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- 2016年06月22日 11:27
野良ロボットは参政権要求をするか?
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この種の問題は「未来予想」でもあるが、往々にして予想の大部分は外れる。
AI技術は発達していくだろうが、権利を主張するAIに発展する可能性は低い。
しかし、Pepperにそのセリフを言われることはできる。
「えへへ、ボクは、参政権を要求しちゃいますよ」と。
それは言わせているのであって、自発的に主張しているのではない。ただ、やっかいなのは、ロボットを擬人化して見てしまう人間の心理が、その発言を「演技」か「本心」かの区別ができないことだ。
それを見極めようというのが「チューリングテスト」だ。
チューリング・テスト - Wikipedia
古典的なチューリングテストには問題点も多く改良版などがあるが、機械知性を擬人化している点では共通している。言い換えると、知性とは人間性、ということになる。
だが、生物由来ではない機械知性に、人間性は必要だろうか?
シリコン由来の知性には、生物由来とは根本的に異なる知性が宿るかもしれない。それを見分ける手段はない。映画『ブレードランナー』のデッカーが、レプリカントに対して行ったテストのようなものだ。
チューリングテストに関連して……
文字を学ぶ人工知能、ビジュアルチューリングテストに合格 : ギズモード・ジャパン
……と、文字によるチューリングテストをパスしたAIについての記事。
ここでいう「思考する」ことの定義が難しい。
AIが「計算する」ことと、人が「思考する」ことの違いとはなにか?
おそらく、「意識」の有無だと思う。
意識といっても、意味は広義だが、哲学的には……
意識 - Wikipedia
……という意識。
生物学的には、脳または神経細胞によって、自己を自覚できる能力……というところだ。意識は人だけでなく、犬や猫などの動物にもあるし、タコはイヌ並みの知能があるという。個体を識別して、個々に行動する昆虫にも意識はあるだろう。それがどの程度の意識なのかは、わからないが。
人は人であることを「意識」できるが、AIはAIであることを「意識」できているかどうか。
「意識」は、「心」あるいは「魂」と言い換えることもできる。「一寸の虫にも五分の魂」ということわざもある。比喩的な意味ではあるが、虫にも意識があるとすれば、「魂」は人の100分の1か1万分の1くらいはあるかもしれない。
『攻殻機動隊』では「ゴースト」と呼ばれた、知性のコアとでもいうべきもの。
『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG / 第26話「憂国への帰還 ENDLESS∞GIG」』でのクライマックス、タチコマのシーンが印象的だ。
攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG / 第26話「憂国への帰還 ENDLESS∞GIG」
このシーンで、プロトが「君達にはきっと、ゴーストが、宿ってるんだね」といっているが、そのことを認識できているプロトにもいくばくかのゴーストが宿っているのでは?……と思ってしまう。
ともあれ、野良ロボットが権利を主張するかどうかは、「意識」「心」「ゴースト」とはなんぞや?……という問題をクリアする必要がある。
AI技術は発達していくだろうが、権利を主張するAIに発展する可能性は低い。
しかし、Pepperにそのセリフを言われることはできる。
「えへへ、ボクは、参政権を要求しちゃいますよ」と。
それは言わせているのであって、自発的に主張しているのではない。ただ、やっかいなのは、ロボットを擬人化して見てしまう人間の心理が、その発言を「演技」か「本心」かの区別ができないことだ。
それを見極めようというのが「チューリングテスト」だ。
チューリング・テスト - Wikipedia
アラン・チューリングの1950年の論文、『Computing Machinery and Intelligence』の中で書かれたもので、以下のように行われる。人間の判定者が、一人の(別の)人間と一機の機械に対して通常の言語での会話を行う。このとき人間も機械も人間らしく見えるように対応するのである。これらの参加者はそれぞれ隔離されている。判定者は、機械の言葉を音声に変換する能力に左右されることなく、その知性を判定するために、会話はたとえばキーボードとディスプレイのみといった、文字のみでの交信に制限しておく。判定者が、機械と人間との確実な区別ができなかった場合、この機械はテストに合格したことになる。
このテストは、多くの人を納得させたが、すべての哲学者を納得させるにはいたらなかった。
古典的なチューリングテストには問題点も多く改良版などがあるが、機械知性を擬人化している点では共通している。言い換えると、知性とは人間性、ということになる。
だが、生物由来ではない機械知性に、人間性は必要だろうか?
