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- 2016年10月07日 11:56
「100年かかるジャーナリズムの壮大な実験」ビデオニュース・ドットコム・神保哲生代表インタビュー
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AP通信など海外メディアの記者を経て、ビデオジャーナリストの先駆者として活躍する神保哲生さんがニュース専門のインターネット放送局「ビデオニュース・ドットコム」の本放送を開始したのは、2000年1月。
それから16年間、ネット動画でニュース番組を放送する試みを続けてきた。同時にビジネスモデルとして、ネットメディアの主流である広告モデルをとらず、開設当初から有料会員制を採用し、真に独立した公共的なジャーナリズムを目指してきた。どのような思いを抱きながら、ビデオニュース・ドットコムの運営を続けてきたのか、神保さんにインタビューした。(取材・構成:亀松太郎/写真:大谷広太)

ービデオニュース・ドットコムのサイトを見ると、「真に独立した公共的な報道を行う目的で」日本初のニュース専門インターネット放送局を開局したと書かれています。ここには、どのような意図が込められているのでしょうか。
神保:僕はアメリカの新聞社や通信社の記者経験を通じて、民主主義社会におけるジャーナリズムの重要性を肌身で感じてきました。民主主義が健全に機能するためには、公共的なジャーナリズムを担うメディアの存在が絶対不可欠だと確信しています。
ところが、インターネットの登場によって、情報の伝送路の独占・寡占を前提とする既存メディアのビジネスモデルが崩れてきた。その結果、新聞や通信社、テレビといったジャーナリズムの伝統的な担い手が、本来のジャーナリズムの機能を果たすことが困難になってきています。
既存メディアはこれまで伝送路の独占という特権がもたらしてくれる「余裕」があったからこそ、公共的なジャーナリズムを実践することが可能だったのだと思います。営利企業である報道機関が、自社の商業的利益と公共的な利益がぶつかったとき、公益を優先できるかどうか。それは、経営にある程度の余裕がないと困難です。
たとえば、重要だけど比較的地味な問題が起きているとしましょう。その問題を本格的に取材しようとすると、膨大なコストがかかる。だけど、その報道によって必ずしも部数や視聴率が稼げるわけではない。その時、メディア企業は利益を度外視して公共性を優先できるでしょうか。本来それは、民間の営利企業には難しいことです。
ならば公共的な報道は「NPO」が担うべきだということで、アメリカではプロパブリカ(米国の調査報道NPO)のようなNPOメディアが登場して一定の実績をあげています。しかし、NPO型のジャーナリズムにも弱点があります。それは、どうしても大口のドナー(寄付者)の顔色を見てしまうことです。ドナーは報道内容には口を出せないことになっていますが、翌年も同じくらいの寄付をしてもらいたければ、そのドナーがどういうものを求めているのかを、忖度しないわけにはいきません。
僕自身はジャーナリズムがその独立性を維持するためには、これまで通り市場原理の中で生き抜けるようにならなければダメだと考えています。ただ、既存のメディアがこれまで、曲がりなりにもそのような公共的な役割を果たすことができていたのは、彼らが非常に特権的な地位を享受していたからに他なりません。技術的な制約ゆえに情報の伝送路に大きな希少価値があり、既存のメディアはそれを独占することにより、大きな利益をあげることが可能でした。
新聞の宅配網やテレビの放送免許といった希少価値の高い特権をいったん手に入れることができれば、その後はほとんど市場競争に晒されることなく、安定的な経営が可能でした。そのような特権的な状況がもたらす余裕があればこそ、既存のメディアはさしたる経営努力をせずとも、公益性だの独立独歩だのといった綺麗ごとが言えたんだと思います。
