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- 2016年08月26日 07:52
【大企業に何が起きているのか?】東芝 サラリーマン経営者はなぜ暴走するのか - 大西康之(経済ジャーナリスト)
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東芝、三菱自動車、セブン―イレブン……。この国を代表する大企業を
信じがたい異変が次々見舞っている。日本の組織は劣化したのか?
日本の大企業に異変が起きている。東芝の粉飾決算、三菱自動車工業の燃費データ偽装、旭化成子会社のマンション杭打ちデータ偽装。社会から信頼されてきた名門と呼ばれる企業で、信じられない不祥事が頻発した。
経営の主導権をめぐる「創業家の乱」も目立つ。出光興産の創業家が昭和シェル石油との合併に待ったをかけた。セブン&アイ・ホールディングスの創業家はカリスマ会長の人事案に反対し、鈴木敏文氏を退任に追い込んだ。セコムでは実績を上げてきた会長、社長が突然、解任された。背後には創業者、飯田亮氏の意向があるとされる。
こうした事例から読み取れるのは、日本企業の組織力の減衰だ。かつて欧米企業は高い忠誠心で猛烈に働く日本のサラリーマンを「エコノミック・アニマル」と恐れた。トヨタ自動車の「かんばん方式」に代表される日本の組織は、世界のお手本だった。
なぜここへ来て、日本の組織が劣化したのか。本稿では一つの仮説を検証する。「社員は会社のために懸命に働くもの」という性善説に基づいた日本型の経営から、「社員は放っておくと悪事を働くもの」という性悪説に基づいた米欧型への乗り換えに失敗したのではないか、という仮説である。
あれだけ強かった日本企業がなぜ負けたのか。批判の的にされたのが終身雇用、年功序列、企業内組合に代表される「日本的経営」だった。高度経済成長期に生まれた、これらの制度や慣例は「時代遅れ」とみなされ、現場・現物主義を大切にするボトムアップの経営が廃れていった。
代わりに入ってきたのが「コンプライアンス(法令遵守)」「コーポレート・ガバナンス(企業統治)」「セキュリティー」「成果主義」「数値目標」。米欧型の価値観である。日本的経営を「矯正」するため、日本のサラリーマンは、いくつものギプスをつけられた。経営の仕組みとしては、監督と執行を分ける「執行役員制度」や「委員会等設置会社」が流行した。
例えば、米国の金融機関のトレーダーは3週間近い夏休みを取らなければならない。これはワークライフバランスのためだけではなく、休暇を取っている人間のポジションに他の社員をつけ、不正を働いていないかチェックするためでもある。
「性悪説」に基づくこうした考え方は、もともと米欧で生まれた「株式会社」というシステムの中に埋め込まれていた。それが一段と顕著になったのは2001年にエネルギー商社のエンロンの粉飾決算が明るみに出てからである。
エンロンの破綻をきっかけに、上場企業会計改革および投資家保護法(SOX法)が導入され、上場企業はコーポレート・ガバナンスや情報開示の大幅な強化を求められた。「経営者の暴走によって投資家が被害を被ることが二度とないようにする」というのがその眼目だった。
米国でビジネスをする日本企業もSOX法への対応を求められ、米欧型の「性悪説」に基づく制度や慣習が海を越えて日本にもなだれ込んだ。それまで信用をベースにした「性善説」で動いていた日本企業の組織が、突然、ギクシャクし始めた。
トヨタ自動車や新日鉄住金など性善説に基づく日本的経営に自信を持つ企業は、米欧型への乗り換えに強い抵抗を示したが、一般的にはSOX法に対応した透明性の高い制度は、途方もない不良債権を生んだバブル期までの「どんぶり勘定」的な体質を改める「良薬」と考えられた。
だが委員会等設置会社など、米欧の「先進的な制度」を取り入れた日本企業の多くは、そこで満足してしまい、型に込められた「思想」を学ぶ事はなかった。結果的に経営者と従業員の溝は深まり、現場は目先のパフォーマンスに走るようになった。四半期の数字に追われる経営者は、本質的な問題を先送りすることが習い性になり、日本独特の「サラリーマン資本主義」が形成されていく。ここからは個別の事例を見ていこう。まずは東芝だ。
「このままでは再点検グループになってしまう。売却になる」
「事業を死守したいなら、最低限100億円やること」
2009年1月23日、東芝の西田厚聰社長(当時)は四半期報告会で、営業赤字の見通しを持ってきた現場に「チャレンジ」を求めた。不正会計を調べた第三者委員会の報告書にはこう記されている。