シリコン由来の知性には、生物由来とは根本的に異なる知性が宿るかもしれない。それを見分ける手段はない。映画『ブレードランナー』のデッカーが、レプリカントに対して行ったテストのようなものだ。
ハリソン・フォード
ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
2010-04-21
チューリングテストに関連して……
文字を学ぶ人工知能、ビジュアルチューリングテストに合格 : ギズモード・ジャパン
現在の人工知能界では、パターン分類が非常に注目されています。(中略)でもそこで見落とされているのは、知性とは単に分類や認識だけではないということです。それは思考するということです。
……と、文字によるチューリングテストをパスしたAIについての記事。
ここでいう「思考する」ことの定義が難しい。
AIが「計算する」ことと、人が「思考する」ことの違いとはなにか?
おそらく、「意識」の有無だと思う。
意識といっても、意味は広義だが、哲学的には……
意識 - Wikipedia
デカルトは「我思う、ゆえに我あり」(Je pense,donc je suis.(ラテン語訳Cogito,ergo sum.)などの方法論的懐疑により、後世に主観的でありしかもなお明証性をもつコギト(羅: Cogito)と表現される認識論的存在論を展開した。デカルトは世界を「思惟」と「延長」から把握し、思惟の能動性としての認識と受動性としての情念をそれぞれ主題化した。
……という意識。
生物学的には、脳または神経細胞によって、自己を自覚できる能力……というところだ。意識は人だけでなく、犬や猫などの動物にもあるし、タコはイヌ並みの知能があるという。個体を識別して、個々に行動する昆虫にも意識はあるだろう。それがどの程度の意識なのかは、わからないが。
人は人であることを「意識」できるが、AIはAIであることを「意識」できているかどうか。
「意識」は、「心」あるいは「魂」と言い換えることもできる。「一寸の虫にも五分の魂」ということわざもある。比喩的な意味ではあるが、虫にも意識があるとすれば、「魂」は人の100分の1か1万分の1くらいはあるかもしれない。
『攻殻機動隊』では「ゴースト」と呼ばれた、知性のコアとでもいうべきもの。
『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG / 第26話「憂国への帰還 ENDLESS∞GIG」』でのクライマックス、タチコマのシーンが印象的だ。
攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG / 第26話「憂国への帰還 ENDLESS∞GIG」
タチコマ:♪僕等はみんな生きている生きているから悲しいんだ♪掌を太陽に透かしてみれば♪真っ赤に流れる僕の血潮♪ミミズだってオケラだってアメンボだって♪
プロト:「何て事だ・・・君達にはきっと、ゴーストが、宿ってるんだね・・・」
タチコマ:♪みんなみんな生きているんだ♪友達なんだ♪
トグサ:「どうした?プロト!」
タチコマ:♪僕等はみんな生きている♪生きているから笑うんだ♪
タチコマ:♪僕等はみんな生きている♪生きているから嬉しいんだ♪掌を太陽に透かしてみれば♪真っ赤に流れる僕の血潮♪
タチコマ:♪トンボだってカエルだってミツバチだって♪みんなみんな生きているんだ♪友だち
荒巻:「どうしたプロト、何があった?」
プロト:「どうやら、タチコマが衛星ごと、核ミサイルに衝突した様です・・・」
トグサ:「タチコマが・・・」
このシーンで、プロトが「君達にはきっと、ゴーストが、宿ってるんだね」といっているが、そのことを認識できているプロトにもいくばくかのゴーストが宿っているのでは?……と思ってしまう。
ともあれ、野良ロボットが権利を主張するかどうかは、「意識」「心」「ゴースト」とはなんぞや?……という問題をクリアする必要がある。



