- 2016年09月01日 06:00
欧州がおびえる「トルコ崩壊」という悪夢
大統領はスマホから市民に抵抗を呼びかけた
7月15日、トルコでクーデターが発生した。エルドアン大統領がバカンス中の隙を突いて軍の一部が決起し、ヨーロッパとアジアを隔てるボスポラス海峡に架かる橋やアタチュルク国際空港などを封鎖。最大都市イスタンブールや首都アンカラに戦車や軍用機を展開し、国営テレビ局を乗っ取って戒厳令と夜間外出禁止令をトルコ全土に発令した。
一方、休暇中だったエルドアン大統領は標的になりながらも難を逃れてイスタンブールに戻った。途中、スマートフォンのテレビ電話アプリ・フェイスタイム(FaceTime)を活用してCNNトルコにテレビ出演し、スマホから「広場や空港に集まってほしい。人民の力に勝る力はない」と国民に反乱軍への抵抗を呼びかけた。大統領のメッセージにモスクも呼応して、「これは聖戦だ。神のために街頭に出よ」と訴えた。クーデター側が占拠した国営テレビ局を通じて「表に出るな」と外出禁止令を出したにもかかわらず、大統領の呼びかけに応じて人々は表に繰り出して、イスタンブールやアンカラの街はクーデターに抗議する群衆で溢れた。翌16日正午には反乱軍はほぼ鎮圧されて、クーデターは失敗に終わった。もともと準備不足、イデオロギー不足のお粗末なクーデター計画だったようだが、世論をコントロールする情報戦で形勢が決まったといえる。既存のテレビメディアを掌握した反乱軍に対して、エルドアン大統領はフェイスタイムやツイッターなどのソーシャルメディア(SNS)を駆使して国民を鼓舞することに成功した。もちろん本人が国民から支持されていることが大前提ではあるが、SNSがクーデター鎮圧の立役者になるご時世というわけだ。
トルコでは1960年、71年、80年と過去に3回のクーデターが起きていて、国軍が全権を握っている。クーデターの力の裏付けになるのは軍事力であり、トルコ軍は「NATO(北大西洋条約機構)でアメリカに次いで第二の軍事大国」といわれるほど強大な兵力を有する。今回のクーデターは、イスラム化と権限強化を推し進めるエルドアン大統領に対して、軍の一部が反旗を翻したと見られる。
トルコは人口の99%以上がイスラム教徒(大半はスンニ派)でありながら、23年に共和国として誕生して以来、建国の父である初代大統領ムスタファ・ケマル・アタチュルクが打ち出した「世俗主義」を国是としてきた。世俗主義とは公の場に宗教思想を持ち込まないという考え方。わかりやすく言うなら政教分離の原則だ。軍人アタチュルクの系譜を受け継ぐトルコの国軍は「世俗主義の守護者」を自認している。ゆえにイスラム色の強い政権のときにはしばしば政治介入し、時にクーデターを引き起こしてきた。
エルドアン大統領は民主的な選挙で圧倒的な支持を受けて2003年に首相に選出された。デノミ(通貨単位の変更)と財政健全化で高インフレを収束させ、構造改革で世界からの投資を呼び込み、通貨危機後のトルコ経済を立て直した。当初は非の打ちどころがないリーダーぶりで、エジプトに代わる中東の要、と期待され欧米の評判も上々だった。だが首相3期目に入ったあたりから言論統制などの強権化が目立つようになる。14年にトルコ初の直接選挙で大統領に就任すると、ロシアのプーチン大統領のように手下を首相に据えて大統領権限を強化し、独裁色を強めてきた。そしてもう一つがイスラム回帰だ。反イスラム的な運動家や学者を投獄し、最近では大学構内にモスクを建設してイスラム教育を制度化したり、アルコール販売を禁止したりするなど、イスラム色の強い政策を推し進めてきた。民主主義や世俗主義に逆行するエルドアン大統領のこうした政治姿勢に対して内圧が徐々に高まってきて、クーデターという形で噴出したのだろう。
クーデターの首謀者は一体誰なのか?