「再点検グループ」とは東芝の社内ルールで、一定期間、一定規模の赤字が続いた場合、売却や撤退を検討する事業群を指す。「100億円やる」とは「営業損益を100億円改善させる」ことを意味している。
リーマン・ショックで世界市場は凍り付き、まともにパソコンが売れる環境ではない。しかも年度が終わる3月末まで残された時間はわずか2カ月。普通のやり方では到底届かない目標であることは、専務時代にパソコン事業のトップを務めた西田氏自身が誰よりもよくわかっていたはずだ。にもかかわらず、なぜ現場を粉飾にはしらせるような無茶を要求したのか。
鍵は「制度」にある。東芝は米国がSOX法を導入してから2年後の2003年、米国スタイルの委員会等設置会社になった。日本でソニーと並ぶ先駆けだった。委員会等設置会社とは、外部の人材を入れた「指名委員会」「報酬委員会」「監査委員会」を置き、客観的に経営をモニタリングする会社である。導入を決めたのは当時の会長、西室泰三氏だった。
西室氏は、当時、米ゼネラル・エレクトリック(GE)の最高経営責任者(CEO)だったジャック・ウェルチ氏の信奉者だった。ウェルチ氏は徹底的な合理主義者で知られ、「業界で1位、2位以外の事業は売却する」という苛烈なリストラを実践した。
人事では「2・7・1制度」を導入。上位2割を幹部候補として徹底的に教育し、ボトムの1割を解雇した。米通信機器大手のモトローラが考案した「シックス・シグマ」という品質管理手法をGEで発展させたのもウェルチ氏である。
社長、会長時代の西室氏の経営は「ウェルチ氏の模倣」であったとされる。さすがに「2・7・1制度」の採用は見送られたが、不採算事業を切るために「再検討制度」が導入され、シックス・シグマも取り入れた。
西室氏の後任の社長たちは、皮肉なことに、この「制度」に縛られる。業績不振が続けば「指名委員会」に解任されるかもしれない。業績を立て直すには「再検討制度」で不採算事業を切らなければならない。
2009年1月の四半期報告会に戻ろう。リーマン・ショックで業績はどん底で、西田氏には「指名委員会」による解任のプレッシャーがかかっていた。再検討制度に従えば、パソコン事業を売却しなくてはならない。
だが西田氏自身も売却したくはない。西田氏が社長になれたのは専務時代に赤字のパソコン事業を短期間のうちに黒字に立て直したからだ。この采配は社内で「西田マジック」と呼ばれ、西田氏の求心力の源になっている。思い入れのある事業なのだ。
指名委員会と再検討制度の板挟みにあった西田氏の口から出た言葉が「100億円やれ」という言葉だった。現場はこれに従い、粉飾に手を染めた。
ではGEの制度・組織を真似たことが東芝を粉飾決算に走らせたのだろうか。そうではない。その背後にある「思想」を理解しないまま、形だけ真似て「デコレーション」したことが敗因なのだ。
リストラを厭わないウェルチは「彼が歩いた後は草一本残らない」という意味合いで「ニュートロン(中性子)・ジャック」と呼ばれた。ボトム1割の社員を解雇することについて、「冷たすぎないか」と問われたウェルチはこう反論している。
「上司が『彼にはもうGEの中で活躍の場はない』と知っている人に向かって『君も頑張れ』と言うのが優しさだろうか。私は、できるだけ早い段階で現実を伝え、彼が活躍できる別の場所を探すことを応援するのが優しさだと思う。彼にはGEの外にきっと活躍できる場所がある。なぜならGEはそれだけの教育を彼に施してきたからだ」
事業の売却も同じ思想である。ウェルチは勝てる事業に資本と人材を注ぎ込む。それ以外の事業には十分なお金と人が行き渡らない。だが世の中にはGEが「不要」と考える事業を、「主軸」に据えている企業もある。GEの中で日陰に甘んじているよりも、他社で主役になった方が従業員も幸せだし、社会全体の効率も良くなる。これがウェルチの思想である。
米欧において事業売却は、「売られた人々」にとっても「再出発」を意味する。資本構成がどうなろうと現場ですべきことは変わらないし、ボスが変わることにも慣れている。買われる前より潤沢な開発資金が使えたり、市場でのステイタスが上がったりするのであれば、従業員も「それでよし」と考える。
一方、日本人にとって会社や事業部は「藩」であり、事業売却は「御家お取り潰し」である。売られた人々は「敗残者」としてうつむいて生きていかねばならない。だから社長に「売り飛ばすぞ」と脅されれば、社員は縮みあがり、易々と不正に手を染めるのだ。
