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- 2011年06月20日 23:20
ドイツは脱原発に決めた理由 (クララ説、其ノ壱)
ヒロシマとナガサキを経験した日本は、たとえ、原子力アレルギーに罹っているとしたら、おそらく、誰の感情を害することはないでしょう。ただ、日本は原子力を推進して、大変なことになりました。
福島第一原子力発電所はドイツから何千キロメートルも離れているのにもかかわらず、今年の三月にガイガーカウンターは一時的売切れていました。ドイツは構造プレート上にも位置していないのにもかかわらず、ドイツでは何千万人が脱原発デモに参加しました。
彼らは東日本大震災はドイツでも起こり得る兆しと見ていました。
そして、立党されたから、長年脱原発を主張していたみどりの党がはじめて州議会選挙での圧倒的勝利を収めました。
東日本大震災はドイツでの原子力撤廃を加速させました。
メルケル政権のその決定は、最近の出来事で、その成り行きは割とわかりやすいですが、その背景にはいったい何があるのか、と最近色々考えました。
福島出身の友達に、「フランスとドイツってはんでそんなに違うの?」と聞かれて、答えられませんでした。
何週間前 に、「ドイツ人の原子力アレルギーはチェルノルブイリが原因」とも書きましたが、考えた結果、それ以上の原因はたくさんあると思って、次々とブログで書いてい きたいと思います。
一つは、ドイツの近代史にあると思います。
ある種のドイツ人は海外旅行する際に、けして「おれ、ドイツ人だよ。」と現地の人にアピールはしません。
隠している人までいます。
それはアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容ならの話でしたら、当然ですけれども、観光地でも隠しています。私が或るイギリスの博物館でアルバイトをして、チケットを販売していた時の話です。
そこに若いドイツ人の女子大学生二人は、チケット売り場に近づいていました。明らかにドイツ人なのに、お互いの会話は英語でした。
そこで、私が、同じドイツ人として、
「学生二名ですね。ありがとうございました。10ポンドになります。」
とドイツ語で答えると、よく、
「ええ、何でわかったんですか。」
と驚かれました。
まあ、相手が明らかになまっているからというのもあるけど・・・ それからドイツ語のガイドブックを持っているとか、ファッションとか、すぐにわかりますもん。同じドイツ人ですから。
しかし、
「なんとなく」
しか答えませんでした。
「それにしても、あなた、ドイツ語が上手ですね。」
「ありがとうございました。」(うふふ)
という話があるぐらいです。
私も、つい最近まで、ドイツ人であることを誇りに思っていませんでした。
例えば、
「30歳だけど、25年も書道を続けている」
「『津軽海峡冬景色』を歌うと、石川さゆりに間違われる」
「今日は牛乳がちゃんと飲めた」
「人見知りなのに、今朝は妊婦に席を譲った」
「現役で東大に受かった」
という、努力して得たものは誇りに思ってもいいと思います。ただ、国籍は特に頼んでもないのに、何の努力もせずもらったもので、私は誇りに思えません。
私が受けた学校教育と親の教育ではナチスの残酷な犯罪についてよーく教えてもらいました。(勉強させられましたという方もいらっしゃるでしょう。)
1939年に全ての女性が強制的に「サラ」という名前、それから男性は強制的に「イスラエル」という名前をつけられた法律の事を聞いて、とても印象的でした。名前は変わるものではないと思っていました。
それから、学校で、Die Kinder aus Nummer 67 (全九巻は何回もむさぼるように読んだ!)、 ヒトラーにぬすまれたももいろうさぎ、アンネの日記という本を読んで、若い頭に色々な疑問がわいてきました。
しかし、そこで興味を持って、おじいさんに聞いても、
「ロシアの収容上での仲間の友情は素晴らしかった」
だけと語ってくれました。おばあさんに聞いても、
「それはさあ、今日のゴミは何ゴミ?古紙?あら大変。重いから、運んでくれる?」
と話を逸らした。その代りには学校で話はたくさん聞けました。いや、聞きすぎたという人もいるでしょう。歴史の授業だけではなく、国語、政治、社会、音楽、図工、宗教、英語、フランス語でも勉強しました。そうそう、図工の授業は頽廃芸術の話をして、フランス語ではヴィシフランすやレジスタンスの勉強をしました。特に、ここではドイツへの過去に関する考えを論じるつもりではありませんが、ドイツは、過去のことを克服しようとして、それようの単語が存在するほど、大切とみられている作業です。
