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村上春樹氏への手紙に代えて - 馬場正博

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村上春樹氏は国際的にも高い評価を得て、ノーベル賞候補にも擬せられる、日本でもっとも高名な小説家の一人です。氏は今月9日スペインのバルセロナで行われた「カタルーニャ国際賞」の受賞式で「非現実的な夢想家として」と題する受賞スピーチを行い、原発廃止を訴えました(全文は例えばここ)。氏の影響力を考えるとスピーチの内容は相当広範囲の人々に届いたと思います。これは氏への私なりのメッセージです。

生活のすべてを置き去りにして遠く離れた避難所で不自由な日々を強いられている人々、育て上げた作物を放射能に汚染され廃棄しなければならない農民、不気味な音を響かせるガイガーカウンターの針を見つめながら子供の将来を台無しにするのではと不安におびえる母親。福島でそして日本中に広がっている恐怖と怒り、それらはたった一回の地震と僅か4基の原子炉が引き起こしたものでした。

科学者は「絶対はありえない」と言い、経済学者は「あらゆるものはトレードオフがある」言います。しかし、福島原発事故の結果が安全な原発という約束を破ったものであることは疑いようもありません。みな便利さや豊かさを求めます。それでもそれを得るための支払わなければならない犠牲が大きければ、すべての富は悪魔に魂を売った証に見えてしまいます。

「想定外」という言葉は傲慢さの裏返しに他なりません。事故は傲慢によって起きました。何もかも予見することなど不可能なのに、事故が起きるという可能性自身を想定の外に追いやっていたのです。事故が起きてからの指導者たちの混乱ぶりは、本当の意味で原発という怪物を飼い慣らす準備も覚悟もできていなかったことを示しています。そして、それは事故は起きないと信じ込む傲慢さのゆえでした。

私たちは間違った道に迷いこんでしまったのでしょうか。別の道は探さなければならないのでしょうか。道が見つからなくても、せめて道を引き返すことが分別というものではないでしょうか。原発事故という現実を目にして何もしないでいるほど私たちは愚かではいられません。

今は原発の存続を言うことの方が「夢想家」かもしれません。避けられない危険、積み上がる放射性廃棄物、得られるものは多少の贅沢と快適さ、失うものは未来、何をもって私たちは原発を使い続けると言えるのか。

しかし、いや、だからこそ、私は原発の中に核兵器を見てしまう、原発を「過ちは繰り返しませんから」という誓いと祈りを台無しにする不道徳なものと考えている人々に「それは違う」と言うことも義務ではないかと思います。

もともと原発は理解されることの少ない技術でした。最初それは無限の核エネルギーを利用することができる魔法の杖のように思われていました。「原発は電気メーターを無用の長物にするだろう」とまで言われたのです。原発は人類にとって二つ目のプロメテウスの火になることを約束されていると思われていました。

人類文明はいつもエネルギーとともにありました。火は人類をか弱いサルから地上最強の獣に変えました。産業革命は石炭の利用から始まり、20世紀の文明と科学は石油と堅く結びついていました。それは今でも続いています。

化石燃料が広範囲に利用されるまで、最大のエネルギー源は森の木でした。森が失われるとともに多くの文明が消え去っていきました。イースター島の巨大なモアイ像の群れは、かつてそこに存在した文明の生み出したものです。閉ざされた小さな島での争いと森林資源の枯渇がその文明を滅ぼしてしまいました。

人類は地球というイースター島よりは少しは大きな場所に住んでいます。しかし、森林資源が60億人の文明と命を支えることはできません。化石燃料を利用することは現代文明の原因でもありますが必然でもあります。

文明はいつも二つの顔を持っています。人間の手は木の実を砕く石器をいつでも人殺しに使うことができました。オッペンハイマーの手が血で濡れているなら、私たちの手も、文明そのものも血で汚れています。

その中で「効率」への批判は危険な罠です。効率を求める文明は戦争の悲惨さを拡大してきましたが、同時に医療を始めとした様々な文明の産物は人間の生活を向上させてきました。人間にとって何が幸福かを決めるのはたやすいことではありません。しかし、清潔で豊富な水の供給が伝染病を劇的に減らし、それが産業革命以降の電気やエネルギーの発達によって得られたものだということを見るだけでも文明の果たした役割を否定することはできないはずです。世界を飛び回りネットを通じて誰とでも会話ができる。人類文明が積み上げた高い塔の上に私たちはいます。

本当は文明に二つの顔があるのではありません。文明を作り出し利用する人間に愚かさと賢さが同居しているのです。人間の持つ愚かさを恐れるあまり、文明とその本質である効率性を否定することは賢い行いとは言えません。人間は賢く文明を利用する力も与えられているのです。

原発を捨て去ってしまうことが、人類にとって賢い選択なのでしょうか。結論を出す前にいくつかの現実を見つめ直すことが必要です。それは負の側面を持っているのは原子力だけはなく他の文明、技術も同じだということです。

化石燃料についてはいまさら繰り返すまでもないでしょう。産業革命で化石燃料の利用が始まった時から、環境汚染は化石燃料の最大の問題でした。最近はそれに地球温暖化へ懸念が付け加えられています。

資源の枯渇も問題です。昨年のメキシコ湾での大規模な海底油田からの原油流出は、そこまで石油を求めなければならなくなっている現状を改めて認識させました。石炭採掘で死亡する人は世界で毎年3万人を超えています。単純に死者の数を比べるのは慎みのあることとは言えませんが、死者の数を見る限り原発が何よりも危険な技術とは必ずしも言えません。

再生可能エネルギーに過大な期待をかける危うさも指摘しなくてはなりません。再生可能エネルギーは無尽蔵ですがひどく希薄です。文明を支えるエネルギーとなるためには高密度になるまでかき集めることが必要です。コストのまったくかからない太陽光や風をエネルギー源としながら再生可能エネルギーのコストが高いのは、希薄なエネルギーをかき集めるための設備と手間のためです。

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