- 2016年09月20日 17:01
蓮舫民進党が政権取るための戦略はこれだ(その1)
2/3個人的な感覚をいうと、例えば私のクライアントに「伝統的な地方の重鎮的企業の息子さん」とか、「100年以上続く和菓子屋さんの娘さん」という立場で生まれ育ってきた人がいますが、その「受け継いだモノ」が大きければ大きいほど、若いころは反発を覚えたりするのが当然っちゃ当然で、ずっと長年の若い頃からの発言を拾っていったら色々とその「受け継いだもの」をディスってることが多いだろうと思います。
でも人間成熟してくると、色々と反発を持っていた「自分が受け継いだもの」に対してだんだん理解が進んできて、ある時点で「意志を持って引き受ける」ような成長をするのが理想だと私は思いますし、「放蕩息子のたとえ話」じゃないですが、本当に「意志を持って選ぶ」となった時には、人生の前半において寄り道を多少している存在の方が実際には信頼できたりする感覚があります。
なので、蓮舫さんについても過去どんな発言してたとかではなくて、「蓮舫さんにとって日本人であるということは」ということについて「意志を持って引き受けて答を出していく今後」が大事なんだと思います。中華系の血を受け継ぎつつ、日本人の母の元に生まれ、日本社会に日本語を母語として育ち、日本で仕事をし日本人と結婚して日本で子育てをされている蓮舫さんのリアリティが問われている。
その「リアリティ」には、「狭い意味でこうでなくちゃ日本人じゃないという押し付け」からははみ出しているものが多いでしょうが、しかし一方で、「理解のない日本社会に抑圧されてきた”中華系”の自分」という自己イメージも薄っぺらいレッテルにすぎず、本当に生きてきた365日×50年弱のリアリティから見るとほんの一部の表層しか捉えられない見方だろうと思います。
今のところ、「狭い意味での日本人のレッテル」からはみ出しているからといって、「狭い意味での非常に脱臭消毒された”国際人のレッテル”」的な自己像で押し通そうとしているから多くの日本人から嫌われているようなところがあるわけですが、これを機会に、「本当に自分にとって日本に生きているというのはどういうことなのか」というのを深く問い直し、それが「単に日本以外のルーツを持ってる人だけが使える特権としての自己像」ではなくて、「旧来の日本社会に違和感があるが、しかしそこで生きていこうともしている多くの人々」に共通する普遍性を持ったビジョンに転換できるかが問われているのだと思います。
別に中華系じゃなくてもルーツが別の外国になくても、日本に生きるってのは結構面倒くさい部分もありますよね。もっと身軽で個人主義的な環境で生きれたらいいなあと思ったことが一度もない日本人というのはほぼいないでしょう。だけど、なんだかんだいって「それ(日本人であること)」を引き受けてみんな生きているわけです。そうやってみんなで協力しあってある種の秩序感やら美徳やらを獲得している「日本という国のあり方」ってのがあるわけで。
そこで、「ルーツを外国に持っているからといって”狭量な日本人ども”に抑圧された私たち」ビジョンで語られると、何代遡っても関西人しか出てきそうにない僕なんかは全然参加共感するヨスガがないわけです。
でも、「日本という国の伝統と、現代的な個人主義的感性の間で、どちらの良いところも消さないように、でも無駄におたがい息苦しい思いをしなくて済むように、生きるにはどうしたらいいだろうか?」という問いならば、純血に関西人な僕も、日台ハーフの蓮舫さんも、日韓ハーフの私の友人も、同じモードで参加できる。
今の時代、「狭量なナショナリズム」でないとしたら・・・といった時の代替選択肢が、「”郷に入りては郷に従え要素”がゼロになるまで決して許さない」ぐらいの極端なモードしかないからこそ分断が生まれるわけで、でも台湾をルーツに持ちつつ日本に生まれ育って日本で仕事をしてきた蓮舫さんの中にあるリアリティはそんな薄っぺらいものではないはずです。
そういう「より広い普遍性を持った価値」として「確かに台湾系だけど、自分だって日本のインサイダーなんだ」という決意と「引き受ける覚悟」と・・・・ってあんま大げさな言葉になるのは良くないんですが、要するに
「日本社会に抑圧された国際人の私が語るビジョン」
ではなくて、
「色んな意味で”自民党風の日本”には違和感あるタイプなんだけど、でも俺日本に生きることにしたんだよね。俺らの良さもちゃんと日本社会に反映させなきゃじゃね?」
という一貫したイメージが示せるかどうかが大事ってことですね。
そういう本質的な転換は単なるレッテル貼りからの欧米風の論理展開では実現しえず、「ルーツが他の国にあったりLGBTだったりしないと光り輝く”今解放されるべき存在”にはなれないらしい」というヒガミを抱えている世界中のフツウの人々の反抗としての「全世界的右傾化ポピュリズム」問題の根幹に、「生身すぎるほど生身」のレベルから丁寧に光を当ててゆくことになるでしょう。
そういう「本質的なチャレンジ」だと思って引き受けて欲しいと思っています。ある意味で昨今の世界最先端の「課題そのもの」みたいなものが、「レッテルからリアリティへのラストワンマイル」を丁寧に生身に昇華することによって活路が見いだせるはずです。