Vergangenheitsbewaeltigung → 『ナチス時代にドイツが犯した犯罪を深く反省して、議論・論争したり、社会を改善して行く概念』
ドイツ人の環境意識は、「組織的大量虐殺といった大罪から、ドイツ社会の悪弊を除いて、あるべき状態に戻す無意識的な浄化作業」であるというミッチェルリヒさんの説もあるそうですが、そこまでではないと思います。
私が思うのは、残酷な時代を経験して、親が経験していて、おじいさんおばあさんが経験してきたものを学んで、過去に起こった誤りは絶対にもう一度繰り返さないように、一人ひとりが自分の行動に責任を持つようになりました。(だからといって、ドイツの離婚率はものすごく低いというわけではありません・・・
フォン・ヴァイツゼッカーが言った通り、「過去の問題から目を背けるものは未来に対しても盲目になる」
カントも責任感を大切にしているそうですね。
「汝の意志の格率がつねに同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行動せよ。」("Handle nur nach derjenigen Maxime, durch die du zugleich wollen kannst, dass sie ein allgemeines Gesetz werde. “)
それは、今の事情に少し言い換えますと、
「汝の使用する技術がつねに同時に普遍的な原理として妥当しうるような技術のみで使用せよ。」
になるのかな?
次の世代、次の世代・・・を考えて、ドイツ人は責任を持って、行動しているという説はおかしくないと思いますが、皆さんはいかがでしょうか。
きっぱりを原子力撤廃に決めたドイツを見て、私は大変感動しました。70年代に、原子力に反対していたドイツ人は人口のたった15%だったのに対して、推進(擁護)派は今17%しか残っていません。私もその時代を生きて、向こうに住んでいた時に、脱原発を推測する政治家を応援しました。
そして、先日は、(大変ばかげた理由かもしれませんが)、ドイツは脱原発を決めて、生まれてはじめて、ドイツ人である事を誇りに持つことが出来ました。
自分も時代は変わるもんですね。
福島第一原子力発電所はドイツから何千キロメートルも離れているのにもかかわらず、今年の三月にガイガーカウンターは一時的売切れていました。ドイツは構造プレート上にも位置していないのにもかかわらず、ドイツでは何千万人が脱原発デモに参加しました。
彼らは東日本大震災はドイツでも起こり得る兆しと見ていました。
そして、立党されたから、長年脱原発を主張していたみどりの党がはじめて州議会選挙での圧倒的勝利を収めました。
東日本大震災はドイツでの原子力撤廃を加速させました。
メルケル政権のその決定は、最近の出来事で、その成り行きは割とわかりやすいですが、その背景にはいったい何があるのか、と最近色々考えました。
福島出身の友達に、「フランスとドイツってはんでそんなに違うの?」と聞かれて、答えられませんでした。
何週間前 に、「ドイツ人の原子力アレルギーはチェルノルブイリが原因」とも書きましたが、考えた結果、それ以上の原因はたくさんあると思って、次々とブログで書いてい きたいと思います。
一つは、ドイツの近代史にあると思います。
ある種のドイツ人は海外旅行する際に、けして「おれ、ドイツ人だよ。」と現地の人にアピールはしません。
隠している人までいます。
それはアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容ならの話でしたら、当然ですけれども、観光地でも隠しています。私が或るイギリスの博物館でアルバイトをして、チケットを販売していた時の話です。
そこに若いドイツ人の女子大学生二人は、チケット売り場に近づいていました。明らかにドイツ人なのに、お互いの会話は英語でした。
そこで、私が、同じドイツ人として、
「学生二名ですね。ありがとうございました。10ポンドになります。」
とドイツ語で答えると、よく、
「ええ、何でわかったんですか。」
と驚かれました。
まあ、相手が明らかになまっているからというのもあるけど・・・ それからドイツ語のガイドブックを持っているとか、ファッションとか、すぐにわかりますもん。同じドイツ人ですから。
