- 2016年08月26日 00:00
戦争と平和との経済損得
2/2(3)経済発展理念の変遷の歴史
17世紀にイギリスで産業革命があり資本主義経済が発展し、18世紀にフランス革命があって王朝世襲政治体制が崩壊し自由主義思想が主体となるまでの世界では、いずこの国(注:当初はまだ国家という概念はなく、同類民族の集団が主体)でも、木材や食用植物や動物など、地球自然資源の狩猟・採取で人類は生活し、そこでは住民の必要を満たすだけの資源を供給し得る広さの土地(領土、テリトリー)の確保が要求され、それを求めて移動し、そのことで他民族との争いが生じ、原生動物と同様に、力づくで領地を奪い合うことが動物的本能、生得的欲求に基づくごく自然な弱肉強食の行動であり常套手段であった。ただし、同士民族の必要を満たすだけの富が得られれば、それ以上に余分で阿漕な殺生・略奪はしようとしなかったこと、また他者が、その努力して得た領地に侵入して来ると排除しようと対抗することなどは、現代の猛獣社会と同じであった。
このような自然資源の狩猟・採取で生活をした時代は、富を生み出す主体が土地の広大さと豊饒さであり、その土地を求めて移動し続け遊牧しながら生計を立てたので「土地経済の時代」であったといえよう。
しかしより広くて豊かな土地を求めて止まないとはいえ、当時の人間能力と移動手段から、自ずと領地の拡大範囲の限界が生じ、人口が増加するにつれ、有限の肥沃な土地を求め合う他民族との鬩ぎ合い闘争が頻発・激化することとなった。
こういった、常に移動し続け、しかも地域や天候に左右されて収穫量の変動が大きく不安定、常に他者との闘争に明け暮れるという生活に疲れた人類は、次の生活の智恵として、種族が生存し得るに必要な恵まれた土地を得たら、そこに安住して協力しながら土地を開墾し耕して更に恵み豊かな土地とし、食用作物を育て、必要量食物の安定・持続的収穫を計画的に得ようとする「農業経済、農業を富の基本と考え重視する重農主義経済の時代」を生み出した。だから自然の荒野を耕すという意味の「カルチャー」が「文化」の語源となったのである。
いかに広大な土地を保有する領主であっても、それを耕し、食物を育て収穫する労働者がいないと富は得られない。そこでさらに次に芽生えたのが、勤労こそが富を生み出す源泉と考え、労働を尊び、労働者を大切に扱おうとする「重労主義経済の時代」が発展するようになってきた。
こういった自然の恵みである資源を活用し、自然に順応して生きるという生活態様が原始人類以来十数万年から数万年続いたが、それが大きく様変わりすることとなったのは17~18世紀にイギリスで端を発した産業革命による機械文明であり、これが西欧諸国、アメリカ、日本などに僅か数百年というあっという短期間で波及することとなった。
これまでにも中国での文字や活版印刷技術などの発明はあったが、いずれにしても人的労力、手作業による富の生産、個々人の生活手段としての「生業」、家族の協力を得た「家業」であったのが、木炭、水車、石炭などの天然エネルギーが加工されて蒸気、ガス、電力エネルギーなど熱効率の良いものとなり、鉄鋼を加工して機械を創案することとなって、機械生産が手作業にとって代わり、効率的な大量生産を可能とした画期的な「機械文明の時代」の発展を見るようになった。
機械生産設備を構築するにはお金もかかるが、これを個人の資産だけで賄うのは困難なので、有志の資金援助協力者を募る株式という制度を発案し、これが「事業」、「企業」という概念や、資金こそが富を生み出す源泉であるとする「資本主義経済」という理念や、その資金提供者と資金必要者とを仲介する金融というシステムや事業の誕生、株主利益重視へと加速度的に発展することとなって現代に至っている。
