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自由な市場では賃金は下がり続けない (1): 労働を売る自由

科学技術が進歩すると、物やサービスを生産する費用が下がります。例えば、採鉱技術の進歩によって、鉱物単位量あたりの採鉱に必要な費用が小さくて済むようになります。これは生産性が上がるということです。生産性を上げることが出来た鉱山会社は、他の鉱山会社に較べて安く鉱物を提供できるので、価格競争で有利な立場に立つことが出来ます。他の鉱山会社も競争に負けぬように採鉱技術の向上にしのぎを削るので、鉱物を採鉱するための技術はさらに進歩して、鉱物の価格はさらに下がります。

数年の単位でみれば鉱物価格は常に上下に変動しているのですが、五十年あるいは百年という長い期間でみれば、鉱物の価格は昔に較べて大きく下がっています。鉄を例にとっても、人間一人が利用する鉄の量が百年前から較べて大幅に増大したことを考えれば、技術の進歩によって昔に較べて鉄が利用しやすくなったことが分かります。技術の進歩によって価格が下がったのは鉱物だけではありません。程度の差はありますが、我々が日常利用している工業製品や農産物の殆んどは、過去の長い期間の間に価格が下がっています。

では、労働の価格、つまり人の「賃金」も、工業製品や農産物の価格と同じように、長い期間で見た場合に下がり続けるでしょうか。結論から先に述べると、人間が精神の自由と身体、そして身体を使った労働の成果である財産をどう使うかを自由に選択することが出来る社会では、賃金は短期間に上下することはあっても、何時までも下がり続けるということはありません。むしろ、人間の自由が許されている社会では、賃金は長い期間を通じて上昇するという傾向があります。今回は、この結論が導かれる理由を説明します。

人間で構成される社会では、交換活動は人間によって執り行われます。つまり人間が交換の条件を決める「主体」です。さらに、自由な社会であれば、人間は不本意な交換を強制されることはありません。提示された賃金や労働条件が気に入らなければ、人は労働力の提供を拒否することが出来ます。

もっとも、労働を提供することを拒否する自由があるとは言っても、分業と交換によって人々が生活を営んでいる社会では、労働力そのものを提供するか、あるいは労働力の成果である生産物を提供する以外に、自らが生活に要する物やサービスを得る手段は極めて限られています。自由な社会では、一旦職を離れたあとに、労働力あるいは労働の成果を提供することを拒否し続けるなら、その間の生活のためには、貯蓄を使うか、人から借金をするか、あるいは家族や友人の世話になる必要があります。従って、自分の労働に対して提示された賃金や労働条件を断り続けるにも限度があります。生活の糧が底をついてくれば、たとえ不本意な賃金であっても受け入れて職に就かなければなりません。

しかしながら、個々人の自由が認められている社会であれば、「不本意ながら受け入れざるを得ない賃金」が下がり続けて、まず奢侈品やレクリエーションを諦め、次いで教育や医療、さらに住居や衣類にも事欠く程の安い賃金を受け入れざるを得なくなり、ついには、今までと同じように一日中働いても食費を賄うにも困難を来たすほど賃金が下がり続ける、ということは起りません。以下にその理由を詳しく述べます。

今現在に生きる人々は、過去に生きた無数の人間が時間をかけて築き上げた科学技術や、生産や流通にかかわる様々な知識、工場や機械などの生産設備、品種改良された農作物や整備された農地、そして橋や道路などの恩恵を受けています。現在の社会で生産に従事する企業は、五十年前や百年前に同様の製品を生産していた人たちに較べると、生産力が格段に向上しています。現代の企業で生産活動に従事する人は、五十年前には存在しなかった工作機械、通信及び情報処理機器、輸送手段に助けられて仕事をしているために、同じ時間内に生産できる製品の質と量は、五十年前に較べて格段に向上しています。五十年には習得に長い時間がかかる職人芸が必要とされていた類似製品の生産に、今では短期間の訓練のあと直ぐに従事出来る場合も多いのです。

