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ハーバードの必修科目「不祥事を回避する方法」とは

ハーバード・ビジネス・スクール准教授 ニエンハ・シェ 構成=佐藤 智 撮影=工藤睦子

ハーバード・ビジネス・スクールで「リーダーシップと企業倫理」の授業を担当するニエンハ・シェ准教授。専門はビジネス・エシックス(Business Ethics)。日本では、企業倫理と訳される。ここには社訓や社是、企業活動における法令遵守(コンプライアンス)などの概念が内包されている。世界基準の企業倫理とは何を意味し、なぜ学ぶことが必要なのか。今、求められる企業が持つべき倫理観について聞いた。

意思決定の基礎となる「ビジネス・エシックス」

ビジネス・エシックスというのは古くて新しいテーマです。「倫理」は昔から人間が考え続けてきたテーマでした。倫理的か否かは、人が生きていくうえで、永遠に切り離すことのできない課題だといえます。なかでもビジネス・エシックスは、世界規模で事業を展開する企業が増えている現在、特に注目したいテーマです。企業は利益を追求するだけではなく、社会に貢献できる存在となれるよう、倫理観を育んでいく必要性が高まっています。

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ハーバード・ビジネス・スクール准教授 ニエンハ・シェ
MBA/エグゼクティブプログラムの必修科目である「リーダーシップと企業倫理」を担当している。専門はグローバルリーダーの意思決定・責務・ビジネス倫理。日本人の母を持つことから、日本への関心も高い。


ビジネス・エシックスは、企業のリーダーや管理者たちが、意思決定をする軸の1つとなります。人によって答えが違ったり、一筋縄では解答を導き出せない課題に直面する際には、法的(legal)、経済的(economic)、そして倫理的(ethical)な観点から決断が必要です。私の授業では、意思決定に必要なそうした思考のフレームワークを、「倫理」の観点から学ぶことを目指しています。

思考のフレームワークを構築するためには、多くのビジネスの事例に触れることが欠かせません。たとえば、2015年、食品大手ネスレが販売するインドの即席麺「マギー」がリコールされたケース。基準値を超える鉛成分が含まれるという報道を受けて、ネスレのCEOはインドで会見を開き、「品質には問題ない」と主張しました。しかしその後、政府の食品安全基準局が基準値を超えていると表明。結局ネスレはインド全土で、生産と販売の停止を受け、多大な損害を受けました。その後、競合である英蘭ユニリーバもインドでの販売を中止するなど、他社にまで影響が出ています。

授業では、出来事を時系列に沿って、投資家・お客さま・従業員といったプレーヤーごとに状況を抽出。そのうえで、各時点で経営者やリーダーはどのような決断をするべきだったかをディスカッションしていきます。このマギーのケースでは、自社だけではなく、社会全体へ与える影響も含め、あらゆる角度から検証しました。

すでに解決したケースだけではなく、現在進行形のものも取り上げます。たとえばアップル社がFBIに対し銃乱射の犯人が使っていた「iPhone」のロック解除を拒否した事例なども取り上げました。

授業で注意するのは、主観的に議論を進めることです。起こっている現象を俯瞰し、机上の出来事として客観的に結論を出すのでは、実際に同じような場面におかれたときに生かすことができません。そこでまずは、「自分がその場にいたらどう考えるか」と学生に声を掛けることからはじめます。これにより、臨場感を持った思考を促すのです。議論のときには「自分がこの経営者だったらどう判断するか」と投げかけることもあります。そうするとまた違う意見が出てきたりする。どこまでも自身の出来事として話し合いを進めるのです。

このようなトレーニングを繰り返すことで、実際にトラブルに遭遇した際に意思決定できる思考法を身に付けていきます。意思決定というのは、一朝一夕にできるものではなく、こうした訓練を重ねていくことが欠かせません。

判断が迫られるような場面は、企業のリーダーやマネジメント職になってから直面するものばかりではありません。上司に命令されたが、行動に移してよいか迷う、自分の考えと会社の方針が食い違う……こうしたことに、誰でも悩まされた経験があるでしょう。自分自身で「これが問題だ」と課題に気づき、判断をくだし、自身の価値観を築いていくことは、どんな立場であっても求められることです。意思決定を避けない、そして、倫理の問題について語り合うことを厭わないことこそが、ビジネスマンに必須の素養といえるのではないでしょうか。

