- 2016年10月11日 12:47
「殺さない」「殺させない」という生き方 『関東大震災朝鮮人虐殺の記録』編著者、西崎雅夫氏インタビュー
2/2――このたび、これまでに集めた証言を『関東大震災朝鮮人虐殺の記録・東京地区別1100の証言』としてまとめました。「地区別」としたのには何か理由があるんでしょうか?
地区別にまとめることで、一つの事例に関する複数の証言に接することができ、そこで何が起こったのかがはっきりと見えてくる。いわば複眼で見ることができる、それがメリットだと思います。またその地域での事件や流言の特徴が把握できる。
たとえば新宿区では当時あった淀橋浄水場に朝鮮人が毒を入れるとか、そのすぐそばにあったガスタンクに火をつける、などの流言蜚語が流れます。そのデマを聞いて自警団が右往左往するさまを複数の証言が伝えています。こうした地域特性はどの地域でも見られます。読者は自分の住む地域で何があったのか、知りたくなるのではないでしょうか?(私自身はそうでした。)
その上で地図や新旧地名対照表もつけてあるのでそれを参考にしながら、事件現場に立ってほしいのです。いわば個々人でフィールドワークをしてほしい。そこで感じたことを大切にしてほしい。
画像を見る西崎雅夫氏(「ほうせんかの家」の前で) 写真撮影=松井康一郎
――最近では、横浜市教育委員会が、中学生の歴史の副読本から関東大震災における朝鮮人虐殺についての記述を削除する方向であるという報道も出ました。ネット上では、「虐殺はなかった」など、歴史修正主義的な動きもみられますが、どのように感じていますか?
加害の歴史を「無かったこと」にしてしまおうとする政治的・社会的圧力が強まっています。具体的には教科書検定や日本史副読本の記述歪曲に現れています。それに対して私は、この証言集もそうですが、事実を積み上げることで対抗できると思っています。そしてそれを伝え続けることが大切だと。
私は34年前大学生の時に荒川土手で「本当にむごいことだった。あんなことは二度と繰り返しちゃいけないと思うから、若いあんたらに話すんだよ」とお年寄りに言われたことを今でもよく覚えています。私の世代は、当時のことを知る人々から虐殺事件の目撃証言を聞いた最後の世代だと思います。だから私は語り続けるのです、「あんなこと」を二度と繰り返さないために。
ここで、ある日のフィールドワークに参加した東京の中学校教員からの報告を紹介します。
「知ってしまった者は、それを伝えなければならない」という西崎さんの言葉が心に刻み込まれました。中学2年生の歴史の授業で、このフィールドワークで知ったことをしっかりと伝えることが出来ました。教科書検定で、犠牲者の数を書くことに対し、検定意見が付きました。歴史学の研究成果として通説となっている“数千人”と書くことが許されず、当時の政府調査の約230人という数字まで並べなくてはならないという現実。せめて本文に“おびただしい”と書くことで抵抗を示しましたが、これは、まさに現在の問題なんだ、と。生徒たちは、食い入るような眼差しで話を受けとめてくれました。
歴史修正主義に対抗するものは、最終的には個々人の日常的な活動だと思います。私はフィールドワークを通して参加者ひとりひとりに語りかけます。その参加者が今度は自分の生活の場で歴史の真実を語り継いでくれています。こうしたフィールドワークは小さな取り組みですが、影響力は大きいと思っています。
――西崎さんは本のまえがきで、証言を集める活動を通して「殺さない」「殺させない」日本人として生きる決意をされたと書かれています。なぜそのように思われるようになったのか、心の軌跡についてお聞かせください。
荒川土手で聞いたり図書館巡りで得た証言のひとつひとつに向き合う中で、私は関東大震災時に東京で何が起きていたのかを知ることができました。たとえば坂巻ふちさんの証言(目撃場所は白鬚橋付近の隅田川)を紹介してみます。
ひもを身体にゆわえて朝鮮人が川にはいって死んでいるのです。[略]そこへ行くまでにも10人くらいの朝鮮人がみんな針金で足をゆわかれ、3人くらいずつ一緒に、多い人は10人くらい一緒に足を少し離してつなげてね、だから皆つながっているのです。[略]お腹の大きい赤ちゃんが生まれるような人が自分のお腹を結わえられて水に投げられ、赤ちゃんが生まれちゃって、赤ちゃんがへその緒でもってつながっているんです。そしてお母さんがあお向けに浮いている、赤ちゃんがフワフワ浮いているんです。
初めてこの証言を読んだとき涙が止まりませんでした。数日後現場に立ってみると上に高速道路が通る殺風景な土手でしたが、川の流れは昔と同じなのだろうと思いました。その場で改めて「こんなことは二度と起こしてはいけない」と腹の底から思ったことを記憶しています。そんなふうに各事件現場に立ちながら証言内容を確認してまわることを数年間続けました。その中で自分は何があっても「殺さない」「殺させない」と自然に考えるようになりました。私がこうした証言から学んだことは、知識や思想ではなく「殺さない」「殺させない」という生き方です。
画像を見る西崎雅夫(にしざき・まさお)
一般社団法人ほうせんか理事
1959年、東京都足立区生まれ。
明治大学在学中、「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し慰霊する会」(のちに「追悼する会」と改称)発足に参加(事務局・文献史料班・発掘準備班に所属)。
1984年より、足立区・江東区・江戸川区で中学校教諭として勤務のかたわら、1993年、社会教育団体「グループほうせんか」設立時、代表世話人となる。2010年、「一般社団法人ほうせんか」設立。現在理事。



