- 2016年07月11日 12:00
史上最年少! 30歳の副町長が鹿児島で体現する「地方創生」
1/3安倍政権の成長スローガンの1つ、「地方創生」。全国の地方公共団体が差別化に苦戦する中、鹿児島県で奮闘する30歳の若き総務官僚がいる。
鹿児島県長島町の副町長、井上貴至さんは大阪出身。大阪星光学院から東京大学法学部へ進学、総務省で政治資金改革に取り組み、地方創生人材支援制度を発案、内閣官房では拉致問題を担当したという経歴の人物だ。その井上さんがなぜ、鹿児島県で副町長をしているのか? 井上貴至氏と田原総一朗氏の対談、完全版を掲載します。
大阪から東京へ、どんどん企業が流出していった
【田原】井上さんは大阪生まれで、中高生のころから地方の問題に関心を持っていたそうですね。なぜですか。
【井上】物心ついたときに、大阪の企業が東京に本社機能をどんどん移していました。日本生命とか、パナソニックとか。それを見て、このままでいいのか、何かやれることがあるのではないかと考えるようになりました。といっても、何をどうしていいのかよく分かりません。そこで、まずはいろんな人に出会いたいと思って東大に入りました。
【田原】東大ではどんなことをやったのですか。
【井上】最初のゼミの授業で、先生から「君ら東大生は何も知らない。とにかく現場に行きなさい」と言われました。先生はもともと過労死専門の弁護士でいらしたので、過労死のご遺族の方や企業側の弁護士の方にお話を聞きに行ったりしました。それから路上生活の方の炊き出しを手伝ったり、沖縄の防空壕や米軍基地にも行きました。そうした経験を通して、いろんな現場に行くことに興味を持ち始めました。
【田原】そこから総務省にお入りになった。なぜ総務省に?
【井上】中高生のころは公務員にだけはなりたくないと考えていました。地方がさびれていくのは、公務員がうまく機能していないせいだと思っていましたから。でも、大学でいろんな地方に関わっている先生や先輩と出会って、人に惹かれました。それから路上生活の人と接するうちに地方行政の可能性や責任を感じたことも大きかったです。
地元の企業がしっかり根付いている愛知県
【田原】総務省に入って1年目に、愛知県庁の市町村課に派遣されました。これは自分で希望して行ったのですか。
【井上】はい。1年目はみんな外に出ますが、都道府県は自分で選べます。愛知を選んだのは、地元の企業がしっかり地域に根を張って活動していたから。トヨタ自動車しかり、イナックス(現LIXIL)しかり、日本ガイシしかり。大阪とはえらく違うと思いまして。
【田原】どうして愛知の会社は東京に行かないのですか。実際に愛知に行って何か分かりました?
【井上】何でしょうね。市町村課の本来の仕事は、市町村が財政や税制、地方自治法関連のことで困ったときに相談を受ける県側の窓口で、お仕事をするうちに市町村の職員の方たちとプライベートでも仲良くなりました。誘われて地域のお祭りに遊びに行くようになったのですが、「俺はトヨタの社長になるより、この神輿の先棒を担ぎたい」と言う人が何人かいました。もう地域のDNAが自分のDNAになっていて、本当に毎年楽しみにしていらっしゃる。企業が東京に行かないのはいろいろな要因があって分からないのですが、地域には隠れたヒーローがたくさんいて、そういう人たちが地域を支えているということは分かりました。
「平成の伊能忠敬になる」と全国を回る
【田原】井上さんは「平成の伊能忠敬になる」といって、愛知以外にも全国の地方を回られた。どうしてですか。
【井上】地域のヒーローって、ホームグラウンドにいるときが一番輝くんですよね。もちろん東京で会うこともできますが、地方の魅力を知るには、絶対にこっちから出向いたほうがいい。そこで、全国でいろんな取り組みをしている町を訪ね歩こうと。
【田原】愛知以外では、どんなところに行ったのですか。
【井上】いろいろ行きましたが、とくに何度も通ったのは徳島の神山町と、長野の小布施町です。
【田原】神山町はどういう町ですか。
【井上】人口6000人ぐらいで、すだちの生産量が日本一の町です。もともと農業の町ですが、世界中からアーティストを呼んで、芸術作品を一緒につくろうという取り組みを20年近く続けています。アーティストの方が住みつくなかで、神山って面白いよねという話になって、ほかにも建築家やICTのベンチャーの方たちまで住みつき始めました。さらにそういう感度の高い人たちに喜ばれるように、レストランと農家と連携して有機栽培の野菜をつくろうという動きもあります。人と人が結びついて、新しいことがどんどん生まれています。
徳島県神山町に、総務省のサテライトオフィスを作ったが……
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。若手起業家との対談を収録した『起業のリアル』(小社刊)ほか、『日本の戦争』など著書多数。
【田原】井上さんは神山町でも活動されたのですか。
【井上】当時は総務省の仕事で忙しかったので、週末の行けるときに行って参加させてもらうくらいでした。政策的に関わったのは、地方創生で幹部から呼ばれて、何かアイデアはないかという話がありました。そこで振り返ってみると、地方の現場からは「みんな視察に来るけど、象徴的なところだけ見て帰ってしまう」という声が多かったことを思い出しました。たしかに地方には実際に生活してみないと見えてこない課題はあります。そこで地方創生を担当する官僚を神山町に1週間送り込んで、サテライトオフィスで仕事をしてみるという実験をしてみました。
【田原】サテライトオフィス?