「利は元にあり」といわれるように、資本主義体制下では、本来的に資金や信用借り入れの裏づけとなる担保資産を保有する者が、お金がお金を生み出し、益々巨額の富を得るばかりとなるが、これらを保有しない者は、余程の幸運に恵まれるか特異な優越的才能を身につけるか、悪徳・悪知恵の商法で他者の富を奪取する意外には、いくら真面目に努力をして働いても、なかなか浮かび上がり富を得ることは難しく、大きな貧富の格差を生み出す制度であるともいえるし、大資本力、機械設備の充実による高能率・省力化経営は、経営・資本家という支配者側には巨額の富を与えるであろうが、支配されるルーティン・ワークに従事する被雇用労働者にとては、リストラの対象となり、職場から追われ、大量の失業者を生み出すことにもなる。
また、機械化・省力化による大量生産システムは、需給均衡の見通しを見誤ると、常に新しい需要の創出を考えないと、供給過剰、不良在庫の増大、需給のアンバランス、過当競争販売や貿易競争の激化、値下げ叩き売り、デフレ経済というマイナス・スパイラルの悪循環を招き、経済の低迷や秩序の混乱を招くことになるし、武力闘争に代わる新たな国際経済戦争を惹起し、「過欲なる貧窮」の因ともなりかねない。
これが近年の行き過ぎた欧米流資本主義経済に綻びを生ぜしめ、その弊害を露呈し、修正を求める声が世界的に高まり、極端な貧富格差の解消を求める庶民運動の蜂起や、好ましくない手段で容認はし難いが、過激なテロ活動多発の根本的要因といえ、これらは武力による威圧だけで片付くものではなかろうし、人類の幸福もまた、財物的豊かさだけが全てではなく、お金で買えるものでもなく、戦争の勝利で得られるものでもないのである。
(4)戦争の経済的損得
戦争は確かに、相手の戦力や国力を叩き潰すことで勝利を得るものであるから、双方共に程度の差はあれ、評価額の算出が複雑で不可能な人的損得を除いた物的損得だけで比較考量しても、攻撃をする弾丸や武器の消耗、攻撃を受けて損傷されであろう軍事車両、都市施設などの損失が伴い、それを補修・補給する一時的な戦争特需が生ずるであろうが、それはそれぞれなりの経済力の限界もあって、永続しえるものではないし、しかもそれの戦費調達力の限度もあり、理性的に損害に応じた対等の経済的利益が得られると保証されたものでもなく、損害賠償金まで請求される敗者側の有形・無形の損失の甚大さは当然のこと、勝者側にとっても、仕掛けられた攻撃に対する倍以上のお返しといった狂気の心理も働くのが戦争であるから、敗者側以上の経済的負担を負う場合もあり、勝利をいう名誉や覇権の満足感を得て感情では勝っても、経済的負担の方が大きく、勘定では割が合わず損を蒙るということもある。
このことは、日露戦争時に、欧州諸国から煽てられて多額の戦費を借受けてロシアと果敢に闘い、初戦優位の状態まではいったが、最終勝利決着までには至らず、和平交渉ということとなったものの、そこでは欧米諸国の仲裁圧力も受けて、日本は当初期待したほどの戦勝国利益が得られず、その後更に日本の軍縮強要を受けるなどから、国内的には国辱ものの弱腰外交と非難されたこと、第1次、第2次世界大戦後の欧州戦勝国側の経済疲弊、逆に敗戦国ドイツや日本の奇跡の復興などの例が立証している。
昔の武力戦争なら、戦勝国は賠償で広大な領土を得たり、新領土からの豊かな資源や特産物の独占的奪取、安い労働生産力の奴隷的確保も可能であったが、現代ではそのような暴挙は国際法規的にも制約を受けて許されず、戦勝による代償利益は少なく採算が合わない、単なる世界の警察国家としての役割でしかなく、その仲裁費用や後始末の負担の方が重いものとなっていることは、イランやアフガン戦争に深入りしたロシアやアメリカの疲弊からもご理解願えよう。
グローバル化や高度情報システム、モノ・カネ・ヒトなどの国際交流が進展し、各国民衆の厭戦意識が高まった近年、いかに強力な核兵器の開発競争で脅しを掛け合っても、それは外交上のこけ脅しでしかなく、それを実際に行使することは当事関係両国間の勝敗の問題に止まらず、全世界・全人類の苦難や破滅を招くものとなるので、これからの時代でのテロも含めた戦争では、勝者も敗者も、損失こそあれ利得はない。
