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勤務時間以外の仕事メールは禁止 フランスが投げかける「切断する権利」は労働意識を変革させるか - 塚越健司

 前回は生体認証システムの導入によって社会は変わり得るかを論じた(http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6957)。

 生体認証はパスワードの代わりに多くの利便性をもたらす一方、セキュリティの不安を完全に拭い去ることは困難であることも確認された。しかし、1対Nのサービス展開など、期待したい技術であることは間違いない。

 今回はフランスで議論になっているある法案から、我々の社会が直面する労働意識の問題を考えたい。

仏国民は肯定的
「勤務時間以外の仕事メール禁止」法案

 現在フランスでは労働法の改正案が議論されている。この改正案、実質的に労働者を解雇し易くすることで労働者の立場を危うくするといった批判が相次いでおり、フランス全土で合わせて最大50万人がデモに参加したとの報道もある。つまり、国を揺るがすほどの大問題が生じている。

 そんな中、改正案の中で唯一フランス国民に受け入れられている法案があるという。それが、勤務時間以外で仕事に関するメールのやり取りを禁止する、というものだ。

 フランスの「レ・ゼコ―紙」の調べでは、同国の労働者のうち10人に1人が燃え尽き症候群に陥る危険性があるというが、これらは過労や精神的ストレスからくるものと想定されている。フランスでは週35時間以上の労働が法で禁止されているが、労働時間以外の労働環境等についても考えなければならないということだ(ちなみに今回の労働法改正案では、労使が合意すれば最長で週46時間労働まで容認される。労働法改正問題そのものには本稿は触れないが、様々な意味で興味深い問題を孕んでいる)。

 「現代人はストレスが多く電波の鎖に繋がれている」とフランスの国会議員が発言しているように、労働時間外でも人々は仕事に気を取られてワークライフバランスを維持できない。仕事場を離れてもメールやSNSなどの存在が、結局のところ我々を労働から解放しない。その解消として考えられたこの法案は、別名「切断する権利(le droit de la déconnexion)」あるいは「つながらない権利」とも呼ばれている。いわば強制的にデジタル・デトックスをさせることで、労働者の健康を保たせるというのである。

 ただし、現状この法案はフランス下院を通過しているにとどまり、上院の審議・通過がなければ成立しない。法案も従業員50人以上の企業に対して、規定の勤務時間外にメールを送ることを禁じるなどといった企業の独自ルール制定を促すものであり、破っても罰則などがない点は留意が必要だ。だが問題の本質は、こうした法案が下院を通過するまで議論されている点にある。

日本ではまず法律化は不可能

 ところで、「切断する権利」を日本でも法律化しよう、と思う読者はどのくらいいるだろうか。筆者がこのニュースを知って最初に思ったことを素直に表明すれば、「いいことだけど日本では無理だな」というものだ。日本の労働文化では、仕事とプライベートを分けることは難しいからだ。これは何も筆者のような昼夜を問わず原稿のやりとりをする職業に限定されない。どのような職業であれ、仕事以外にも仕事のことを考えてしまう、社会文化的な問題なのである。

 一般にフランスは労働運動が盛んで、デモやストライキの多い国として知られている。また日本に比べてバカンスなど休みを多くとることから、労働に対する意識も日本とは大きく異なる。フランスであれば、仕事とプライベートを分けることも可能かもしれない。だからこそこうした法案が現実味を帯びているとも解釈できる。

 日本であればどうだろう。誰もが休むからこそ、自分だけは仕事をすることで他者よりも成績を上げたい。あるいは、客が待っているなら休みも関係ない、という(奉仕の?)精神からか、いずれにせよ技術インフラとして文字通り通信を切断しないかぎり、仕事を続ける労働者は多いだろう。

 本連載で以前扱ったように、日本人は「内輪ルールの優位性」がある。その場の空気感やノリが法に優先する文化では、有給取得が進まないのと同様に仕事場以外でも仕事を行うことが容易に予想される。それは、誰もが本当はわかっている悪癖だが、それ故に現場では言い出せない、そのような悪循環が日本の現状だ(詳しくは以前の連載を参照)。

日々成長を求められる労働者

 とはいえ、労働観念は異なれど、フランスにおいても「切断する権利」法案への反対意見が存在する。ひとつは、自分は好きで仕事をしており国家から労働時間について干渉されたくない、といった国家の干渉を否定する意見。もうひとつは、世界中と競争する中、労働時間に関係なく日夜世界中の情報を仕入れて人々と情報交換をしなければ、競争相手に追いぬかれてしまう、といった意見だ。世界を相手にする労働者にとっては、完全にオフの時間をつくることは不可能なのである。

 実のところ後者の意見は、世界を相手に働くグローバル人材のような労働者だけに限定される問題ではない。我々はSNSを通して常に世界中とつながっている社会を現に生きており、日々仕事以外でも人とのやりとりを通して仕事について考えてしまっているからだ。こうした点は日仏でも程度の差はあれ共通している問題であろう。どういうことか。

