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「東京一極集中は弊害か否か」の論点整理

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ところで、私がブログ記事を書くのは実に1年半ぶりで(今はツイッター廃人である)、そんな私がすごく久しぶりにブログ記事を書こうと思ったのは、一昨日のBLOGOSに転載されたSYNODOSの「都市に住むことの本当の価値とは?――「東京一極集中の弊害」論の誤り / 『東京どこに住む?』著者、速水健朗氏インタビュー」(2016/10/6)の記事を読んで少し違和感を覚えたからである。しかし、私は過去に同氏の著書『都市と消費とディズニーの夢――ショッピングモーライゼーションの時代』(2012/8/10)をブログ記事で思いっきり批判したことがあって、すると今回は2度目になってしまうので、もし私が逆の立場だったら非常に“鬱陶しい奴”にしか映らないだろうなと想像するのは難くないので、再び批判的なブログ記事を書くか、それとも無難にスルーするかで大いに悩んだのだが、私がそのブログ記事を書いたのはかなり昔のことなので、もう時効なのではないかと思われる。よって、前述のSYNODOSの記事へのやや批判的なブログ記事を今回書くことにした。この判断にそれほど自信があるわけではないが、今回のこの双方の意見の相違から「東京一極集中」の賛否に関するより良質な議論へ、更にはより広い意味での新しい「東京論」へ展開するささやかなきっかけにでもなれば幸いである。いずれにせよ、それらについては今回のこの私の記事を読まれた皆さまに委ねるとする。

さて、前述の速水健朗氏インタビューの記事を読んで私が少し違和感を覚えたのは、まず第一に「東京一極集中」への批判は「嫌経済成長」「反資本主義」であると同氏が見なしている点である。私はそこまで強くは言えないし、そもそも「東京一極集中」は経済成長をもたらしているのだろうか? 今回の私のこの記事の冒頭に「先月、私は「「東京一極集中」が経済成長をもたらすという証拠はない?」と題したtogetterをつくった」と書いたが、これはそれへの疑義である。

第二に、同氏が今の東京の「都心回帰」は「自然な流れ」であると見なしている点である。私はつくづく思うのだが、この「自然」という言葉は非常に“有能”である。日本人は古来から「自然との共生」を好んできたせいか、この「自然」という言葉を使われるとその雰囲気だけでつい納得してしまったりするので、私は用心するようにしている。と言うのも、日本の建築家たちもこの「自然」という言葉を多用するのである。あまり大きな声では言えないが、日本の建築家たちはこの“魔法の言葉”を使うことでクライアントを煙に巻いているのではないかと私は疑っている。とは言え、「自然」とは何か? を問い始めると途方もなく哲学的な話になるだろうし、かなりの高確率でしょうもない話になるだろうから(ホッブズ、ロック、ルソーでは「自然」という言葉がそれぞれ違う意味で使われているうんぬん)、これ以上は書かないでおくが、仮に東京の「都心回帰」が「自然な流れ」であったとしても、その「自然な流れ」が都市に経済成長をもたらしているかどうかは全く別の話である。「自然な流れ」に委ねるよりも都市に経済成長をもたらす合理的な都市政策があるならば、それを採用したほうが良いのではないだろうか?

また、アメリカの大都市でも確かに2000年以降に「都心回帰」が起きているが、だからと言って「郊外化」が止まったという話を私は聞いたことがない。それにも関わらず「都心回帰」は「自然な流れ」で「郊外化」はそうではないと同氏が見なしているのはちょっと理解できないし、また、都市経済学者のリチャード・フロリダは先日CityLabに掲載された「What if no one is actually bowling alone?」(2016/10/2)の記事で「都心」の暮らしと「郊外」の暮らしは実はたいして違わないと論じている。更に、リチャード・フロリダは「都心回帰」による地価(家賃)の上昇はイノベーションの妨げになるとも論じていたはずである。前述したように、経済成長の原動力はイノベーションである。「都心回帰」はそれを阻害している可能性も考えられるのではないだろうか?

そして第三に、「東京はエコである」(都市集中はエコである)と同氏が論じている点である。これも本当なのだろうか? 「東京はエコである」と主張される時に決まって用いられるのは「交通」に要するエネルギーの話である。確かに自動車よりも鉄道のほうがエネルギーを消費しないし、東京での主な交通手段は鉄道であるから「東京はエコである」と思えるのかも知れない。しかし、それはあくまで消費されるエネルギーを「交通」に限定した場合である。消費されるエネルギーの「全て」を合計した場合では東京都が消費するエネルギー(一人当たり)は都道府県別でワースト10以内にランクインしている。東京都よりも上位にランクインしているのは北海道や青森県など寒冷地にある都道府県のみで(寒冷地では暖房でエネルギーを多く消費する)、それら寒冷地にある都道府県を除くと東京都がワースト1位となる。よって、「東京はエコである」は正しくないと言わざるをえない。ところで、なぜそうなるのだろうか? その理由は実は身も蓋もないことで、消費されるエネルギーは「所得」と強い相関関係があるからである。東京都で消費されるエネルギー(一人当たり)が多いのは東京都の平均所得が高いからに他ならない。つまり、都市の経済成長とその都市がエコであるか否かはトレードオフの関係となっているのである。よって、仮に「都市集中」が経済成長をもたらしているならば「所得」も上昇してその都市で消費されるエネルギーは増大するので「都市集中はエコである」は正しくないということになる。逆もまた然り。速水健朗氏はこのインタビュー記事で都市の経済成長とその都市がエコであるか否かはあたかも両立しているかのごとく語られていたが、それは二兎を追っているようなものである。

では最後に「東京はエコである」(都市集中はエコである)に関して上記とはまた違った論点を提示しておこうと思う。自動車はCO2を大量に排出するのでエコではないと言われているが、その燃料の石油の元売り会社(ENEOS、出光興産、エクソンモービル、コスモ石油、昭和シェル石油など)の本社は全て東京にあって、東京に莫大な利益をもたらしている。なので、CO2の排出量は(法人税と同様に)本社の所在地でカウントすべきであるとは考えられないだろうか? そうすれば「東京はエコである」は全く正しくないことに誰しもがすぐ気づくだろう。こんな話は荒唐無稽と思われるかも知れないが、全くそんなことはない。東京に本社がある企業が工場を地方につくろうと海外につくろうと、その本社が所有してその本社に莫大な利益をもたらす工場からCO2が排出されることに変わりはないからである。現状では排出されるCO2が本社のある東京の排出量としてカウントされていないというだけである。つまり、これは人為的な“カウントの仕方”の問題にすぎないのである。NIMBYになってはいけない。東日本大震災(2011/3/11)で被災した福島第一原発は東京に電力を供給していたのだが、なぜこの原発は東京にではなく福島にあったのだろうか? この問いの答えは「東京一極集中」の真の正体を明かすもう一つの答えである。五十嵐泰正他著『常磐線中心主義』(2015/3/26)に詳しく書かれているように、地方と東京は対となる空疎な概念なんかではなくて、距離のグラデーションでしっとりつながっている。「東京一極集中」は弊害か否か、今こそより一層の議論が求められる。

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