若者の飲酒喫煙や悪ふざけは、格好の炎上ネタとなる。いくら炎上が続こうが、ネット上に内輪ネタをアップして大バッシングを受けるケースは後を絶たない。今回の青学生の場合、「リア充に対するやっかみ」という声もあるのだが、しかし果たして、この学生たちは本当にリア充なのだろうか?
何が「ぴっぴっぴぴ」だ
円陣を組んで「ぴっぴっぴぴ、ぴっぴーぴぴっぴ」と歌い踊りながら仲間を指さし、指をさされたものはまた他の者を指さす。SEIYUの鮮魚売り場で。
やっている本人たち以外には、何が面白いのかまったくわからないだろう。内輪ノリで楽しんでいる人たちの嬌態は、傍観者からすれば不快でしかない。飲食店や花見の宴会場でもしばしば周囲を顧みないバカ騒ぎを見かけるが、よっぽどうるさくない限り、周囲の客は注意しづらい。酒を飲む場所だから多少の喧騒はお互い許し合おうというところはある。
しかしそれがSEIYUの鮮魚売り場だったら。人々は自分が感じた不快を彼らにぶつけ、糾弾することに躊躇しないだろう。スーパーで踊ったらいけない。しかも集団で。そろそろ選挙権も持つであろう大人が。そんなの自明のことではないのか。
6月中旬に青山学院大学の学生が炎上したのは、サークルの男女でSEIYUに買い出しに出かけた際、仲間内で流行っている「サンバゲーム」を行って歌い踊り、その様子をネット上にアップしたからである。説明するだけでバカバカしい。
コンビニの冷凍庫に入る様子をアップしたり、来店した芸能人カップルの目撃情報をつぶやいてしまったり。未成年でありながらの飲酒や喫煙であったり。若者は自らの悪ふざけや違法行為を、自らの手でネット上にアップしてしまうことがある。そして炎上し、炎上した若者はネット上から姿を消す。そんな繰り返しを見てきてなお、炎上案件をネット上にアップしてしまう人たちがいる。
つい最近、「ネット炎上、1枚の写真で伝える防止法 年300回講演、プロの教え」(ウィズニュース)という記事が話題になっていた。記事の中で、学生や企業向けに炎上を防ぐ方法を講演している小木曽健さんは「人生終わってもいいから書きたいもの、(玄関のドアに)貼りたいものってありますか? 私はないです。みなさんも、ないはずです」と、ネット上に書き込むことの怖さを語っている。しかし、大人がどれだけその危険を語っても、耳に入らない人たちはいるのである。
今回は、若者たちがなぜわざわざ顰蹙を買う投稿を行ってしまうのかの分析はしない。結局、無知や向こう見ずが招く災いだと思うからである。
言及したいのは、今回炎上したような学生を「リア充」と言う傾向についてである。
怒るのではなく笑ってやれ
若者向けメディア「MTRL」では、この炎上について「【ネットで炎上】今、話題の「サンバゲーム」について学生にいろいろ教えてもらった【青春サンバ】」という記事で取り上げ、「他人に迷惑をかける行為はダメ」と前置きしたうえで、彼らの行動について「めっちゃ青春じゃん」と言う。「元気があって何より。楽しそうだし。燃やしてる人の中には『某山学院』とか『男女で楽しそう』とか別の要素に対して、軽い嫉妬心が引き金になっている場合も少なくないだろう」と。
確かに、いわゆる「リア充(現実の活動が充実している人たち)」に嫉妬心を抱いた人も少なくないのだろう。「非リア充」のコミュニティでは、リア充はリア充であるという理由だけで叩いていい風潮すらある。
しかし、である。SEIYUで騒ぐ青学生は本当にリア充なのだろうか。騒いだ場所は会員制飲食店の一室でもなければ、メンバーの親が有する別荘でもない。街中のスーパーだ(だからこそ炎上したわけだが)。そして彼らがやったことは、シャンパンを空けたわけでも、高級車で走り回ったわけでもないのだ。一銭もかからない、何も持たずにできる「サンバゲーム」。ぴっぴっぴぴ、ぴっぴーぴぴっぴ。若者の貧困が問題となって久しいが、あまりにも悲しすぎる。嫉妬して叩く大人がもしバブル時代に青春を過ごしたことがあるのなら、キーボードに怒りを乗せるのではなく、どうかこの「しょぼさ」を笑ってやってくれないか。たぶん、そのほうがやつらの胸に刺さるから。
そしてさらに思う。本当のリア充は、これみよがしに街中で騒いだりしない。私は十数年前の学生時代、複数の居酒屋でアルバイトをしていたことがあるが、そこで顰蹙を買うほど騒ぐ学生というのは、たいてい本物のリア充のファッションを頑張って真似ようとしたような中途半端な風貌だった。要するに彼らは中途半端でダサかった。そう、何にもしなくても目立ってしまう人たちは、自分から目立つ行動をしないのだ。騒いで目立とうとするのは、それなりのコンプレックスがあるからだ。騒ぎ方をこれまで誰からも教えてもらえなかった非リア充だからこそ騒ぐ、ということでもある。
騒いだ若者を「リア充」と認定してしまえば、リア充でありたい若者はバカ騒ぎを繰り返す。そうではない。「ぴっぴっぴぴ、ぴっぴーぴぴっぴ」と深夜のスーパーで歌い踊らなければならない集団は、そうしなければ自分が誰かとつながっていることを確認できない、ただのさみしい人たちなのだ。決して彼らに嫉妬してはいけない。そのことを、かつてコンプレックスまみれの学生生活を過ごした者として、一言申し上げておきたい。