- 2016年08月30日 15:45
「日本通」王毅外相が豹変した訳 就任3年半で初来日、対日強硬派は東京で何を語ったか - 城山英巳 (時事通信社外信部記者)
1/2中国・王毅外相が8月23日、日中韓外相会談に出席するため来日した。駐日大使も務めた中国「日本通」の代表ながら、来日は2013年3月の就任後初めて。尖閣諸島や靖国神社参拝などをめぐる日中緊張はあったが、3年半も訪日しないのは異常事態だった。しかし折しも8月5日から尖閣諸島周辺に大量の中国公船や漁船が押し寄せ、日中関係の緊張が増す中での来日となった。東京で積極対日外交を展開するという「豹変」の裏には、習近平政権の「外交失点」に伴い国際的孤立がこのまま続けば、習近平国家主席は自らが議長を務める杭州G20(20カ国・地域)首脳会議に影響を及ぼしかねない、という危機感があった。
「強国外交」実践者
「王毅さんはどうしちゃったんだろうね」。王毅を知る日本の外務省幹部や東京の日中関係筋はここ数年、口をそろえるように話す。
習近平が国家主席に就任した13年3月に話を戻そう。全国人民代表大会(全人代)を前にして共産党関係者は「あなたたち(日本人)が望んでいる人が外交部長(外相)になるだろう」と明かした。日本政府による尖閣諸島国有化に対して中国政府が大反発し、日中関係は「戦後最悪」とまで言われた時期だった。
「王さんは日中関係改善に尽力してくれる」という日本側の期待に反して外相に就任した王毅が神経を尖らせたのは「国内」「党内」だった。王は「日本通」としての弱みを熟知していた。日本通だからこそ、日中関係が悪化する中で日本にむやみに接近したり、親日的な発言を行ったりすれば、「売国奴」と批判されやすいからだ。
筆者は、就任して1年が経ち、初めて全人代での内外記者会見に臨んだ際の王毅の言葉が忘れられない。
「100年間の屈辱の歴史は、永遠に過去のものになった」
外交の責任者として習近平が掲げる「強国外交」の忠実な実践者となった。習近平が掲げる政治スローガン「中国の夢」では、アヘン戦争(1840〜42年)以来、中国が受け続けた屈辱の近代史をことさら取り上げ、「中華民族の偉大な復興」を目指している。「偉大な復興」の過程にある共産党は、ついに日本を抜く経済大国になり、自信を付けた国民の間に、愛国主義という名の「愛党主義」を盛り上げようとしている。「屈辱」を晴らすための対象にするのは抗日戦争を戦った日本であり、習近平体制にとって尖閣問題で妥協の選択肢はない。国民の多くも、外相にも強気の外交を要求しており、王毅の「屈辱の歴史は過去」発言には「中国はもう国際社会からばかにされない」という強い決意が込められている。
「中国は日本の友か敵なのか」
筆者は北京特派員時代、しばしば国際会議の場で王毅を取材した。対外的には日本語を使うことはないが、日本人記者が近寄っても、丁寧に中国政府の立場を説明してくれる。2015年8月、クアラルンプールで開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)閣僚会議を取材した際、宿泊ホテルで王の帰りを待っていた日本人記者に対し夕食で出たという南国のフルーツをごちそうしてくれたが、安倍晋三首相の「戦後70年談話」を控えた時期であり、歴史問題への厳しい姿勢を示した。
王毅の日本に対する厳しい発言は数えれば限りがない。
16年3月の全人代記者会見では「日本の政権が中国を友人と見ているのか、それとも敵と見ているのか。対中認識の問題が病根だ」と迫った。
蒋介石が「日本は敵か友か」という論文を側近に書かせたのは、満州事変から3年後の1934年。王毅は日中関係の緊張が続く中で、自身の発信によって安倍政権の対中認識に影響を与えようとするとともに国内向けに強気の姿勢を誇示した。
16年4月に北京を訪問した岸田文雄外相と3時間20分にわたって会談した。「誠心誠意で来たのであれば、歓迎する。日本側は対抗意識を捨てよ」と強調した。
