- 2016年08月09日 06:00
東京五輪なんて六輪にすればいい ~“二度目のオリンピック”が持つ問題と可能性
買収が問題になるくらい待望されていない
リオ五輪が開幕しました。治安のことや選手村のことなど、本筋以外でもいろいろと話題になっています。そして4年後は、ふたたび東京にオリンピックがやってきます。訪日外国人の増加や経済効果などが期待されると言われてますが、特に若い世代の人たちは、なんだか冷めているように思います。
僕もこれまで、若者との会話で東京五輪に期待するような話題で盛り上がったことは一度もありません。マスメディアで散見される「2020年に向けて」というようなフレーズは、どこか一人歩きしていて、なんだか虚しい感じがします。
オリンピック招致をめぐって買収疑惑が報道されたときには、「競技場にもお金がかかりすぎだし、買収に何億ものお金を使うくらいなら、オリンピックなんてやめてしまえ」という声が特に若者の間で多くあがりました。でも僕は、別に競技場や買収の金額が問題の本質だとは思っていません。たかが数億円の買収行為に対して「やめてしまえ」という声があがるほど、今の東京ではオリンピック開催が待望されていないのではないか――。これが僕の仮説です。
そもそも2020年の東京五輪は、1964年の東京五輪とは意味合いがまったく違います。オリンピックには、「開催することで先進国の仲間入りを果たす」といったような、先進国への登竜門としての格別なステータスがあると思います。日本にとっては、前回の東京オリンピックはまさにそうで、世界を代表する国々や都市と肩を並べるくらい経済的発展を遂げた象徴として、またそこからさらに発展するためのエネルギーとして、国民のほとんどが開催に歓喜したようです。その点では、今回、南米初のオリンピックを実現したリオデジャネイロも同じだろうと思います。
しかし、今の日本はすでに先進国の代表格であり、東京でいえば、現在の「都市GDP(GRP)」はなんと世界1位です(さらに、2025年までは1位が継続されるとも予想されています)。再度オリンピックを開催したからといって、東京の認知度が今以上に急激に高まったり、激的な経済発展につながったりするとは考えられません。すると、たった数億円の買収費用ですら「もったいない」し「くだらない」となってしまう。仮に、新興国が念願の初開催を手に入れたのであれば、おそらくこの程度のことは「必要悪」として(国民感情としては)問題にすらならないはずです。
目指すべき“二度目のオリンピック”
“二度目の東京五輪”に向けては、前回の成功体験を知るシニア層だけで有識者会議が開かれ、すべてに莫大な予算が組まれています。もちろん、世界トップ都市としての威信をみせたいというのはわかりますが、若者たちの多くは、そのいつまでも規模の大きさばかりを追い求めるやり方やムードに対して、熱くなれないのでしょう。
もちろん、オリンピックそのものには素晴らしい価値があると思います。そして、東京がオリンピックをするべきではない、と言いたいわけでもありません。せっかく、既に世界トップの都市になった東京が“二度目のオリンピック”を開催できることになったのだから、これまでの他都市のオリンピックとはまったく違うタイプの“マニアックなオリンピック”を目指せたらいいのになぁ、と思うのです。
世界に勝つことばかりを意識して過剰に立派な競技場をつくるのではなく、すでにある施設を再利用した循環のシステムつくったり、応援を快適にするためにホスピタリティをとことん徹底したり、ネット環境を駆使して「最小の規模」で開催できる仕組みを実験してみるとか……。これまでとは“質の違うもの”こそが、今の日本が挑戦すべきことのはずです。
アニメや漫画、ゲームなどに代表される日本発のコンテンツは、ハリウッド映画のダイナミックさには敵わなくても、もはやそれとは比べるべきものですらなく、繊細な描写・表現や独特の世界観など、まさに“新感覚のもの”として世界に評価されてきました。
まぁ、僕がここで何を言ったところで、今さら変わるわけではありませんが、二度目の東京五輪は、そんな規模への対抗意識や執着を手放して、「こんなのもアリなのか?」と最初は違和感すら与えるかもしれない、未知で独特の新体験を提供する方向で勝負すれば、若者たちも巻き込んだまさに国民一体の祭典を実現できるはずです。
価値観の転換を世界に発信できるか?
僕たちのこれからの仕事やライフスタイル、消費サービスのあり方なども、この東京五輪の問題と同じく、“質の違うもの”や“新感覚のもの”を求める方向に進んでいくはずです。
衣食住が不十分な貧しい社会環境の中でなら、時には自分の「立場」になどかまうことなくお金を稼ぐことに集中できたのかもしれません。しかし、基本的な生活はある程度保証されるような時代になり、僕たち現代人の多くは、仕事や日常生活の中でお金以上に「よりよい立場」を貪欲に求めているようになってきたのだと思います。
立場は、お金よりもやっかいなものです。お金はいったん自分の銀行口座に入ってしまえば、自分で使わない限り、突然なくなったりはしません。会社での自分の評価が下がったとしても、一度手に入れたお金は自分のものとして保証されます。
一方で、立場というものは、そうはいかない危ういものです。コミュニティに属する人たちとの関係によって日々変化する相対的なものであり、極めて移ろいやすい。業績を上げて組織の利益に貢献できていたとしても、「あの人はスタンドプレーだ」とか「自分中心的でチームを乱す」なんていう評判が立てば、その人の立場はいくらでも悪くなっていきます。
この立場をめぐる問題は、これからの社会でもっともっと表面化して大きくなっていくに違いありません。いまはまだ、「立場をわきまえる」という言葉があるように、それに躍起になることがはばかれるような空気がありますが、いずれお金を手にすること以上に、どう自分の立場を守るかに必死になる人が増えていくような気がします。そして同時に、自分の立場をうまくつくることができず、精神的な不安定や不健康におちいる人もたくさん出てくるでしょう。
だからといって、「いい立場」を守ることにばかり注意をはらう人生が、決して健全なものだとも思いません。運もあるし、努力すれば常に維持できるというものでもないと思います。それよりも、そんなものは常に変わりゆく無常なものだと割りきって、自分が所属するコミュニティの中でつくられた一つに概念として、ある程度距離をとって柔軟な姿勢で付き合うくらいの余裕が大切なのではないでしょうか。
会社経営の観点から言えば、スタッフを正当に評価して給料に反映するということは大切ですが、金銭的な報酬を支出するには限界があります。これからは、それだけでなく、一人ひとりが快適に働ける「心地よい立場」や、その流動性をうまくつくっていくということが、組織マネジメントの新しい効能になったりするかもしれません。
人材・組織コンサルタント/慶應義塾大学特任講師
福井県若狭町生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程(政策・メディア)修了。専門は産業・組織心理学とコミュニケーション論。全員がニートで取締役の「NEET株式会社」や女子高生が自治体改革を担う「鯖江市役所JK課」、週休4日で月収15万円の「ゆるい就職」など、新しい働き方や組織づくりを模索・提案する実験的プロジェクトを多数企画・実施し、さまざまな企業の人材・組織開発コンサルティングなども行う。
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