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芸術の評価は主観的で、頼りないからこそ、素晴らしく、自由だ

先日、佐賀新聞社長の中尾清一郎さんと話していて、芸術の話になった。私も中尾さんも芸術愛好家である。それで、私が最近考えていること、すなわち、芸術の一番素晴らしいところは、評価が主観的であるところにあるのではないか、ということを言った。中尾さんは少し違う考え方のようだった。

中尾さんは、芸術には、やはり、たくさんのことを経験して、いろいろ観て、目が肥えた人にだけわかる世界もあるのではないかとおっしゃった。私にも、そういう考え方がわからないわけではないが、しかし、中尾説を証明するのはおそらく難しいと思う。

作曲家の三枝成彰さんは、「クラシック」というのは「古い」という意味ではなく、「素晴らしい」という意味だとしばしば言われる。確かに、100年も200年も残っている曲には素晴らしいものが多いと思うが、それさえも、主観に過ぎないのだと私は思う。

芸術の相対主義を言っているのではない。主観しか頼るものがないという、驚くべき事実こそが、芸術の素晴らしさなのではないかなあ、と思うのである。私の中には、作品を感じる一つの基準のようなものがあると思うけれども、それもまた、主観でしかないと思う。

ある人がAが良いという。別の人はBが良いという。ラノベこそが面白いという人もいれば、ラノベは小説ではないという人もいる。アカデミー賞はくだらないという人も、素晴らしいという人もいる。つまりは主観と主観がぶつかっているのであって、どっちが正解ということは、原理的にはない。

芸術は、結局、主観だから、不安になる人も出てきて、いろいろお墨付きが欲しくなる人もいる。賞だとか、ランキングだとか。しかし、そのようなお墨付きが、感動を保証するわけではなく、結局、主観でしかないということを徹底的に引き受ければ、そこには無限の自由が生まれてくると思う。

三枝成彰さんは『トリスタンとイゾルデ』が好きで、私も好きだが、この音楽史に残る傑作の感動も、徹頭徹尾主観で、客観的にその卓越を示すのは土台無理なんだとわかることが、芸術の素晴らしさと、頼りなさと、自由を担保することにつながると私は考える。

世界はもう分裂してしまっていて、芥川賞や直木賞が届くのは一部だけで、ボカロの歌の世界をノベライズした作品が神だと思う人もいて、もうその分裂ぶりが、私には気持ちよくてたまらない。芸術に上も下もない。徹頭徹尾、主観があるだけだ。

もっとも、以上の主張は相対主義ではなく、自分の主観は、逆に言えば絶対的なのである。心の中には、ヒエラルキーがあって、全く構わない。私が言いたいことは、そのヒエラルキーは、あくまでもプライベートなもので、公的なものではないということを知ることの大切さである。

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