しかし、
「なんとなく」
しか答えませんでした。
「それにしても、あなた、ドイツ語が上手ですね。」
「ありがとうございました。」(うふふ)
という話があるぐらいです。
私も、つい最近まで、ドイツ人であることを誇りに思っていませんでした。
例えば、
「30歳だけど、25年も書道を続けている」
「『津軽海峡冬景色』を歌うと、石川さゆりに間違われる」
「今日は牛乳がちゃんと飲めた」
「人見知りなのに、今朝は妊婦に席を譲った」
「現役で東大に受かった」
という、努力して得たものは誇りに思ってもいいと思います。ただ、国籍は特に頼んでもないのに、何の努力もせずもらったもので、私は誇りに思えません。
私が受けた学校教育と親の教育ではナチスの残酷な犯罪についてよーく教えてもらいました。(勉強させられましたという方もいらっしゃるでしょう。)
1939年に全ての女性が強制的に「サラ」という名前、それから男性は強制的に「イスラエル」という名前をつけられた法律の事を聞いて、とても印象的でした。名前は変わるものではないと思っていました。
それから、学校で、Die Kinder aus Nummer 67 (全九巻は何回もむさぼるように読んだ!)、 ヒトラーにぬすまれたももいろうさぎ、アンネの日記という本を読んで、若い頭に色々な疑問がわいてきました。
しかし、そこで興味を持って、おじいさんに聞いても、
「ロシアの収容上での仲間の友情は素晴らしかった」
だけと語ってくれました。おばあさんに聞いても、
「それはさあ、今日のゴミは何ゴミ?古紙?あら大変。重いから、運んでくれる?」
と話を逸らした。その代りには学校で話はたくさん聞けました。いや、聞きすぎたという人もいるでしょう。歴史の授業だけではなく、国語、政治、社会、音楽、図工、宗教、英語、フランス語でも勉強しました。そうそう、図工の授業は頽廃芸術の話をして、フランス語ではヴィシフランすやレジスタンスの勉強をしました。特に、ここではドイツへの過去に関する考えを論じるつもりではありませんが、ドイツは、過去のことを克服しようとして、それようの単語が存在するほど、大切とみられている作業です。
Vergangenheitsbewaeltigung → 『ナチス時代にドイツが犯した犯罪を深く反省して、議論・論争したり、社会を改善して行く概念』
ドイツ人の環境意識は、「組織的大量虐殺といった大罪から、ドイツ社会の悪弊を除いて、あるべき状態に戻す無意識的な浄化作業」であるというミッチェルリヒさんの説もあるそうですが、そこまでではないと思います。
私が思うのは、残酷な時代を経験して、親が経験していて、おじいさんおばあさんが経験してきたものを学んで、過去に起こった誤りは絶対にもう一度繰り返さないように、一人ひとりが自分の行動に責任を持つようになりました。(だからといって、ドイツの離婚率はものすごく低いというわけではありません・・・
フォン・ヴァイツゼッカーが言った通り、「過去の問題から目を背けるものは未来に対しても盲目になる」
カントも責任感を大切にしているそうですね。
「汝の意志の格率がつねに同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行動せよ。」("Handle nur nach derjenigen Maxime, durch die du zugleich wollen kannst, dass sie ein allgemeines Gesetz werde. “)
それは、今の事情に少し言い換えますと、
「汝の使用する技術がつねに同時に普遍的な原理として妥当しうるような技術のみで使用せよ。」
になるのかな?
次の世代、次の世代・・・を考えて、ドイツ人は責任を持って、行動しているという説はおかしくないと思いますが、皆さんはいかがでしょうか。
きっぱりを原子力撤廃に決めたドイツを見て、私は大変感動しました。70年代に、原子力に反対していたドイツ人は人口のたった15%だったのに対して、推進(擁護)派は今17%しか残っていません。私もその時代を生きて、向こうに住んでいた時に、脱原発を推測する政治家を応援しました。
そして、先日は、(大変ばかげた理由かもしれませんが)、ドイツは脱原発を決めて、生まれてはじめて、ドイツ人である事を誇りに持つことが出来ました。
自分も時代は変わるもんですね。
- Clara Kreft(クララ)
- 在日ドイツ人ライター。ドイツ人ならではの視点で執筆。



