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〈事件〉前の三島由紀夫を読む - 鈴木邦男

共同通信社から「愛読書エッセー」を頼まれた。「座右の書」のようだが、少し違う。「感銘を受けた本」「何度も読み返している大切な本」「転機をくれた本」を紹介してくれという。それを連載企画「本の森」に載せるという。「座右の書」なら、自分の指針になる本だ。気軽に紹介したり、書評したりできない。どうしよう、もっと楽に考えよう。そして、考えた。そうだ、これだ、と思った。三島由紀夫の『不道徳教育講座』(角川文庫)だ。

 ただ、共同通信は全国約50紙の地方新聞への記事配信を主業務としている。だから、いつ、どのような新聞に載るのかわからない。しばらくして、全国の新聞がドサッと送られてきた。20紙ほどある。掲載日もバラバラだ。それに驚いたが、レイアウトや見出しなど、各紙で違うのだ。たとえば「茨城新聞」(3月20日)は〈「真面目すぎない」知恵〉〈人生の受け身、学んだ〉、山陰新聞(4月1日)は〈ぎりぎりで救われた〉になっていた。

 その他、いろいろある。いろいろなレイアウトがある。いろいろな料理の仕方がある。それに、この本は三島の「代表作」ではないが、実に楽しい本だ。救われる本だ。1958年の「週刊明星」に連載されたものだ。三島がまだ「楯の会」をつくる前だ。2・26事件や愛国・憂国からも自由な時だ。だから常にのびのびと自由に書いている。楽しみながら書いている。

 そして、偽悪的、挑発的な見出しが並ぶ。たとえば「大いなるウソをつくべし」「人に迷惑をかけて死ぬべし」「友人を裏切るべし」…。エッ、何だこれはと思う。でもそれはギリギリの、究極の「自衛術」になっている。たとえば、「沢山の悪徳を持て」という。一つではダメだという。純情青年が「アバズレ」に貢いで、金に困り、強盗をはたらく。彼はきまじめだったから、恋に一途になる。犯罪に走る。他にも女が2、3人いれば、せいぜい「借金を踏み倒す」くらいですんだ。悪徳は一つ位で、それ以外の悪徳を持たないと、これでは危ない。自滅する。

 この本は「悪の護身術」だ。「九十九パーセント道徳的、一パーセント不道徳的。これがもっとも危険な爆発的状態なのであります」と三島は言う。そうか、「国のため」「家族のため」「友人のため」と思いあまって暴走する。自分が暴走し、犯罪者として捕まるくらいなら、宗教や国や友人のためなんてことは捨てたらいい。でも、捨てられないのだ。知人から金を借りて「何とか返済しないと」と思い、強盗に入り、人を殺してしまった人がいる。僕は面会に行って、こう言った。「そんな犯行をする位なら、逃げちゃうか、自己破産をしたらいいじゃないですか」と。そのときの彼の答えが忘れられない。「鈴木さん、そんな悪いことは出来ません」。知人に金を返す、そのことだけに固執して、どんどん悪をとりこんでいく。

 この本は、時々読み返している。学生時代には「三島さんも困るよな、こんな軟弱な本を書いて…」そう思っていた。自分たちが未熟だったのだ。各地方紙を読みながら、こうも考えた。三島は、このあと、2・26事件に関心を持ち、自衛隊体験入隊、「楯の会」結成へと向かう。僕もそのなかで知り合ったし、その後の「歩み」は肯定する。と、同時に、この本のような楽しい本も書いてほしかった。三島がいわゆる三島事件の「三島」になる前だ。宗教についても、政治についても、とても寛大だ。

 そうだ、景山民夫さんもそうだった。「幸福の科学」に入る前は「天国や地獄などあるものか」と書いていた。「幸福の科学」に入ってからは彼もまじめになった。「信者」としては、敬虔な信者であればいい。でも、作家としてはあくまでも不道徳なものを持って書いてほしかった。

 我々は1970年11月25日という結果を知っているので、そこに至るまでの物語を見、そこまでの本を読もうとする。しかし、今、売れているのは『命売ります』『不道徳教育講座』だ。又、『美しい星』は映画化されるそうだ。三島由紀夫の決起も自衛の闘いも出てこない。〈事件〉前の違う三島由紀夫を読んでみるのもいい。

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