 「切断する権利」が求められているのは、仕事だけでなく、SNS上などでの人間関係を重視するあまり、身近な家族や親しい友人、地域とのつながりが疎かになることが危惧されているからだ。我々が生きているこの「つながりっぱなしの社会」では、まわりは何をしているのか、職場の人間は自分より多く働いているのか、といったことに気を取られ、自分の人生に真摯に向き合うことが困難になるとされている。

 そしてまわりとの関係切断を、社会は望まない。なぜなら社会が要求するのは、様々なふれあいの中でよりよいアイデアを発想し、労働者として日々成長する人間であるからだ。現在の先進資本主義社会においては、労働者はどのような職種であれ、機械のような存在ではなく、一人ひとりが考え、創造的であること、毎日成長することを求められている。労働者もまたそうした思考を刷り込まれているために、自分の成長とそれによる仕事の成功を求めるのだ。

誰もが成長を義務付けられた社会
ポストフォーディズムとは

 「切断する権利」の行使が困難なのは、我々がつねに「成長することを義務付けられた社会」に生きていることに起因する。ここでは現代社会の経済システムを概観することで、我々に求められている行動規範について考察したい。

 20世紀前半に米フォード社は自動車「T型フォード」を発表する。その製造手法である「単品種大量生産」によってコストを下げ、安価な自動車が市場に登場したことから、他の工業製品もフォードの手法を模倣する。こうしたシステムを「フォーディズム」という。

 しかし1970年代に突入すると、自動車や三種の神器と呼ばれた白物家電等の耐久消費財が飽和する。単品種大量生産のフォーディズムではモノが売れない。そこで現れたのが、「多品種少量生産」システムである。

 まだ使える家電を消費者に買い換えてもらうために冷蔵庫に野菜室を設けたり、炊飯器に音をつけるなど、デザインや新しい機能を追加する。消費者は、「他人とは違う」モノを所有することでアイデンティティを獲得する。だから商品は「多品種少量生産」でなければならず、それを実現するために、あらゆる労働者は日々アイデアを求められることになり、創造性が重要視されるようになった。

 アイデアとは何も商品だけではない。例えば小売店ではアルバイトでも売り方や棚の配置を考えるようになったり、運送業者は一定の裁量を与えることでより合理的な配送計画を立て、仕事の効率化を図る。

 こうした要求は、一方で労働者の仕事に対するモチベーションを与えるが、他方でそれは、生活のあらゆる場面で「これは仕事に使える」といった発想を求められることであり、すべてが労働に接することを意味する。これがフォーディズムを超えた「ポストフォーディズム」と呼ばれるシステムである。

 フォーディズムを批判した1936年の映画『モダン・タイムス』において主演のチャップリンは、人が機械の歯車のように無思考状態で働くことを批判した。逆にポストフォーディズムにおいては、労働者は主体的に仕事に関わるが、それ故に24時間仕事が頭から離れないのだ。

創造性は何から得られるのか

 「切断する権利」は、いうなれば成長を求められることから距離を置くための権利だ。「生涯学習」のような言葉が端的に表すように、我々は成長を求められている。それは、成長によって得られる創造的な仕事が大きな収益を生むからである(工業化から情報化産業へと主軸が移った先進各国では、知的労働がとりわけ重視される)。無論、成長や創造性、労働に主体的に関わるモチベーションは、端的に「良いこと」である。しかしながら、成長や創造性を求められる現代社会においては、自分を社会から切断する勇気が持てなくなるのも事実だ。社会と関わらなければ自分が置いてかれ、労働市場で負ける、成長できなくなる、と我々は考えてしまうからだ。これがポストフォーディズム下で労働する我々の意識ではないか。

 しかし、切断することでむしろ自分は成長できるのではないか。経済合理主義から距離を置き、ワークライフバランスを維持することで、逆説的に創造性が得られるのではないか。日本においても3.11後の節電が叫ばれた一時期に、仕事よりも地域の絆が叫ばれたことは記憶に新しい。

 例えば子育てに集中することによって、子供のために更なる労働意欲が生まれたり、地域活動に貢献する中で新しい刺激を受け、それが仕事のアイデアにつながるかもしれない。切断する権利は、そのような労働者の生活の質の向上につながるのではないだろうか。

 無論、切断する権利を取り入れることが労働者の質を高める目的であるというのであれば、それもまたポストフォーディズムの1バリエーションに過ぎないという批判はあり得るだろう。しかし、労働者に成長を求めずに経済はもう回らない。故に、労働者にとって幸福に成長できる方法としての「切断する権利」と捉えるのであれば、それは少なくとも今より良いことであると言えないだろうか。

 フランスの労働法は国内事情を含めた複合的な問題を孕んでおり、切断する権利法案にしても、本稿の趣旨とは別の意図があるのは事実だろう。しかし、少なくとも切断する権利において同国の提案が投げかけていることは、本稿の趣旨からすれば、我々の労働意識を考える上で重要であることは間違いない。

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