企業が昔に較べて生産能力の高い生産設備を有する場合には、同様の製品の生産活動に、昔より高額の賃金を支払ってでも労働力を求めようとします。例えば、今の企業が一人8時間の労働力を雇い入れることで、製品を20個増産することが出来たとします。一方50年前の設備では同じ一人8時間の労働力を増やしてもたった1個しか増産が出来なかったとします。たとえ、今製品一個が市場で売れる値段が50年前に較べて十分の一に下がっていたとしても、今の企業は50年前の企業に較べて、同じ一人8時間の労働力を雇い入れることで倍の収益を得ることが出来るのです。従って、高い生産能力を有する今の企業は、昔よりも高い賃金、この例では昔に較べれば倍、を払ってでも人を雇い入れることに熱心になるのです。

労働力を提供することで生活している人から見ても、様々な産業で生産性が上がっているということは、様々な物やサービスの価格が下がっているということもなります。もちろん、全ての物やサービスの価格が同じように安くなっているわけではありませんが、社会の生産性が向上したおかげで、同じ時間の労働力を提供して得られる賃金で購入できる物やサービスの量が増えています。つまり、「実質賃金」は上昇しているということです。また、実質賃金の上昇によって、消費する物やサービスの量を増やしたとしてもなおかつ貯蓄に回せる収入が増えています。

昔に較べて物価が下がっているということは、貯蓄額が同じであっても、職を失った際に昔よりも長い間粘って職探しを続けることが出来るということです。それに、貯蓄に回せる収入が増えるということは、職を失くした時のための備えを比較的容易にします。つまり、生産性が高い現在の社会に住んでいる人たちは、昔に較べれば、気に入らない賃金や労働条件を拒否できる力が強くなっているということです。

要するに、人が労働力を提供することで生活してゆく以上、不本意な賃金を受け入れざるを得ないこともあるのですが、生産性が向上した社会ではそうでない社会に較べて、企業はより高い賃金を払ってでも人を雇おうとするし、また雇われる人も、賃金の交渉の場で比較的強い立場に立てるのです。

以前のコラムで、人間が自由に自分の肉体を使って労働に従事することが許され、また労働の成果を自由に交換することが許される社会では、今売れている製品を安く提供したり今よりも生活を便利にする製品を新しく導入するために創意工夫を凝らしている人たちが常時存在することを説明しました。社会が自由で、創意工夫をする人間が存在する以上、生産性は向上し続けます。そして、生産性が向上する以上、雇い主はより高い賃金を払ってでも人を雇おうとするし、雇用される立場にある人々もより高い賃金を要求出来るようになるのです。従って、生産性が向上し続ける社会では、賃金は何時までも下がり続けることはなく、むしろ上昇を続けます。

職を断る自由があっても人間が労働力あるいは労働の成果を売って生きなければならない以上、全ての職を何時までも断り続けることは出来ません。つまり職を断る自由には制約があります。しかし、この制約は、労働力の買い手のせいでも、また自由な交換が出来るという社会の制度のせいでもありません。人間が自然に働きかけて生活に必要な物を生産して生存しなければならない以上、自然物を改変して得られる物やサービスの量には、社会が置かれた時代の技術と生産設備という制約があります。人々に得ることができるのは、その時点での社会で生産されたものに限られます。人と人の間の交換に際して、多くの物やサービスを望んでも、交換相手がそれだけの量の物やサービスを生産出来ない限り、その望みが満たされることは不可能です。交換相手の生産性が高まってこそ、自分が得られる物やサービスの量が増えるのです。自由な社会は人々の創意と工夫を促し、社会の生産性を向上させるので、職を断る自由に課せられた制約を緩和してゆきます。

以上の説明で、職を探している人がどんなに給料が安くとも目の前にある仕事なら直ぐ飛びつかなければならないほど切羽詰ってはいないという社会、言い換えると、自分が満足できる賃金や労働条件を提示されるまで就職を延ばすことが出来る社会であるということは、その社会の豊かさの現われであるということが分かります。

自分の労働力を売る自由がある社会では、自分の労働力を安く売る自由があります。朝から晩まで働いて、一日に三食と衣食住がぎりぎり満たされる程安い賃金で働くことに同意するならば、現代の産業化された社会では必ず雇い主が見つかります。失業しているということは本人にとっては苦しい状態には違いありません。それでも、自由な社会において自分が賃金に納得しないかぎり働くことを拒否しているということは、多くの人がそれさえ拒否出来ない状況にあるよりは豊かであるに違いありません。

