- 2016年06月11日 10:33
舛添都知事に求める政治資金の透明性と説明責任は、他の政治家にも向けられる
舛添東京都知事に対する批判は高まるばかり、これこそ現実社会の炎上事案という様相を呈している。
有権者の立場から、舛添セコい、東京都知事の資質はないからやめろというのは、全く正当なことのように思われる。違法かどうかは関係ない、不適切な方が政治的責任としては重要である。
しかし、都議会での議論となれば話は別だ。舛添都知事に対する公私混同批判と、政治資金の使い道としての制約、さらにはこれに対する説明責任の追及、それも説明できないのであれば辞任しろといわんばかりの議会での発言は、今後の政治資金をめぐる法的制度の前例になるのだと考えると興味深い。
これまで政治資金はもちろんのこと、税金から支出される公金である政務調査費についてすら、その使い道を全面的に開示することは、総務省も自治体も裁判所も認めてこなかった。
政務調査費については、議員に支給した場合、使途を議長に報告する義務はあっても、公開はされず、ましてやこれについての説明責任はないというのが一般的であった。
このように極めて限定的にしか認めてこなかったのは、政治活動の自由を尊重するという理由によるのであり、その反面として、今回明らかになったような公私混同、舛添的セコさが入っても仕方がないという判断だったはずである。
これに対して、舛添セコい都知事やめろと有権者が言うのは当然として、東京都の議員たちが議会質問で政治資金の使途を明らかにしろ説明しろ言うなら、自分たちの政治資金については、ましてや税金を原資とする政務調査費等の使い道も、同様に自ら開示するのでなければ、全くの欺瞞ではないかと思う。
舛添批判により知事辞任まで当然だというのであれば、まず自前で集めた政治資金の使い道についても、今後は法的に制限を加えるというルールに変えるのであろうか? そして、政治資金の使い道について、今以上に透明にして、広く公衆にも説明しなければならないというルールにするのであろうか?
今でも政治資金規正法はかなりの透明性を保障しているとは思うが、皮肉なことに税金を原資とする政務調査費はそうではない。
舛添都知事に対する批判で辞任に追い込めば、その再発防止策として、税金により支出された政治活動費のみならず、税金以外の寄付などによる政治資金の使い道も、政治活動に関係のない用途には使ってはならないというルールを確立し、その実効性を確保するためにすべての透明性を確保する制度を作るということにならなければならない。
しかし、政治家の皆さんはそういうつもりがあるのであろうか?
少なくとも東京都議や都知事は今後、政治活動の資金一般に使途を明らかにするように求められても、政治活動の自由を損なうといった理由で断ることはできないと思う。
で、それは本当に良いことなのかどうか、今一度考えてみる必要がある。