- 2016年08月12日 16:08
サッシー指原莉乃とクラーク高校野球部 ~不登校から「新しい10代」へ
■「社会参加」の裏ワザ
僕は20年くらい不登校支援をしていて、不登校中学生がとるメイン進路として「通信制高校」は王道であるのだが、この頃はどうもその発想自体が保守主義になっているようだ。
保守主義は言いすぎかもしれないが、不登校→通信制高校という図式事態がもう古くなっているということだ。
これまで通信制高校は「不登校」支援のひとつとして位置づけられてきた。90 年代半ばから延々不登校支援をしているオジサン支援者の僕などは、迷いなくそう思っていた。
が、最近わかってきたのは、通信制高校は不登校の受け皿だけではなく、10代の生き方のひとつのコースとして成り立っているということだ。
それは、不登校という「脱線組」が向かう一つのコースではなく、ポジティブに現在の「学校」システムからはみ出る10代の生き方のひとつとして成り立ち始めたということだ。
その生き方の一つとしては、たとえば現在開催されている「甲子園」大会に参加しているクラーク記念国際高校への進路がある。
クラークという高校は僕のようなベテラン不登校支援者にとってはひとつの裏ワザ的救いであり、それは、野球よりはとにかく「社会参加」の裏ワザだった。
クラークまて流れつかなくとも、たとえば大阪であれば府立の代表的通信制がひとつあるし、私立の通信制は6つもあるとされている。
それら1(公立)+6(私立)の大阪の高校に行けない不登校の10代たちがたどり着く場として、このクラークは機能していた。
■サッシー
が、今回の甲子園出場に現れているように、クラークは単価なる不登校救済ではなくなっているらしい。
ここではクラークのみをとりあげているが、こうした「一見、不登校支援の有力高校」と思われがちの高校の中には、不登校の受け皿以外に、10 代後半の新しい生き方のコースの一つとして、こうした通信制高校を位置づけているかもしれない。
わかりやすいのでもう一度クラークをとりあげてみるが、あのサッシー、HKTというかAKB48というかよくわからないが、10年代のアイドルブームを牽引する指原莉乃さんもクラーク出身だという。
気になってクラーク関連ニュースをみていると、女優の北川景子ほか、クラーク出身者は芸能やスポーツ分野に頻出している。
僕はもちろんクラークの宣伝マンではないが、ここでいいたいのは、不登校支援=通信制高校という図式はすでに通用しなくなったということだ。
それは、一芸に秀でた10代が、かったるい「学校」を飛ばして(というか「高校プログラム」をスルーして)たどりついた現代のオルタナティブ人生だ。
■そこに、「新しさ」を感じないか?
これまでは「フリースクール」や「オルタナティブ・スクール」といわれると、メインに「学校」がありその端っこのほうにフリーやオルタナがあると位置づけられてきた。
が、よく考えると、フリーもオルタナも、所詮「学校」の枠組なのだ。
我々には、言い換えると「日本人」には、いつのまにか「学校」がずいぶん大きな存在になっている。
サッシーは、そのトーク力や存在感で、いつのまにかニホンを引っ張っている。バックに大物プロデューサーがいるかどうかはさておき、いつのまにかサッシーがニホンを癒やしている。
また、クラーク野球部も、残念ながら一回戦で敗北したとはいえ、その存在を印象づけた。
ここには「不登校」はない。登校拒否もないし、学校の否定もない。
あるのは、10代の生き方だ。不登校という情報があろうがなかろうが関係なく、通信制という仕組みをいかして、あるいは通信制という仕組みを「背景」にして、それぞれの10代の生き方を模索する人生だ。
そこに、「新しさ」を感じないか?
言い換えると、そこに「学校」がないことに、あなたは驚かないか。
少なくとも僕は、10代後半の人生において、「学校」が背景化することに驚きを抱く。いや、「学校」はもっともっと背景化していいと思う。それだけ我々の人生観を現在のニホンの「学校」は縛っている。★
※Yahoo!ニュースからの転載