それに失業はしていても、自分の能力に適した職を探す活動は社会的に見ても無駄ではありません。能力に適さない職にあわてて就くよりも、多少の時間がかかっても能力を生かせる職に就くほうが、能力を発揮して人々に貢献できるといる利点があります。投資家が労力と時間をかけて幾つかの投資先を検討した上で見込みある投資を行うように、仕事を探している人は自分の能力を適所に配置しようとしているのです。適材適所が可能である社会は豊かな社会であり、また、適材適所が可能だからこそ社会はさらに豊かになるのです。

さらに、人々が賃金が気に入らなければ職に就くのを拒否するだけの余裕がある社会では、人を雇う企業の側から見れば、雇いたい数の人たちを少なくとも満足させるだけの金額を提示しなければ必要な労働力を確保することが出来ません。職を探している人による就職の自発的な拒否は、賃金の下降を防いでいるのです。

鉄や農地などの資源は、採算の合う利用が不可能になった時点で資源ではなくなります。打ち捨てられた鉄製品や荒れる任せられた農地は、地中深く眠る石ころや一度も開拓されたことのない荒地と同じです。ところが、自由な人間によって構成される社会において、人間の精神と肉体は、人的資源として雇われて何かの生産のために使われるだけでなく、なによりも所有者である本人自身ために存在します。

人間は人に労働力を提供するためだけではなく、精神と肉体の所有者が自分が望むように精神と肉体を使うために、つまり自由な時間を享受するために、人に労働力を提供して生活の糧を得るのです。人間が特定の職に就くか就かないかを選択する際には、就職によって得られる収入と、就職によって失うことになる自由な時間を天秤にかけます。人間本人が、人のための生産活動に使っていないあいだの自分の精神と肉体に価値を置くという点において、人間は鉱物や農地など人間以外の資源とは全く異なります。

そして、精神と肉体の自由と、肉体を使っての労働の成果の自由な交換が許されている以上、社会の生産性の向上は人間の豊かさの向上、人間の自由時間の増大を目的として追究されるのです。社会の生産性の向上が自由な社会で追及される限り、賃金が下がり続けること、つまり、自由な時間がいつまでも縮小し続けるようなことは起り得ません。

上で、「失業していられる」ことが豊かさの現われであると書きました。人間が「失業する自由」を失った社会で、人間が鉄や農地と同様に、物やサービスを生産するために安く調達出来れば出来るほど好都合な単なる資源にされてしまうことを、奴隷制や社会主義社会での人間の地位を例にとって説明しましょう。

奴隷が所有者に仕事を命ぜられる奴隷制社会や、経済計画を立てる権力者に人々が職をあてがわれる社会主義社会においては、奴隷や労働者には失業もない代りに仕事を拒否する自由もありません。奴隷の持ち主や社会主義社会で権力を握っている人たちは、他の権力者の自由を踏みにじることは容易ではないので、権力者同士の間では交換がなされます。交換に際しては、自分が提供できる物やサービスの量が多いほど相手から多くの物やサービスを得られるので、満ち足りた権力者といえども、自分の生産する物やサービスの量をさらに増やそうとします。

奴隷制や社会主義のもとでの人間は、支配者にとって家畜や工作機械と同じです。家畜の飼育費や機械維持費を切り詰めれば切り詰めるほど、また家畜や機械をこき使えばこき使うほど生産性を高めることが出来るのと同様に、奴隷制社会や社会主義社会では、人間は家畜や工作機械と同じように経費削減の対象となります。奴隷制や社会主義のもとでは、労働条件の向上は見込めません。不本意な職を拒否する自由がある社会では、気に入らない賃金や労働条件を断り続けるには限度があるにせよ、賃金が上がり労働条件が改善してきます。

さらに、奴隷を所有する持ち主が、自分の財産である奴隷の価値を著しく減らすような扱いをすることは経済的にみて得になる行動ではありません。ところが、社会主義社会の権力者は労働者を容易に補給出来るし、社会の生産性を将来に渡って維持することよりも権力の保持することの方が大切です。したがって、社会主義社会の権力者は労働者を消耗品として扱います。労働者の解放を謳って打ち立てられた社会主義社会において、多くの人たちが強制労働に従事させられて命を落としたのはこのためです。