それでももし万一これを武器として本当に戦争を仕掛けて使用する愚かなリーダーが現れ、たとえ一時的に勝ち得ることがあったとしても、その狂気のリーダーや国は、国際社会から一斉に非難を浴びて抹殺されるので、結局は悲惨な敗北で終わろう。
(5)真の世界恒久平和と人類の幸福をめざす道
政治・軍事は経済に優先するといわれ、政治・軍事的の安定や平和が保たれないと民生の向上に直接的に連なる平和産業にお金が回せなくなるので、経済発展の障害になることは事実であるが、その政治や軍事、経済は、ある目的を達成するための手段でしかにいのであり、政治や軍事力、経済力を外観的に巨大化させることをもって目的と考えるのは過ちである。
これらの目的はあくまでも、その地域に居住し家族を養い、これらの活動を勤労や生産や消費活動、納税負担などで支える国民の生活の安全と安定を図り、最大多数者の最大幸福の実現を達成することにあるのであり、その最適手法を講じることが好ましい政治や経済の原点であり、これが外部からの圧力で犯されることのないように守るのが軍事なのであり、他国や他者の安全や安心を脅かし、世界秩序の安定をぶち壊す覇権争いや侵略のための軍事戦争や自己本位の主張を通すための卑劣な無差別テロ行為などは決して許されるものであってはならず、そういう面からも、旧来の西欧主体で制定された条約による戦争権なども禁止するように改訂されるべきであろうし、関係国間の個別平和条約の締結でなく、全世界国家の総括的な平和条約を締結し、それを守らせる国際司法機関の権威を高め、武力でなく、中立的第三国も交えた話し合いによる解決と、その裁定結果の尊重・遵守を図ること、特定巨大国だけに優越性を認めた拒否権を廃止することが肝要であろう。
世界はさまざまな民族で構成されており、皮膚や目の色や言葉も体格も異なるし、それぞれが居住する地域環境で、価値観や生活態様も異なるので、それを世界一つの国家と、全民族は一つの家族として統合し、平和な世界国家を建設するなどということは到底実現不可能な理想に過ぎないとする意見も多かろう。
しかし今でこそ当たり前のように全世界の国家や民衆の間で普及し利用されている便利な発明品などの多くは、多数者の合議で発明されたり開発されたものというより、ただ一人の異なる観点や発想をする奇才の持ち主の一瞬のひらめきから生み出されたものがほとんどであり、当初はそれが気狂いの戯言と蔑視され見向きもされなかったし、その創始の異才者は決して名誉や経済的に恵まれることはなく、死後になって初めて評価されるようになったものが多いという。まさに「天才とは、天賦の才能ではなく、1%のひらめきと99%の目立たぬ努力を重ねた、経済的には恵まれないが、後世に偉大な社会貢献の功績を遺した人」ということであろうか。
事実、近年のスタンフオード大学の研究例によれば、地球上には外見的特徴の異なるさまざまな民族が存在し、DNAはそれぞれ固有で異なるが、民族間で遺伝子の違いは何もなく、脳細胞の数にも差がないので、人間は先天的に頭が良い人悪い人と差別して造るられてはおらず、平等で生まれ人生をスタートさせており、欧米人も日本人もアフリカ原住民も、基本的に民族間の優劣の際はない。従って天才となる可能性を持つ人間は、地球の全ての地域で存在し、要はその後の生活環境と個人的努力の差である。それを人為的制度で貧富格差や身分格差を生み出すような国家は、真の自由・民衆主義ではなく好ましくない」という。「民は乏しさや貧しさを憂えず、等しからざるを憂う」ものであり、人種差別や貧富格差の増大があらゆる国際紛争多発の根本要因であるから、これを解消してこそ、人類の平和と幸福は達成される。
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