました。つまり、こうした「有名人」はインターネットという情報発信方法を手に入れたことにより、直接情報を発信し影響力を行使できますが、一般の方にはこれほどの影響力はありません。
そして「有名人」は既存マスメディアの力により「有名人」になったことを自分自身もよく理解しており、間違ってもそれらを批判することはしません。もちろんインターネットを通じて有名になった方もおり、この記事でも「カリスマブロガー・きっこ」の事例を挙げておりました。しかし、思うに既存メディアで有名になった方より圧倒的に少数でしょうし、何よりネット以外ではさほど知名度がないというのが現実かと思います。
つまりインターネットは手段でしかないので、インターネットを使えば何かができるわけでなく、本人が現実にできることを写すものでしかありません。英語ができない人はネットを使っても英語ができるようになりません。同じく論文をろくに書けないものがインターネット上では見事な論文がかけるということはありえません。つまり普段考えていることしかネット上で発表できないわけで、それで人気がないのは普段考えていることもその程度にしかすぎないというわけですが、なかなか認めたくないものです。
これでふと思ったのが留学とインターネットとの関係です。留学さえすれば何とかなると思っている方がいるようですが、日本の大学でロクに勉強しなかった方が外国にいけば勉強するようになるということはまずありません。留学にヘンな期待を抱いていた方に何人かお会いしたことがありますが、語学は基本的に努力の積み重ねですから、日本で努力できなかった人が習得できる可能性は高くないと考えます。
また、仮に口語の能力だけを鍛え上げたとしても、言うべき内容が伴わなければ誰も聞いてくれません。つまり、インターネットも留学も目的ではなく、所詮手段にしかすぎず、自分のできることを体現するものでしかありません。しかし、いかにも無限の可能性があるような宣伝をよく見ます(語学学校のCMなどがその典型かと)。そうしたことを信じてしまった方が現実に直面して、いろいろ不満を高める、そういう面もあるのではないかと考えて次第です。
これはソビエト崩壊後の状況と、現在のインターネットで自由に情報が発信できるようになったことを対比して書かれたものです。共産主義体制が崩壊したのち、一部の者だけがうまく立ち回り巨万の富を築いたロシア。
マスメディアの権威が凋落したが、インターネットを駆使し、影響力を行使できるものは一握りのものに過ぎず、大半の者は情報を発信しても、「ほとんどは、無名の大衆の1人、声無き民のまま」「情報を発信することは自由にできるが、その言葉が権力に届かず、世論を動かすことにもなら」ず「不満が高まっている」現状。
読んでいて大変身につまされる記事でした。マスメディアが凋落したとはいっても、読売新聞が約1000万、朝日新聞の約800万の販売部数を誇っているわけですから(押紙などの問題は省きます)、個人の影響力とは比べものになるはずもありません。
実際、いろいろ批判されることがあるとはいえ、書かれている情報量、精度が比べものにならないことを考えると仕方のないことなのは言うまでもありませんが、人は自分のこととなるとどうも客観的に見ることができないのが世の常で、なかなかそうは考えることができないようです。
これと同時期見た記事で興味深かったものに、『メンズサイゾー』に掲載されていた「ロンブー淳が一般人に「フォロワー8人のお前に影響力ない」 Twitterで相次ぐ有名人の”暴言”」があります。この記事で最も私が考えさせられたのが「Twitterでは「フォロワー数」がユーザーの影響力を示す数値ともなるが、前述のロンブー淳のように自身の影響力を誇るような発言をしてしまう有名人もいる。」という部分です。
当然運もあるでしょうが、有名になるためにそれだけ努力したり、才能があったのでしょうから、それなりの待遇を求めるのは理解できますが、「暴言」はいただけません。また、この記事が「一般人」「有名人」というくくりで記事を書いているわけですが、これが現実かと考えさせられました。つまり、こうした「有名人」はインターネットという情報発信方法を手に入れたことにより、直接情報を発信し影響力を行使できますが、一般の方にはこれほどの影響力はありません。
そして「有名人」は既存マスメディアの力により「有名人」になったことを自分自身もよく理解しており、間違ってもそれらを批判することはしません。もちろんインターネットを通じて有名になった方もおり、この記事でも「カリスマブロガー・きっこ」の事例を挙げておりました。しかし、思うに既存メディアで有名になった方より圧倒的に少数でしょうし、何よりネット以外ではさほど知名度がないというのが現実かと思います。
つまりインターネットは手段でしかないので、インターネットを使えば何かができるわけでなく、本人が現実にできることを写すものでしかありません。英語ができない人はネットを使っても英語ができるようになりません。同じく論文をろくに書けないものがインターネット上では見事な論文がかけるということはありえません。つまり普段考えていることしかネット上で発表できないわけで、それで人気がないのは普段考えていることもその程度にしかすぎないというわけですが、なかなか認めたくないものです。
これでふと思ったのが留学とインターネットとの関係です。留学さえすれば何とかなると思っている方がいるようですが、日本の大学でロクに勉強しなかった方が外国にいけば勉強するようになるということはまずありません。留学にヘンな期待を抱いていた方に何人かお会いしたことがありますが、語学は基本的に努力の積み重ねですから、日本で努力できなかった人が習得できる可能性は高くないと考えます。
また、仮に口語の能力だけを鍛え上げたとしても、言うべき内容が伴わなければ誰も聞いてくれません。つまり、インターネットも留学も目的ではなく、所詮手段にしかすぎず、自分のできることを体現するものでしかありません。しかし、いかにも無限の可能性があるような宣伝をよく見ます(語学学校のCMなどがその典型かと)。そうしたことを信じてしまった方が現実に直面して、いろいろ不満を高める、そういう面もあるのではないかと考えて次第です。