また、時代とともに新しく浮上するビジネス・エシックスのテーマに挑んでいく姿勢も重要です。

近年、ハーバード・ビジネス・スクールでは、学生たちが自ら課題意識を持って不平等や格差の問題を題材に、検討をすることが多くなっています。先日は、「ビジネスは、教育格差の是正に向けてなにを行うべきか?」というテーマで議論しました。飛び交ったのは「公教育に対して、ビジネスが介入してよいか」「倫理観を持ちつつ、教育事業を継続させることはできるのか」という議論。「ビジネスは教育の問題にも積極的に関わっていくべきだ」という主張もあれば、「教育に関わるのは事業のファイナンス面で思わしくないのではないか」など、幅広い意見が出されました。新たな問題を自分たちで設定し、幅広い価値観の中で議論することで、決断力をさらに強めていくことができるのです。

日頃の場面で自ら倫理的な課題を設定する。多様な価値観の人と、自身だったらどうするかとディスカッションする。どんな立場であっても意思決定の習慣をつける。こうした訓練を繰り返すことで、ビジネス・エシックスの軸を身に付けることができます。こうしたことを意識することで、ビジネススクールに通わなくても身に付けることができるのです。

今、求められる行動的倫理と「ビジネス人権」

近年、ビジネス・エシックスの学問的なトレンドは2つあります。

1つは、行動的倫理(behavioral ethics)。これは、組織や環境が人の行動にどんな影響を及ぼすかを対象とした研究です。

たとえば、利益を追求するあまり自身の倫理観に反している組織に属した場合、個人はどのように行動するべきか。個人の価値観だけでなく、組織にも焦点を当てて倫理を捉える学問です。意思決定が個人の価値観のみに左右されるわけではない以上、行動的倫理は解き明かしていくべき重要なトピックだといえるでしょう。

2つめはビジネスが担う人権への責任についてです。これは、研究の世界だけでなく、グローバル企業の多くが注目している事案です。

これまで一般的にイメージされてきた「人権」とは、国連の「世界人権宣言」で定められた、国家(政府)が権利を保障するというものでした。「現在は大企業も政府と同様に人権を守るべき存在なのではないか」という議論が出てきています。たとえば、企業は人の言論の自由や移動の自由といったものを阻害することはできず、尊重していくべきだというのがこの主張です。国連もこうした議論に対し、「企業も『人権を尊重する義務』がある」という一定の方向性を示しました。私は、あえて「人権」という言葉を使わずとも、「人を不当に扱わない」「人を傷つけない」といった言葉で表現したほうがいいと思っています。

議論に必要なのは「共通言語」

グローバルでビジネスをするうえで、ビジネス・エシックスを「共通言語で話す」ことは必須の要件です。「共通言語」は、倫理的な話をする際の前提です。おさえておくべき前提は、大きく3つあると考えています。

1つめは、自分の行動の結果が「害をなす」のか、「利益となる」のかという二項対立で考えていくこと。どれだけ利益を最大化させ、害を最小化できるかが議論の軸となります。

2つめの前提は、この利益と害の影響範囲の問題です。1つの事象は、個人にとっては害があることかもしれませんが、コミュニティ全体にとっては利益を享受できるかもしれません。利益や害が、誰に、どの程度影響を与えるのか。個人だけでなく、集団への影響力も鑑みていく必要があるのです。

そして、3つめの前提は、非常に基本的な倫理原則についてです。たとえば、「真実を話す」「盗みは悪いことだ」といった一般的な倫理的思考を共通に持っていなければ、ビジネス・エシックスを議論の俎上に載せることは難しいでしょう。

ハーバード・ビジネス・スクールでは、西洋の倫理観を根底においているので、ときには日本と異なる価値観に戸惑う学生もいるかもしれません。西洋の倫理観は、個人の状況や個人の地位を強調します。一方で、日本人学生などを見ていると、共同体や関係性を重視する傾向にあるように感じます。とはいえ、国が違っても共通する価値観を持っていたり、出身が同じであっても異なる思考を持っていたり、必ずしも、文化の違いによって倫理観は規定されるものではないと感じています。たとえ異なる価値観を持った人同士であっても、互いに納得できるような倫理観の着地点を探っていくことが重要です。

ビジネス・エシックスのクラスでよく起こる議論は、「会社の責任問題」についてです。コンサルティング会社&金融機関の出身者が多い欧米出身の学生は、株主を重視した論を展開します。しかし、メーカーなどの事業会社出身が多い日本人学生は「いや、株主だけではなく、従業員や社会全体からもアプローチしていくべきだ」と主張することが多い。コンサルティング会社などとは違い、事業会社の場合、多くの利害を持った関係者がいることで、こうした議論が生じるのかもしれません。国籍・文化・キャリアなど、異なるバックグラウンドや価値観を持った人たちが一堂に会することで、ビジネス・エシックスの研究が深まります。

企業の社会的責任への意識が高まっている今こそ、企業利益の追求と倫理的な活動は共存すべきものだと感じています。教え子たちを含め、日本のビジネスパーソンの方にも是非意識してもらいたいです。

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