ところが、そんな牧歌的なメディア市場に、黒船インターネットがやってきた。そこでは伝送路が開放されて、誰でも不特定多数に向けた情報発信に自由に参入することができる。既存メディアのサイトにも、中学生のブログにも、同じような広告が出て、クリック数を競っている。そんな状況の中で「公共的なジャーナリズム」が生き残っていけるのか。僕にとってはそれが、メディアを主宰する経営者としての、唯一の関心事と言ってもいいでしょう。
それから16年間、ネット動画でニュース番組を放送する試みを続けてきた。同時にビジネスモデルとして、ネットメディアの主流である広告モデルをとらず、開設当初から有料会員制を採用し、真に独立した公共的なジャーナリズムを目指してきた。どのような思いを抱きながら、ビデオニュース・ドットコムの運営を続けてきたのか、神保さんにインタビューした。(取材・構成:亀松太郎/写真:大谷広太)
■既存メディアの特権があったから「ジャーナリズム」は維持できた

ービデオニュース・ドットコムのサイトを見ると、「真に独立した公共的な報道を行う目的で」日本初のニュース専門インターネット放送局を開局したと書かれています。ここには、どのような意図が込められているのでしょうか。
神保:僕はアメリカの新聞社や通信社の記者経験を通じて、民主主義社会におけるジャーナリズムの重要性を肌身で感じてきました。民主主義が健全に機能するためには、公共的なジャーナリズムを担うメディアの存在が絶対不可欠だと確信しています。
ところが、インターネットの登場によって、情報の伝送路の独占・寡占を前提とする既存メディアのビジネスモデルが崩れてきた。その結果、新聞や通信社、テレビといったジャーナリズムの伝統的な担い手が、本来のジャーナリズムの機能を果たすことが困難になってきています。
既存メディアはこれまで伝送路の独占という特権がもたらしてくれる「余裕」があったからこそ、公共的なジャーナリズムを実践することが可能だったのだと思います。営利企業である報道機関が、自社の商業的利益と公共的な利益がぶつかったとき、公益を優先できるかどうか。それは、経営にある程度の余裕がないと困難です。
たとえば、重要だけど比較的地味な問題が起きているとしましょう。その問題を本格的に取材しようとすると、膨大なコストがかかる。だけど、その報道によって必ずしも部数や視聴率が稼げるわけではない。その時、メディア企業は利益を度外視して公共性を優先できるでしょうか。本来それは、民間の営利企業には難しいことです。
ならば公共的な報道は「NPO」が担うべきだということで、アメリカではプロパブリカ(米国の調査報道NPO)のようなNPOメディアが登場して一定の実績をあげています。しかし、NPO型のジャーナリズムにも弱点があります。それは、どうしても大口のドナー(寄付者)の顔色を見てしまうことです。ドナーは報道内容には口を出せないことになっていますが、翌年も同じくらいの寄付をしてもらいたければ、そのドナーがどういうものを求めているのかを、忖度しないわけにはいきません。
僕自身はジャーナリズムがその独立性を維持するためには、これまで通り市場原理の中で生き抜けるようにならなければダメだと考えています。ただ、既存のメディアがこれまで、曲がりなりにもそのような公共的な役割を果たすことができていたのは、彼らが非常に特権的な地位を享受していたからに他なりません。技術的な制約ゆえに情報の伝送路に大きな希少価値があり、既存のメディアはそれを独占することにより、大きな利益をあげることが可能でした。
新聞の宅配網やテレビの放送免許といった希少価値の高い特権をいったん手に入れることができれば、その後はほとんど市場競争に晒されることなく、安定的な経営が可能でした。そのような特権的な状況がもたらす余裕があればこそ、既存のメディアはさしたる経営努力をせずとも、公益性だの独立独歩だのといった綺麗ごとが言えたんだと思います。
ところが、そんな牧歌的なメディア市場に、黒船インターネットがやってきた。そこでは伝送路が開放されて、誰でも不特定多数に向けた情報発信に自由に参入することができる。既存メディアのサイトにも、中学生のブログにも、同じような広告が出て、クリック数を競っている。そんな状況の中で「公共的なジャーナリズム」が生き残っていけるのか。僕にとってはそれが、メディアを主宰する経営者としての、唯一の関心事と言ってもいいでしょう。