【井上】いま神山町には東京から来たICTベンチャーが事務所を構えていて、ネットなどのインフラは整っています。そこで同じように官僚にも仕事をしてもらおうと。
【田原】やってみたらどうでした?
【井上】うまくできなかったです。ただ、これは神山町ではなく霞が関の問題。いざやってみると、むしろ霞が関のほうが遅れていて、パソコンができなかったりテレビ電話がつながらなかったりしました。
【田原】えっ、そうなの? 地方創生とか言いながら、霞が関のほうはやる気がないのかな。もう1つ、長野の小布施町は、どういう町ですか。
日本版ダボス会議?「小布施若者会議」
【井上】人口は1.1万人ちょっと。葛飾北斎が晩年の5年間に何度も滞留したところで、北斎の肖像画が多く残っていて、田園の中の小さな美術館を核に町づくりをしています。
【田原】どうしてそこに何度も行くことになったのですか。
【井上】人です。町長や町の事業者の方や、外から来た学生たちが町長のご自宅で、夜な夜な集まってワイワイ飲むんです。そこで出てきた話が少しずつプロジェクトに、形になっていくのが本当に面白かった。
【田原】たとえばどんなプロジェクト?
【井上】日本版のダボス会議を目指そうということで、「小布施若者会議」というのをやっています。すでに4回行われていて、僕も1回目から3回目まではお手伝いさせてもらいました。3回目は全国から若くてやる気のある人たちが約200人集まって、3日間にわたって地方の課題について話し合いました。
地方の課題は「地域作りが昔のジャイアンツになっている」こと
【田原】全国のいろんなところに行って、あらためて地方の課題は何だと思いましたか。
【井上】全国を回って感じたのは、地域づくりが昔のジャイアンツになってるなと。昔のジャイアンツは、4番ファーストタイプの選手ばかり集めて、チームとしてあまり機能していなかったじゃないですか。地域づくりも似たところがあって、主役しかいないんです。その結果、地域として機能していなかったり、地域が抱える課題が放置されたりしています。そうではなく、主役以外にもいろいろな人の力を借りたほうがいい。
【田原】地域の外から、4番バッター以外を連れてくるということ?
