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「声」が集まって影響力が生じる、その形式がネットメディアの普及によって変わりました。私はそれを面白がっているんです。

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 また、文化祭の出し物を選ぶ時などがそうですが、一部の反対派を抑えて話をまとめなければならない際には、反対派が黙って言いなりになるのではなく、「反対派に貸しをつくって言いなりになっていただく」「反対派に配慮したかたちで取りまとめる」ことがよくあります。この場合、クラスのまとめ役や主流派だけが影響力を行使しているのでなく、反対派の生徒もそれなり影響力を行使している、と言えるでしょう。クラスメートと一切話をしない空気人間が内心で反対しているだけならともかく、クラスの一員としてそれなりコミュニケーションしている人が、「私は反対だ」と表明できる限りにおいて、少数派でも影響力を振るうって事は全然珍しくありません。影響力の勾配がよほど極端か、コミュニケーションを行う意志と能力を著しく欠いているのでない限り、その場で声をあげられるすべての人間・その場で発言するすべての人間が、影響力の相互作用の当事者であり、インフルエンサーでもあります。
 
 こういう影響力の相互作用が、家族、学校、職場、議会、世論、そういったあらゆるレイヤーで間断なく起こっている(しかも多重的に錯綜している)わけです。
 
 ただし、こういう影響力の相互作用と、声をあげる/あげないの問題は、個人の意志や能力だけで決まるものではありません。メディアが介在することによって、どこに・どんな・どれぐらいの声が届き、どの程度の影響力を振るうのかは大きく変わってきます。
 
 まだ文字や構築物*1が少数の人間に独占されていた頃、文字や構築物はすごいマジックアイテムでした。なぜなら、石碑に刻まれた王を讃えるメッセージや石碑の存在そのものによって、あるいはカテドラルの外観や屋内の絵画などによって、権力者はその場にいなくても影響力をばらまき続けることができたからです。ゲームっぽい比喩をするなら、これらは影響力の“遠隔攻撃”“影響力の無限スポット”にも等しかったでしょう。
 
 ほとんどの人が話し言葉(=会話)でしか他人に影響力を行使できなかった以上、文物によって他人に影響力を及ぼせる人間は圧倒的に優勢だったことでしょう。まだまだ社会システムが未熟だったにもかかわらず、一時的とはいえ、特権階級が国家レベルで権勢を振るえたのは、文字や構築物に助けられていたところ大だったと言わざるを得ません。もっとダイレクトな影響力の顕現である軍隊ですら、文字や構築物の助けを借りなければシステムとしての体裁を維持できませんでした。ほとんどの人がメディアを保有していない状況下でメディアを独占している人間は、圧倒的に強い。
 
 ところが、活版印刷やら産業革命やらが起こってから、状況が変わってきます。もう、文字や構築物は王侯貴族や僧侶だけの独占物ではありません。新聞や書籍が介在するかたちで、市民*2が影響力を持ち得るようになりました。情報伝達手段と複製技術と流通網の発達によって、市民が流行をつくりだせるようにもなっていきました。

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