クーデター未遂の直後から、エルドアン大統領やトルコ政府が首謀者として名指ししたのが、アメリカ在住のイスラム教指導者フェトフッラー・ギュレン師だ。ギュレン師は穏健なイスラム指導者で、彼が率いる社会運動(ギュレン運動)はトルコの教育や医療支援などの社会奉仕活動で大いに貢献してきた。軍や財界などエリート層にも多くのギュレン支持派がいるという。もともとエルドアン大統領とギュレン師の仲は悪くなかったのだが、大統領の汚職疑惑を機に距離が離れていった。ギュレン師はクーデターの関与を否定している。しかし軍の内部にはギュレン派もいて、ギュレン師に煽動されたかどうかは別にして、エルドアン大統領のやり方についていけないと思っていた人がかなりの数いたことは間違いない。クーデターを潰したエルドアン大統領はすぐさま大粛清に乗り出した。軍人や警官、判事や教員など、すでに5万人以上の公務員が拘束されたり、解任や停職処分を受けたりしている。ギュレン派は格好の粛清ターゲットで、今回のクーデター未遂は(あまりにもお粗末だったために)「ギュレン派を一掃して独裁体制を固めるための自作自演ではなかったのか」という見方まである。
またクーデターの2週間以上前に時計の針を戻すと、注目すべきトピックスがあった。昨年11月のロシア軍機撃墜問題でロシアの謝罪要求を突っぱねていたエルドアン大統領がプーチン大統領に謝罪したのだ。トルコにとって外貨を稼ぐ手っ取り早い手段は観光業。しかし、トルコ国内ではテロが続発して観光客が激減。ビザが要らないから大挙してやってきていたロシア人も、撃墜事件の報復措置でトルコへの渡航が禁止されて足が遠のいた。自国経済が窒息状態のエルドアン大統領としては、渡航禁止を含むロシアの経済制裁を解除したかった。だから謝罪したのだ。実際、謝罪の直後、プーチン大統領はトルコへの渡航を許可している。エルドアン大統領はロシアとの仲直りついでにシリアのアサド大統領と対話する姿勢も見せているが、これを一番嫌がるのはアメリカだ。アメリカからすればNATOがロシアと対立を強めているときにトルコとロシアが接近するのは好ましくないし、打倒しようとしているシリアのアサド政権との関係改善も困る。エジプトみたいに軍事クーデターで親米の傀儡政権を立ち上げるのはアメリカの得意技。エルドアン大統領は「アメリカが仕組んだ」と非難しているが、真相は藪の中だ。
トルコは難民流入の防波堤になっている
エルドアン大統領はコントロールしにくいリーダーだが、サダム・フセインのように倒すべき敵としてアメリカは見ていない。対話の成り立つ相手だと思っているから、そこまで仕掛けることはしないと私は思う。トルコはNATOのメンバーであり、IS(イスラム国)掃討を目指す有志連合の一員でもある。アメリカはトルコの基地を使わせてもらっている。エルドアン大統領が国内のクルド人やギュレン派を迫害して民主主義に逆行する政策を取っても、決定的な対立は避けたいのだ。
難民問題を抱えるEUとしても、トルコの存在は非常に重要だ。隣国シリアで内戦が始まって以来、トルコはシリア難民の最大の受け入れ先になっていて、現状でも200万人以上のシリア難民を受け入れている。イラクやアフガニスタンの難民を含めると300万人以上で、それがトルコ経済を疲弊させる大きな原因になっているのだ。EUは60万~70万人の難民で角突き合わせているわけで、もしトルコが“イラク化”したら地続きのギリシャやブルガリアに一気に難民がなだれ込んでくる。もちろんISもトルコ中に霜降り肉みたいに群雄割拠することになるだろう。トルコが乱れれば中近東のすべての悩みがヨーロッパを直撃するのだ。今、ヨーロッパではエルドアン大統領の多少の独裁は仕方がない、目をつぶろうという考え方が強い。確かにサダム・フセインは独裁者だったが、排除したらイラクは分裂して宗教対立が先鋭化したうえにISの温床になってしまった。ヨーロッパではこれが強烈な教訓になっている。トルコをイラクのようにするわけにはいかない。エルドアン大統領には元気でいてもらわないと困るのだ。
今回のクーデター未遂をきっかけに、エルドアン大統領は強権化を正当化して独裁に拍車をかけるだろう。しかし強権化、イスラム化を進めるほど、世俗主義の拠点でもある軍との対立は深まり、トルコの政情は不安定化する。エルドアン大統領はEU加盟のために04年に廃止した死刑制度を復活させると息巻いている。ヨーロッパから見れば、トルコはEU加盟を餌に難題をふっかける遊び相手だった。だが難民問題が内政上最大の課題となっているヨーロッパ諸国は独裁者エルドアン大統領がその防波堤になっていることを認識しているので、トルコとの対立に強い恐怖を感じている。アメリカがまたも中途半端な介入をしたのか、エルドアン大統領が権力強化のために危ない火遊びをしたのか、いや、彼こそが被害者でかろうじて窮地を脱したのか、真相は深い藪の中だ。
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