【井上】野球ではなくサッカーのたとえになりますが、ある問題を解決するときに1人でドリブルしたり、地域の中でパスを回し合うだけでは限界があります。本当はもっと最適なプレーヤーはいて、場合によってロングパスやバックパスをしたほうがいいこともあるはず。広い視野で地域外の人と組むことはとても重要です。
【田原】広い視野で連携って、具体的にはどういうことですか。
【井上】たとえばいま僕がいる鹿児島県長島町は食のブランド化が課題の1つです。ただ、自分たちだけで考えるとどうしても視野が狭くなります。そこでいまは大阪の辻調理師専門学校と協定を結び、先生や卒業生が現地で生産者にアドバイスしたり、卒業生の口コミで食材を販売しています。そのほうが地元の人だけでやるより効果的な手が打てる。僕は、そうやっていろんな人たちをつなぐ地域のミツバチになりたいのです。
【田原】地域のミツバチですか。地域を飛び回るうちに、花粉を運ぶようにして人と人をくっつけるイメージかな。面白いキャッチフレーズですね。
【井上】霞が関から深夜遅く帰るときタクシーの中で思いつきました。神山町は菜の花畑がきれいなのですが、そこにミツバチが飛んでいる絵がふと浮かんできて。
地方創生支援制度で長島町へ
【田原】それを制度化したものが、井上さんが提案して実現した「地方創生人材支援制度」になるのかな。これはどういうものですか。
【井上】人口5万人以下の小さな市町村に、官僚や大学の先生、町づくりの専門家などを派遣する制度です。これまでも国が一方的に人材を派遣する仕組みはあったのですが、これは市町村側に自分たちの町の課題を考えてもらい、どのような人が必要であるかを出してもらってからマッチングを行います。
【田原】井上さんは、この制度を使って長島町に行ったのですね。長島町は自分で選んだのですか。
【井上】いえ、行き先は人事に預けました。制度を提案した人がどこそこに行きたいというと、「あいつは自分が好き勝手やるために制度をつくったのか」と言われてしまいますから。
【田原】長島町はどんな町ですか。
【井上】ブリ養殖世界一の町です。漁協の正組合員が約350人いて、漁協の職員や加工するパートさん、運送会社などの関連産業まで含めると1000人近くの人がブリ養殖で生計を立てています。農業も盛んで、じゃがいも、牛、豚、鶏、みかん、たけのこが特産品です。
【田原】人口はどうですか。地図を見ると橋でつながっているようですが、ほとんど島ですよね。鹿児島空港からもずいぶんと離れている。やっぱり過疎化してますか。
【井上】1960年は2万人ぐらいでしたが、いまは半分の約1.1万人です。
【田原】典型的な過疎の町ですね。長島町への派遣が決まったとき、行きたくないとは思わなかったですか。
【井上】いや、まったく。むしろ心配だったのは、自分が行って受け入れてもらえるかどうか。最初は不安でしたが、地元の人もすぐ理解して仲間になってくれたので、1週目にはその不安もなくなっていました。
【田原】いきなり副町長としてやってくると、上から何だという話にはならないの?
【井上】最初は課長級の役職で入って3カ月やりました。それでみなさんか「井上君は面白い」と言ってくださり、議会で承認を得て副町長にしてもらいました。
【田原】なるほど。国からの押し付けではなく、まさに長島町が望んで副町長にしたのですね。
画像を見るブリ養殖世界一の町が過疎化した理由
【田原】ところで、長島町の過疎化の原因は何ですか。
【井上】大きいのは2007年に町内から高校がなくなってしまったことですね。高校に進学する子は阿久根市や出水市の高校に通いますが、バスで片道1時間以上かかるのでけっこう大変。なかには寮に入ったり、家族ごと引っ越すご家庭もいます。そうすると若い人が出て行ったまま帰ってこないという問題があるし、親のほうも進学費用がかさむので3人目、4人目はやめようかという話になってしまう。
【田原】難問ですね。どうやって解決しますか。
【井上】今年の4月から、「ぶり奨学プログラム」を始めました。これは町外に奨学金で進学しても、卒業後10年以内に町に戻ってくれば元金を町が創った基金から補てんするという画期的なモデルです。長島町は世界一のブリ養殖の町で、ブリはモジャコ、イナダ、ハマチ、そしてブリと成長して戻ってくる回遊魚。同じように大きくなって長島町に戻ってきてね、という願いを込めて、この名前にしました。
【田原】全額返さなくていいのはすごい。何人が利用しているのですか。
【井上】50人以上から申し込みがありました。
【田原】過疎の町でそれは大きい。でも、町にそんなお金はあるのですか。
【井上】地元の鹿児島相互信用金庫さんと提携して、超低金利の奨学ローンをつくってもらいました。それともう1つ、町のみんなで支えようということで、漁協や養豚場からもお金を出してもらっています。漁協からはブリが1本売れると1円で、今年は209万円、養豚場からは1頭につき30円で、年間約200万円の寄付をいただいています。じつは全国には戻ってきたら返済不要の奨学金がすでにあるのですが、お金がかかるので続かなくなったり、モラルハザードの問題が起きてやめようかという話になることが多い。その点、長島町のプログラムは町のみんなで支えるので、続く仕組みになっています。
【田原】井上さんが提案されて、長島町で反対はなかったのですか。
【井上】ありませんでした。保護者はもちろん助かります。それに人口が減るのは後継者問題やお客不足に悩む事業者にとっても厄介な問題なので、みんな賛成してくれました。
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