従って、人々が労働力の代価として得る賃金が何時までも下がり続けることがないためには、人々の自由が保障されている必要があります。社会の一部の人たちが力を持って、他の人たちの精神と身体の自由、身体の使い方を決める自由、身体を使っての労働で得た成果を交換する自由を剥奪する社会では、自由を剥奪された人たちの労働の代価はゼロに近付きます。

これまでの説明に対して、景気の悪い時、つまり多くの企業が作る商品の売れ行きが芳しくない時には、企業は従業員を次々に解雇し、増大した失業者が限られた職を奪い合うので賃金が下がり続けるという意見が出るかもしれません。確かに、景気の悪い時には賃金は下がります。しかし、一旦賃金が下がるということと賃金がいつまでも下がり続けるということは異なります。むしろ、一旦賃金が下がることが、労働力や生産設備や原材料などの社会の中での使われ方が、社会の生産性が高まるように再編成されるためには必要なのです。そして、社会の生産性が高まると、上で述べたように賃金が上昇し始めます。自由な社会では、労働に対する賃金は、上下の運動を小刻みに繰り返しながら、長い目で見れば上昇してゆくのです。

ある企業の商品の売れ行きがよくないということは、この商品をこの企業が提供する価格で購入しようという人が少ないということです。人々はそれぞれの限られた収入の中から、必要な物やサービスから優先順位をつけて購入を決めています。ある商品が売れないということは、その商品を現在の価格で提供し続けても、人々の今の限られた収入では望まれてはいないということです。これは社会的に見ると、この商品の生産に使われている労働力、生産設備、原材料や燃料が人々の役に立たずに無駄になっているということです。

その無駄になっている労働力、生産設備、原材料や燃料を使って、今限られた収入を割いてでも人々が購入したいと思うものを作ることが出来れば、資源の無駄が解消されます。無駄が解消されることによって社会の生産性が高まります。世の中にある様々な発明の中から、人々が欲しがるものを見極めて人々の手が届く価格で生産し提供するのは企業家の才覚です。

企業家が新しい商品の生産を始めるには、自分の貯蓄を使ったり人から借金をしたりして、生産設備を購入し、原材料を仕入れ、人を雇う必要があります。多くの企業が続々と倒産している時には、多くの生産設備が売りに出され、原材料の需要が下がっているので、生産設備や原材料の価格が下がっています。同時に失業者も増えていますが、自分が売る労働力の価格を自由に決めることが許される社会では、失業者が増えると賃金も下がります。新しく企業を起こす時に将来の成功が約束されているということは決してないのですが、買い入れる生産設備や原材料や労働力の価格が下がっているということは、そうでないときに較べると起業が比較的容易だということです。

新しく興された多くの企業の中から、一部の企業だけが顧客を掴んで生き残り、他は倒産していきます。人々が欲しがる新しい商品を売り出すことに成功した幾つかの企業は、成長を続ける過程で設備投資を増やし人をさらに雇い入れます。そして、賃金の下降が止まります。新興企業がさらに成長を続けるとさらに雇う人を増やすので、失業者が減少し、今度は賃金の上昇が始まります。

従って、社会が不景気から脱却して賃金の下降を止めるには、無駄に使われている生産設備や原材料や労働力が、業績不振企業から解き放たれて、新しい企業に使われるようになる必要があります。業績不振企業から解放された生産設備や原材料や労働力の価格は一旦下がりますが、これらの価格が下がるからこそ、新しい企業が新しい目的に使い始めることが促進されるのです。

物価が下がり続けることをデフレーション(デフレ)と呼びますが、上で説明したようにデフレそのものが必ずしも人々を苦しめる訳ではありません。賃金の下がった職に就かなければならないことは苦しいことです。しかし、この苦しみを生み出している根本的な原因は、多くの企業が売れない商品を作っているという状況です。無駄に使われている生産設備、原材料、労働力が自由になって、人々が収入を割いてまで買いたくなるものを作るために使われるようになるまで、この苦しみの原因は取り除かれません。苦しみの原因を取り除くためには生産設備、原材料、労働力の価格が一旦下がることが有効なのです。

進取の気性を持つ企業家が容易に生産設備や原材料や労働力の再編成が出来るなら、賃金が下降する期間が短くなり、下降の程度も小さくて済むのですが、残念ながら、政府がこの再編成を妨げています。次回は、人々が労働力を売り買いする労働市場に絞って、有害な政府の介入例を検討してみましょう。

--らくいち--
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