- 2016年08月24日 16:00
米大統領選から考える表現の自由 クリントン陣営のトレーニング(2) - 海野素央 (明治大学教授、心理学博士)
現地リポートの2回目は、「クリントン陣営のトレーニング(2)」です。
クリントン陣営には、戸別訪問(キャンバシング)のベスト・プラクティス(最高のやり方)に関する台本が存在しています。その台本に基づいて、有給のスタッフとボランティアのリーダーが筆者のような運動員を対象にトレーニングを実施しています。同陣営は、戸別訪問のやり方を「やるべきこと」「やってはならないこと」及び「覚えておくこと」に分類しています。
選挙対策事務所開き(筆者撮影@バージニア州フェアファックス市)
本稿では、クリントン陣営の戸別訪問のやり方を紹介します。その上で、表現の自由と戸別訪問について考えてみます。
やるべきこと
まず、戸別訪問で「やるべきこと」から説明しましょう。2012年米大統領選挙におけるオバマ陣営と同様、クリントン陣営もボランティアの運動員に対して、「有権者名簿にリストされている有権者を全員訪問する」ことを強調しています。というのは、ボランティアの中に標的となっている有権者をすべて回らず、やり残してしまう運動員がいるからです。前回の大統領選挙で、リストされた有権者の10%ぐらいしか訪問しなかった運動員がいました。筆者は自分の担当地域に加えて、彼の訪問地域にも赴き有権者の家のドアを叩いて、名簿を仕上げなければなりませんでした。
次に、当然ですが「好意的な態度で標的となっている有権者に臨む」があります。さらに、「有権者の家のベルを鳴らしてからドアを2回叩く」もルールの一つです。「台本を棒読みせずに、自分の言葉で心から語る」は、効果的なコミュニケーションをとる上で欠かせません。前回の「クリントン陣営のトレーニング(1)」で説明しました「コミットメントカード(約束カード)を回収する」は、クリントン陣営の戸別訪問における最重要課題となっています。
以上に加えて、正確にデータを収集するように指示が出ています。標的となっている有権者が不在の場合は「NH(Not Home)」、死去は「DC(Deceased)」、スペイン語のみ話すは「SP(Spanish)」、移転は「MV(Moved)」のそれぞれの欄にチェックを入れます。スペイン語のみ話す有権者に対しては、ヒスパニック系の運動員が後日訪問することになっています。11月8日の投票日直前に、移転した有権者の家を訪問しないように、予め把握しておく必要があるのです。
暗証番号がないと入口のロックを解除できないマンションや番犬がいる場合は「IN(Inaccessible)」、空き家は「VC(Vacant)」の欄に記入します。標的となっている有権者の中には、回答を拒否する有権者も少なくありません。その場合は、「RF(Refused)」の欄にチェックします。運動員は、拒否した有権者の家を再度訪問しませんので、本当に回答を拒んだのか、それとも単に忙しかったのかを慎重に判断しなければなりません。
クリントン陣営は、コミットメントカードを回収すると共に、12年米大統領選挙及び14年中間選挙で蓄積してきたデータを最新のものにする目的で戸別訪問を実施しています。地上戦におけるデータの量と質の双方において、与党民主党は野党共和党に勝っており、アドバンテージの1つになっています。
やってはならないこと
戸別訪問ではボランティアの運動員は、「標的となっている有権者の家の中に入ってはいけない」というルールがあります。その理由は明確です。安全性を確保するためです。
共和党支持者の家の中に入ってしまうと、逆に説得にかかってくるケースもあるからです。仮に、日本で戸別訪問を解禁する場合、賄賂を防止するためにこのルールは極めて重要になるでしょう。
画像を見るクリントン選対(バージニア州フェアファックス市)
「標的となっている有権者に口実を与えない」も相手とコミュニケーションをとる上で不可欠です。訪問した有権者に「お時間を頂けますか」「お忙しいですか」と質問すると、「今忙しいからダメ」と言われ、クリントン候補を支持しているのかを聞き出せないからです。筆者の経験では、「あなたの票に頼ってもいいですか」と、直接質問を投げかける方が、標的となっている有権者から回答を得る確率が高いです。
さらに、「1軒の家に長時間留まらない」があります。1軒につき5分以内で有権者の回答を得るように指示が出ています。というのは、1回の戸別訪問で約40軒回らなければならないからです。
日本人の筆者が違和感を持ったのは、「陣営のパンフレットを郵便受けに入れない」です。米大統領選挙及び中間選挙で陣営のパンフレットを郵便受けに入れる行為は違法になるので、オバマ陣営と同様、クリントン陣営も注意喚起をしています。
余談になりますが、14年米中間選挙で、バージニア州第11選挙区のジェリー・コノリー下院議員(民主党)は、自らボランティアの運動員に向かってパンフレットの扱いに関して注意を促していました。ボランティアの運動員は、パンフレットをドアないし取手に挟んでいます。筆者は、ドアの前にパンフレットを置くように心がけています。
以上に加えて、やってはならないことには、「有権者名簿に掲載されている調査質問をやり残さない」「不作法な振る舞いをしない」「否定的な話をしない」「サングラスをかけない」があります。
覚えておくこと
画像を見るクリントン陣営のポスター(筆者撮影@バージニア州フェアファックス)
クリントン陣営では、戸別訪問について以下のように説明しています。
「戸別訪問は、合衆国憲法修正第1条(政教分離の原則、信教・表現の自由)によって保障されています。従って、州や市から特別な許可を得ずに実施できます。たとえ、有権者の家に訪問販売お断りのシールが貼ってあっても、戸別訪問を行うことができます。戸別訪問は勧誘ではなく、政治的表現の自由なのです」
有権者のスタッフやボランティアのリーダーは、戸別訪問が合衆国憲法修正第1条によって保障されている点を運動員に強く訴えています。
表現の自由と戸別訪問
画像を見る標的となっている有権者が住む地域(筆者撮影@バージニア州フェアファックス)
翻って日本の選挙制度を考えてみましょう。選挙期間中、戸別訪問を実施することは禁止されていますが、日本国憲法第21条によって表現の自由は保障されています。
上で述べましたが、戸別訪問でボランティアの運動員は、自分の言葉で政策や信念を標的となっている有権者に語ります。一言で言えば、戸別訪問はコミュニケーションです。一歩踏み込んで言えば、説得です。一般に日本人が描く「戸別訪問=金銭の授受」とは、まったく認識が異なっています。
選挙権年齢の18歳以上の引き下げに留まらず、高校生及び大学生に戸別訪問を通じた政治的表現の自由を与えるべきであると筆者は考えています。
- WEDGE Infinity
- 月刊誌「Wedge」のウェブ版