日本の大企業に異変が起きている。東芝の粉飾決算、三菱自動車工業の燃費データ偽装、旭化成子会社のマンション杭打ちデータ偽装。社会から信頼されてきた名門と呼ばれる企業で、信じられない不祥事が頻発した。
経営の主導権をめぐる「創業家の乱」も目立つ。出光興産の創業家が昭和シェル石油との合併に待ったをかけた。セブン&アイ・ホールディングスの創業家はカリスマ会長の人事案に反対し、鈴木敏文氏を退任に追い込んだ。セコムでは実績を上げてきた会長、社長が突然、解任された。背後には創業者、飯田亮氏の意向があるとされる。
こうした事例から読み取れるのは、日本企業の組織力の減衰だ。かつて欧米企業は高い忠誠心で猛烈に働く日本のサラリーマンを「エコノミック・アニマル」と恐れた。トヨタ自動車の「かんばん方式」に代表される日本の組織は、世界のお手本だった。
なぜここへ来て、日本の組織が劣化したのか。本稿では一つの仮説を検証する。「社員は会社のために懸命に働くもの」という性善説に基づいた日本型の経営から、「社員は放っておくと悪事を働くもの」という性悪説に基づいた米欧型への乗り換えに失敗したのではないか、という仮説である。
日本的経営への「大反省」
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と持ち上げられ、ジャパンマネーが世界で猛威を振るった1980年代が終わり、バブル経済が崩壊した1990年代。日本の企業社会では「大反省」が始まった。あれだけ強かった日本企業がなぜ負けたのか。批判の的にされたのが終身雇用、年功序列、企業内組合に代表される「日本的経営」だった。高度経済成長期に生まれた、これらの制度や慣例は「時代遅れ」とみなされ、現場・現物主義を大切にするボトムアップの経営が廃れていった。
代わりに入ってきたのが「コンプライアンス(法令遵守)」「コーポレート・ガバナンス(企業統治)」「セキュリティー」「成果主義」「数値目標」。米欧型の価値観である。日本的経営を「矯正」するため、日本のサラリーマンは、いくつものギプスをつけられた。経営の仕組みとしては、監督と執行を分ける「執行役員制度」や「委員会等設置会社」が流行した。
例えば、米国の金融機関のトレーダーは3週間近い夏休みを取らなければならない。これはワークライフバランスのためだけではなく、休暇を取っている人間のポジションに他の社員をつけ、不正を働いていないかチェックするためでもある。
「性悪説」に基づくこうした考え方は、もともと米欧で生まれた「株式会社」というシステムの中に埋め込まれていた。それが一段と顕著になったのは2001年にエネルギー商社のエンロンの粉飾決算が明るみに出てからである。
エンロンの破綻をきっかけに、上場企業会計改革および投資家保護法(SOX法)が導入され、上場企業はコーポレート・ガバナンスや情報開示の大幅な強化を求められた。「経営者の暴走によって投資家が被害を被ることが二度とないようにする」というのがその眼目だった。
米国でビジネスをする日本企業もSOX法への対応を求められ、米欧型の「性悪説」に基づく制度や慣習が海を越えて日本にもなだれ込んだ。それまで信用をベースにした「性善説」で動いていた日本企業の組織が、突然、ギクシャクし始めた。
トヨタ自動車や新日鉄住金など性善説に基づく日本的経営に自信を持つ企業は、米欧型への乗り換えに強い抵抗を示したが、一般的にはSOX法に対応した透明性の高い制度は、途方もない不良債権を生んだバブル期までの「どんぶり勘定」的な体質を改める「良薬」と考えられた。
だが委員会等設置会社など、米欧の「先進的な制度」を取り入れた日本企業の多くは、そこで満足してしまい、型に込められた「思想」を学ぶ事はなかった。結果的に経営者と従業員の溝は深まり、現場は目先のパフォーマンスに走るようになった。四半期の数字に追われる経営者は、本質的な問題を先送りすることが習い性になり、日本独特の「サラリーマン資本主義」が形成されていく。ここからは個別の事例を見ていこう。まずは東芝だ。
「再検討制度」に縛られて
「死に物狂いでやってくれ」「このままでは再点検グループになってしまう。売却になる」
「事業を死守したいなら、最低限100億円やること」
2009年1月23日、東芝の西田厚聰社長(当時)は四半期報告会で、営業赤字の見通しを持ってきた現場に「チャレンジ」を求めた。不正会計を調べた第三者委員会の報告書にはこう記されている。
