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政治と学問界における「男と女のいまむかし」 - 富吉賢太郎

戦後第一回の総選挙は、敗戦からおよそ8カ月後、1946年4月10日に行われた。当時の佐賀新聞をみればよく分かる。戦争に負けて、食う米も、住む家も、着る着物にも事欠いた日本の国づくりを担わんと立候補したのは全国で2772人。衆議院定数は466。佐賀県は定数5に実に37人が立候補している。昨今の選挙でよく言われる「少数激戦」とは全く違って驚くべき「多数激戦」だったのだ。新聞は歴史の証言者である。

戦争は終わったとはいえ、なおGHQ(連合軍総司令部)の監視下で行われた、この歴史的な選挙は日本初の女性代議士39人を誕生させた。

しかし、それから60年。2005年の衆院選、小泉政権下で行われた、いわゆる「郵政解散総選挙」で43人の女性代議士が誕生するまで戦後初めての選挙で獲得した女性議席39という数字を超えることができなかった。政治の世界で女性がいかに歯がゆい思いをしていたか、数字を見ればよく分かる。

そして、佐賀からは未だに女性代議士がいない。何だか寂しい気がするが、いやいやどっこい、地方にはすごい女性たちがあまたいたことを知っておきたい。例えばこんな話はどうだろう。

1913(大正2)年9月1日。この日は日本の女子教育にとって特別な日とされている。東北帝国大入学許可者38人の中に3人の女性がいたからだ。丹下梅子、牧田ラク、黒田チカの3人。それまで日本の最高学府・帝国大学は「学問は男の特権」とばかりに、まだどこも女性に門戸を開いていなかった。だが、東北帝大初代総長沢柳政太郎の英断で日本初の女子帝大生が誕生したのである。

「子どもを生んで国家に務めを果たしている日本の女子が大学まで修める必要があるのか」などという仰天の反対論は時代がいわせた言葉である。


丹下梅子は鹿児島出身の栄養学者。幼い時、右目を失明したが鹿児島師範をトップで卒業。小学校の教師を経て日本女子大に。さらに40歳を過ぎて東北帝大で学んだ。牧田ラクは京都出身。東京女子高等師範理学科を卒業して母校の嘱託教師として教壇に立った後に東北帝大を受験。見事に難関を突破した。神戸出身の洋画家金山平三(芸術院会員)との結婚で話題となった。

そして黒田チカ。黒田は佐賀市出身の化学者。佐賀師範学校から牧田と同じく東京女子高等師範へ。勉学への意欲は衰えることなく東北帝大では色素研究に没頭。卒業後は東京女子高等師範、お茶の水女子大で後進を指導。45歳の時、紅花からとれる色素研究で理学博士に。化学分野では女性初の博士となったのである。
理科離れがいわれる昨今、日本初の女子帝大生3人とも理科系だったことは興味深いが、今や男性をしのぐとされる女性の大学・短大進学率。まさに〝今昔の感あり!〟である。

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