日本に関する発言ばかりでない。「あなたは中国に来たことがあるのか。中国の人権状況を最も理解しているのは中国人だ」。6月、カナダで外相会談を行い、共同記者会見で、カナダ人記者が中国の人権問題に関して自国外相に向けた質問に口を出し、激高した。7月には中国の「全面敗北」となった南シナ海問題仲裁判決に関して「法律の衣を羽織った政治的茶番だ」と言い切った。
「それが習指導部の雰囲気だ」(中国人研究者)。それに逆らえない王毅は、忠実な実践者となった。
昇進できるかどうか正念場
来年秋に5年に一度の共産党大会を控え、「王外相には焦りがある」という見る向きも多い。「日本通」という経歴を払拭して、強気の外交を求める党内、国民の声に応えられる外相になり、国務委員(副首相級)に昇格できるか、どうかの正念場だからだ。習近平の福建省勤務時代の部下で、共産党中央対外連絡部の宋濤部長らと競い合うことになりそうだ。
もはや「対日強硬派」に変わった王毅が、初めての来日に臨む直前の8月5日以降、中国海警局の公船と漁船が大挙して尖閣諸島周辺に押し寄せた。8日には過去最高の15隻の公船が接続水域を同時航行し、周辺で操業する漁船は400隻に上った。5〜9日に領海侵入した公船は延べ28隻に達した。
中には、軍の指揮下の準武装の漁船「海上民兵」が混じったが、これは中国の伝統的な手法である。日中平和友好条約の締結交渉が進んでいた1978年4月、尖閣諸島周辺に約200隻の中国漁船が集まり、そのうち数十隻が領海侵入を続けた。
当時外務省中国課にいた杉本信行氏(元上海総領事、故人)の著書『大地の咆哮』によれば、山東省煙台の人民解放軍基地と福建省アモイの軍港の2カ所から約200隻の漁船に指示が出ていたことが、海上保安庁の巡視船や飛行機による中国側の無線傍受で判明した。日本との条約交渉は当時副首相だった鄧小平が積極推進派。しかし共産党内部には尖閣諸島の領有権を譲らず、交渉に反対する勢力もいた。杉本氏は著書でこう回顧している。「(鄧は)文革の残党である極左派を含む共産党全体を完全に掌握してきれておらず、復活した鄧が力を伸ばすなかで、反対勢力の動きは当然あったはずである」。
2008年12月には、尖閣諸島の問題は「棚上げされた」と主張する中国政府自らが、それを破っていることを証明する事態が発生した。当時の首相、温家宝は日中韓首脳会談出席のため福岡を訪れた。その直前、中国の海洋調査船2隻が、尖閣周辺の日本領海内に侵入した。これも、同年6月の東シナ海ガス田共同開発合意に反対する勢力による牽制という見方が出た。
「握手」「牽制」と同時戦略
「握手」の裏の「牽制」—。日中関係において、中国側は表向き日本と対話に積極的と思わせながら、尖閣周辺に船を送り込み、対話をぶち壊そうとする動きは多々起こった。日本政府側からすれば、「一体、どっちが本音なんだ」といぶかる事態がしばしば起こる。
中国の対日外交は、共産党指導部内の権力闘争と深く関係していると言われる。抗日戦争勝利の結果、共産党が政権を獲得したという歴史的経緯から、保守派は共産党の正統性保持のため「対日接近」の動きを牽制する傾向にあるためだ。
「握手」と「牽制」の同時展開は、指導部として戦略として実行しているのか、それとも内部の意見対立の上の結果なのか、よく見えないのも事実だが、大量の漁船と公船が同時に尖閣周辺に出現した8月5日以降の動きは、こうした歴史的経緯を見れば、多少は理解しやすい。
王毅率いる中国外務省は、次期駐日大使の呼び声が高い「日本通」で、王毅が最も信頼を寄せる部下の孔鉉佑・外務次官補(アジア担当)を、日本に派遣し、日中韓外相会談に合わせた王毅訪日について調整させる意向だった。目の先にあるのは、杭州で9月4〜5日に開くG20首脳会議の成功だ。
「習近平外交」はなすこと失点続きだった。南シナ海仲裁判決で全面敗北し、最新鋭迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD)」の在韓米軍配備で韓国との関係も緊張している。このまま国際孤立が深まれば、習近平の威信を誇示するG20首脳会議で「対中批判」も出かねない。
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