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レイシズム2.0としてのアイデンティタリアニズム

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しばらく前、「はっきり呼ぼう、alt-right(オルタナ右翼)はまごうことなきレイシストだと」(Call the ‘Alt-Right’ Movement What It Is: Racist as Hell)という記事がRolling Stoneのウェブサイトに掲載された。

確かに、オルタナ右翼の言動にはいわゆるレイシスト的要素が色濃く感じられる。その一方で少なからぬ数のオルタナ右翼が、自分たちはレイシストではないと主張してもいるのである。もちろん単なる詭弁、言い逃れという面もあるのだが、彼らの言い分を少し追ってみたい。

理解する上で鍵となるのは、「アイデンティタリアニズム」(Identitarianism)という思想ではないかと私は思う。オルタナ右翼の代表的な論客の一人であり、「alt-right」という語を考案したとされるリチャード・B・スペンサーは、自身をアイデンティタリアンだと規定している。

スペンサーが編集主幹を務めるオンラインメディアRadix Journalでは、昨年(2015年)「私がアイデンティタリアンである理由」がテーマのエッセイ・コンテストを開催していた。それに寄せたコメントで、彼はアイデンティタリアニズムについて以下のように述べている。

第一に、アイデンティタリアニズムとは、アイデンティティを精神的、知的、(メタ)政治的運動の中心に、そして中核的な問題に据える思想である。言い換えれば、アイデンティタリアニズムは、経済や人権、公共および外交政策等々に関する単なる一論点ではない。アイデンティタリアニズムとは、こうした問題の全て(他にもいろいろあるだろう)は、より大きな問いを問うことによってのみ解決できるという主張である。それは、我々は何者なのか?我々は何者であったのか?我々は何者になるのか?という問いだ。そして、アイデンティティとは、(そうである場合もあるが)単なる血の呼び声ではない。

第二に、アイデンティタリアニズムは20世紀において標準的な、左翼/右翼の二分法を回避する(多くのアイデンティタリアンは右翼出身だが)。アイデンティタリアニズムは、今までと異なる新たな視点、そしてしばしば「左派」や「右派」として切り分けられてしまうエネルギーの統合に対して開かれている。「自由市場」「社会正義」あるいは「世界平和」とは我々にとって何であるのか、そのような語の意味を問い、そして我々の将来にとってそれらがどのような意味を持つのかを判断する必要がある。

第三に、アイデンティタリアニズムは「ナショナリズム」という語、およびその歴史と言外の意味を回避する。実際、アイデンティタリアンの中心的意図の一つは、ヨーロッパにおける「他者」への憎悪の咎で断罪された、最近の歴史的記憶におけるナショナリズムの克服である。

小難しく書かれているので意味が分かりにくいが、それでも何を言いたいかはだいたい分かる。まず、アイデンティタリアニズムは、ようはアイデンティティ至上主義なのである。ここで言うアイデンティティとは、ある集団が持つ文化や慣習、価値観を意味するようだ。スペンサーのようなアメリカの白人にとっては、それは西洋的な文化や慣習、価値観ということになろう。アイデンティティの問題が、経済的メリットや外交的配慮等に優先する、というのがアイデンティタリアニズムの基本的な主張ということになる。

(狭い意味での)レイシズムは、レイス、すなわち人種に基づく差別だった。例えばアメリカでは、黒人種や黄色人種といった白人種以外の人種を劣等人種と見なして差別したし、ナチス・ドイツはユダヤ人を、ユダヤ人という人種であるがゆえに虐殺した。

しかし、アイデンティタリアニズムは、一義的には人種を問題にしているわけではない。例えばアメリカでなら、黒人やユダヤ人、あるいは日本人が、西洋的な価値観を受け入れて西洋風に暮らせばそれでよい、ということになる(なお、アメリカにおいて、というか多くの先進国において信教の自由は絶対なので、別にキリスト教への改宗を求めているわけではない)。西洋的価値観といっても別に大した話ではなく、良き隣人として仲良く暮らしてください、という程度の意味だ。一方で、なかなか移住先に同化しない移民はもちろん、例えば人種的には白人であっても、イスラム国に洗脳されてアメリカでテロをやるような手合いは、価値観を共有していないので差別の対象となるわけだ。これが、アイデンティタリアンが自分たちはレイシストではないと主張する根拠である。レイスではない、問題はアイデンティティなのだ、と。

とはいっても、世の中には価値観が合わない、アイデンティティが異なる集団が多くある。昔なら、あるいは白人/西洋至上主義の立場に立つなら、そういう集団は劣っているのだから征服して教化しようとでもいう話になったのだろうが、さすがに現代に生きるアイデンティタリアンはそこまでは言えない。彼らが主張するのは、棲み分け(enclave)である。同じアイデンティティを持つ集団は、わざわざ他と混ざらずに、それぞれが元々住む地域で棲み分ければよいではないか、という話だ。これは、単純な移民排斥の論理ではない。自分の価値観、例えば宗教的規範に固執したいなら自分の国(あるいは地域)にいろ、勝手にしろ、こっちへ来るな、さもなくば歓迎しますよ、ということなのだ。なお、スペンサーは白人至上主義者とされることが多いのだが、彼自身はそうではないと主張していて、上記のような理解に立つなら、彼の言い分にも一理あると言える。ちなみに、先日スペンサーは(観光で)来日していたらしく、「ヒラリー・クリントンが演説でalt-rightに言及してくれたのはありがたい」「日本は国民国家なので多様性の問題が無く平和で素晴らしい」などと余裕綽々に語っていた。

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