記事

「声」が集まって影響力が生じる、その形式がネットメディアの普及によって変わりました。私はそれを面白がっているんです。

3/4
 絵画や音楽にしたってそうでしょう。それまでは王侯貴族の影響下で専ら絵画や音楽がつくられていたし、絵の具の値段などを考えると、それは仕方のないことだったでしょう。けれども、市民が絵画や音楽を買い求めるようになり、絵の具やカンバスといったメディアが手頃な価格になるにつれて、絵画や音楽による表現とその影響力は、市民と芸術家のものになっていきました。
 
 つまり、技術や産業や商業の発展によって、「メディアを使って自分の声をあげられる人」が増えた結果、娑婆世界のなかで声をあげられる人・影響力を行使できる人の幅が広がった、ということです。
 
 こうした変化は、90年代~00年代のメディア世界でも起こっているものです。かつて、出版社やテレビ局の独占物だった「不特定多数に情報配信する」行為は、この数十年間でものすごく敷居が下がりました。ブログも、YouTubeも、『小説家になろう』もそうです。それまではメディア業界の影響下で専らコンテンツがつくられ、選ばれていました。出版や放送にかかるコストを考えるとそれは致し方なかったでしょう。けれども、新聞や雑誌やテレビを介さずとも100万1000万単位のトラフィックが流れるようになり、情報配信が手軽になるにつれて、ネット上のテキスト配信や動画配信と、その影響力が拡大していったのです。
 
 変化を象徴しているのが、昼間の情報番組が垂れ流している「twitterやLINEの声」と称するあれです。あれらは番組にとって都合の良い「ネットの声」ではあるけれども、ああやって「ネットの声」と称するテキストをテレビが流しているということは、「ネットの声」の内容がなんであれ、「私達はネットの影響を受けています、私たちはネットの声を意識しています」と白状していることにほかなりません。もちろん、ああすることによって番組側が獲得する影響力ってのはあるでしょう――「私達はネットの生の声にもアンテナを張っているんですよ!」的な――、でも、「ネットの声」がテレビに垂れ流されるたび、メディア空間全般における「ネットの声」の位置づけや意味づけがテレビに近づいて、世論としての正統性、「声」としての確からしさが高まっていったのではないでしょうか。そうでなければ、東京オリンピックのロゴ問題や「保育園落ちた日本死ね!!」があそこまでの騒動になったとは、私には思えません。
 
 [関連]:ネットの暗い情念が“世論”と接続してしまう怖さ - シロクマの屑籠
 [関連]:私は、弾劾のプロセスとネットの性質に戦慄したんですよ - シロクマの屑籠
 [関連]:「炎上政治」と“脊髄反射” - シロクマの屑籠

   「ネットの声」を伝えるネットメディアが既存のメディアに近い位置づけや意味づけを獲得するにつれて、当然、ネットは影響力合戦のホットな最前線となりました。その兆候は00年代以前からありましたが、本格化したのは、twitterやFacebookがブームになった2009年以降でしょう。10年代におけるインターネットは、オタクやサブカルの陣地戦・洗脳戦よりもずっと生々しい影響力合戦、というより権力闘争の舞台となりました。
 
 ここで思い出していただきたいのが、さきほど私がアンダーラインを引いた“「私は反対だ」と表明できる限りにおいて、少数派でも影響力を振るうって事は全然珍しくない”というクラス内政治の傾向が、インターネットでもだいたい該当するということです。
 
 たとえば、あるイシューについて、誰かが肯定的な意見を言って「500万いいね」された一方で、別の誰かが否定的な意見を言って「100万いいね」されたとします。こういう時、絶対多数決の原理で「500万側の意見がそのままネット世論になる」ということは、あまり無いのではないでしょうか。
 
 東京オリンピックのロゴ問題を巡ってのネット世論を思い出すと、人によっては「インターネットは絶対多数決だ」と言いたくなるかもしれませんが、実際には、あの問題が窮地に立たされていく過程には幾度もの歯止めのプロセスがありましたし、あのロゴが使われなくなると決定した後も、ロゴの使用中止にすべての人が納得したわけでもなく、「最初のロゴのままであるべき」という声はインターネット上に木霊していました。「最初のロゴのままであるべき」という声は、完全に無駄だったわけでも完全に死んだわけでもありません。
  
 ましてや、映画『シン・ゴジラ』についての賛否などは、賛同/否定どちらかが絶対になることなど決して無いでしょう。だからといって肯定派の意見、否定派の意見、どちらも影響力を持たないわけではなく、どちらも、支持される度合いに見合ったかたちで影響力を保持することになります。
 
 だから、インターネットの影響力合戦で“勝利”したい人は、別に多数派でなくても構わないのです。少数派だったとしても、いくらかでも支持者がいて、声や影響力として認知され得れば、“勝ち”と言って差し支えないでしょう*3。「ラウドマイノリティ」という言葉もありますが、少数派がみずからの影響力を収集するのにインターネットは格好のメディアだと思いますよ。情報配信や支持者収集が非常にやりやすくなって、オピニオンのロングテールといいますか、これまでだったら言葉を発することもシンパシーの輪を広げることも難しかった人達までもが、大なり小なり寄り集まって影響力として、あるいは「勢力」や「声」として認知されるチャンスを獲得したのです。自分だけでは意見を表明できない人でも「いいね」や「リツイート」さえ押せば、自分が推す意見をそっくりそのまま広げられるから、例えば、1980年代だったら「話し言葉」の世界では珍しくなくても「書き言葉」の世界では黙殺されていたであろう人達までもが、意見を、嗜好を、不満を、影響力合戦の空間に投射できるようになったのです。
 
 インターネット、特にSNSの「いいね」や「リツイート」のたぐいには、話し言葉に近い性質もあります:つまり、書籍や映画に比べて忘れ去られやすく、後から顧みられにくい、という性質ですが、そこはそれ、インターネットには「消さない限り記録が消えないしアクセスされ続ける」「拡散範囲に制限が無い」といった特質もありますから、案外、古代のマジックアイテムと比較しても見劣りしないぐらいにはマジックアイテムっぽさがあります。この比喩で言えば、コンビニの冷蔵庫に入って人生を炎上させた人とは、強力なマジックアイテムを面白半分に使ってみたら、びっくりするほどエネルギーが集まって燃えちゃったって感じでしょうか。

あわせて読みたい

「インターネット」の記事一覧へ

トピックス

  1. 一覧を見る

ランキング

  1. 1

    BLOGOSサービス終了のお知らせ

    BLOGOS編集部

    03月31日 16:00

  2. 2

    なぜ日本からは韓国の姿が理解しにくいのか 識者が語る日韓関係の行方

    島村優

    03月31日 15:41

  3. 3

    「いまの正義」だけが語られるネット社会とウェブ言論の未来

    御田寺圭

    03月31日 10:09

  4. 4

    カーオーディオの文化史 〜ドライブミュージックを支えた、技術の結晶たち〜

    速水健朗

    03月30日 16:30

  5. 5

    BLOGOS執筆を通じて垣間見たリーマンショック後10年の企業経営

    大関暁夫

    03月31日 08:27

ログイン

ログインするアカウントをお選びください。
以下のいずれかのアカウントでBLOGOSにログインすることができます。

コメントを書き込むには FacebookID、TwitterID のいずれかで認証を行う必要があります。

※livedoorIDでログインした場合、ご利用できるのはフォロー機能、マイページ機能、支持するボタンのみとなります。