「再点検グループ」とは東芝の社内ルールで、一定期間、一定規模の赤字が続いた場合、売却や撤退を検討する事業群を指す。「100億円やる」とは「営業損益を100億円改善させる」ことを意味している。
リーマン・ショックで世界市場は凍り付き、まともにパソコンが売れる環境ではない。しかも年度が終わる3月末まで残された時間はわずか2カ月。普通のやり方では到底届かない目標であることは、専務時代にパソコン事業のトップを務めた西田氏自身が誰よりもよくわかっていたはずだ。にもかかわらず、なぜ現場を粉飾にはしらせるような無茶を要求したのか。
鍵は「制度」にある。東芝は米国がSOX法を導入してから2年後の2003年、米国スタイルの委員会等設置会社になった。日本でソニーと並ぶ先駆けだった。委員会等設置会社とは、外部の人材を入れた「指名委員会」「報酬委員会」「監査委員会」を置き、客観的に経営をモニタリングする会社である。導入を決めたのは当時の会長、西室泰三氏だった。
西室氏は、当時、米ゼネラル・エレクトリック(GE)の最高経営責任者(CEO)だったジャック・ウェルチ氏の信奉者だった。ウェルチ氏は徹底的な合理主義者で知られ、「業界で1位、2位以外の事業は売却する」という苛烈なリストラを実践した。
人事では「2・7・1制度」を導入。上位2割を幹部候補として徹底的に教育し、ボトムの1割を解雇した。米通信機器大手のモトローラが考案した「シックス・シグマ」という品質管理手法をGEで発展させたのもウェルチ氏である。
社長、会長時代の西室氏の経営は「ウェルチ氏の模倣」であったとされる。さすがに「2・7・1制度」の採用は見送られたが、不採算事業を切るために「再検討制度」が導入され、シックス・シグマも取り入れた。
西室氏の後任の社長たちは、皮肉なことに、この「制度」に縛られる。業績不振が続けば「指名委員会」に解任されるかもしれない。業績を立て直すには「再検討制度」で不採算事業を切らなければならない。
2009年1月の四半期報告会に戻ろう。リーマン・ショックで業績はどん底で、西田氏には「指名委員会」による解任のプレッシャーがかかっていた。再検討制度に従えば、パソコン事業を売却しなくてはならない。
だが西田氏自身も売却したくはない。西田氏が社長になれたのは専務時代に赤字のパソコン事業を短期間のうちに黒字に立て直したからだ。この采配は社内で「西田マジック」と呼ばれ、西田氏の求心力の源になっている。思い入れのある事業なのだ。
指名委員会と再検討制度の板挟みにあった西田氏の口から出た言葉が「100億円やれ」という言葉だった。現場はこれに従い、粉飾に手を染めた。
ではGEの制度・組織を真似たことが東芝を粉飾決算に走らせたのだろうか。そうではない。その背後にある「思想」を理解しないまま、形だけ真似て「デコレーション」したことが敗因なのだ。
リストラを厭わないウェルチは「彼が歩いた後は草一本残らない」という意味合いで「ニュートロン(中性子)・ジャック」と呼ばれた。ボトム1割の社員を解雇することについて、「冷たすぎないか」と問われたウェルチはこう反論している。
「上司が『彼にはもうGEの中で活躍の場はない』と知っている人に向かって『君も頑張れ』と言うのが優しさだろうか。私は、できるだけ早い段階で現実を伝え、彼が活躍できる別の場所を探すことを応援するのが優しさだと思う。彼にはGEの外にきっと活躍できる場所がある。なぜならGEはそれだけの教育を彼に施してきたからだ」
事業の売却も同じ思想である。ウェルチは勝てる事業に資本と人材を注ぎ込む。それ以外の事業には十分なお金と人が行き渡らない。だが世の中にはGEが「不要」と考える事業を、「主軸」に据えている企業もある。GEの中で日陰に甘んじているよりも、他社で主役になった方が従業員も幸せだし、社会全体の効率も良くなる。これがウェルチの思想である。
米欧において事業売却は、「売られた人々」にとっても「再出発」を意味する。資本構成がどうなろうと現場ですべきことは変わらないし、ボスが変わることにも慣れている。買われる前より潤沢な開発資金が使えたり、市場でのステイタスが上がったりするのであれば、従業員も「それでよし」と考える。
一方、日本人にとって会社や事業部は「藩」であり、事業売却は「御家お取り潰し」である。売られた人々は「敗残者」としてうつむいて生きていかねばならない。だから社長に「売り飛ばすぞ」と脅されれば、社員は縮みあがり、易々と不正に手を染めるのだ。
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