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「ニッポン」と「にほん」… - 鈴木耕

どこかで『ニッポンの大問題』というような本かテレビ番組のタイトルを見かけた記憶がある。確かに「大問題」とくれば「ニッポン」のほうがよく似合いそうだ。

 でもぼくはどうも、この「ニッポン」が苦手だ。こんなことを言うと「非国民」とか「売国奴」とかの罵声が右方面から飛んできそうな気がするけれど、そんな大げさな話じゃない。

 ぼくは別に「日本」が嫌いなわけじゃない。ただ「ニッポン」というと、なんだか肩に力が入って拳を振り上げているようなイメージがあって、それが苦手なだけだ。この国の最近の雲行きは、どうもやたらと肩をいからせた「ニッポン」だらけのような気がするんだ。

 ぼくは「日本」は「にほん」と読むし、話すときもそう発音する。「にほん」って、なんだか力が抜けてホンワカしていて、優しい感じがしませんか? それもカタカナじゃなくって、ひらがなの「にほん」。ぼくはそっちの「にほん」のほうが好きなだけなのです。

 でも、考えてみれば「日本語」って面白い。同じ「日本」を「にほん」と読んだり「ニッポン」と発音したり、融通無碍。だいたい「国名」を、その時々で違う読み方をする国なんて、他にあるのだろうか?

 そういえば、「日本橋」を、大阪では「にっぽんばし」、東京では「にほんばし」と発音すると聞いた。う~ん、やっぱり関西地方のほうが、言葉に力が入ってるってことかしら。ぼくがテンポの速い関西弁についていけないのは、そのせいなのかもしれない。

 このごろ妙に言葉がトゲだっている、と感じる。その最たるものが、例のヘイトスピーチやヘイトデモだろう。

 人を傷つけ貶め侮辱する。聞くに堪えない言葉を連発して、心まで壊してしまう。そんなことをして、何が得られるんだろう…と不思議な気がするけれど、この人たちは「日本のために」を、声高に叫ぶ。むろんこの場合、「日本」は「ニッポン」だ。

 「日本の伝統を守れ」とも言う。

 でも、日本の伝統って、あの『枕草子』の「春はあけぼの…」ではないけれど、ふうわりとした柔らかさにあるのではないかと思う。

 武士の攻防を描いた『平家物語』にしたところで「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす…」と、しみじみと流暢な響きで始まる。『平家物語』は、このあと「驕れる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし 猛き者もつひには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ…」と続く。

 安倍首相、「猛き者もつひには滅びぬ」なんですよ。

 ぼくがこのコラムを「風塵だより」と名づけたのは、ふっとこの一節が頭に浮かんだからだった。それももう78回…。

 ヘイトデモのように「殺せ!」「死ね!」「ゴキブリは踏みつぶせ!」だの「北へ帰れ!」「二度と来るな!」などという、トゲトゲの針を逆立てたような罵詈雑言と「日本の伝統」が、いったいどこで結びつくというのか。

 川崎で予定されていた5日の20人足らずのヘイトデモは、それに反対する数百人のカウンターに阻まれて、中止に追い込まれた。成立したばかりの「ヘイトスピーチ対策法」が、一定の効果をもたらしたわけだ。

 これまで、なぜかカウンター側を向いて規制していた警官隊が、今回はヘイトデモを抑え込む形で収束させたという。これも法律の効果だろう。

 話は変わるけれど、多分、バレーボールの応援から始まったようだが、例の「ニッポン・チャチャチャ!」という応援が、ぼくは苦手だ。きちんと揃いすぎた応援は、どうも性に合わない。なんとなく、強制の雰囲気を感じてしまうからかもしれない。野球やサッカーでも、応援がうるさすぎないか? 「静かに試合を楽しめないもんかねえ…」と思う。

 ぼくの好きなラグビーでも、何だか最近は「ニッポン、ニッポン…」と、ちょっとうるさい。

 一斉に同じ方向を向いて同じ動作や同じ言葉を唱える…というのは、何かうさん臭い。どこかの国の何とか記念日の一律動作の凄さ、ナチスが「ハイル・ヒットラー!」と片手をぴんと上げるしぐさ。某宗教団体のマスゲーム(?)も…。

 こう書くと「じゃあ、反なんとかのデモだって同じじゃないか。同じコールを、声を揃えてがなり立ててるじゃないか」と反論されるだろう。うーむ、そういわれると困るなあ、確かに。

 でも、威圧の気配があるかないか、他人にそれを強制しているかどうか、特定の人たちを苦しめていないかどうか…その辺が違うんだよなあ…と、ぼくは小さな声でこっそりと反論しておく。

 もうじき選挙です。新聞も雑誌も「参院選当落予想」といった記事を掲載し始めた。安倍悲願の「3分の2議席」が焦点…と。

 これはもちろん「改憲」のための発議に必要な獲得議席の目標だ。安倍首相は、自分の任期中に何としてでも「憲法改正」(ぼくは「憲法改定」が正しい言葉の使い方だと思うけれど)を成し遂げたいと願っている。

 その「憲法改正」の方向性とはどんなものか。

 「自民党憲法改正草案」というものがある。ネット検索ですぐに入手できるので、未読の人はぜひ読んでおいてほしい。これが、凄まじい代物なのだ。

 安倍首相は、岡田民進党代表との党首討論で「改憲」に触れ、こうまくし立てた。

 「私たち自民党は、新憲法草案を出しているじゃありませんか。じゃあ民進党も対案を出してくださいよ。お互いの案を出し合って議論するのが国会審議の当然の姿じゃありませんか」と、例によってのワンパターン「対案を出せ」と迫った。

 だが、岡田代表は「私たちは、現行憲法でいいと言っているんです。これを今、改正する必要はないと言っているんです。改正する必要のないものに、なんで『対案』が必要なんですか」と反論した。

 これには、安倍首相は何も答えなかった。いつものことながら、この人は相手の意見をまったく聞いていない。自分の話したいことだけを話して、あとは知らんぷり。

 国会での言葉のやりとりが、ものすごく荒っぽい。どこに「にほんご」の良さがあるのだろう?

 その「自民党憲法改正草案」だが、これがまた、トゲだった言葉の羅列なのだ。「個人」が消えて「人」になる。つまり、個人の尊重よりも、国家に従属する人を強調する。

 責任が増えて権利が消える。ここでも、国民は国家のために責任を果たすべきであって、公益に反するような権利は認められない。

 緊急事態条項に至っては、すべての権限が内閣総理大臣に集中し、地方自治体の権限は取り上げられ、国民は「国その他公の機関の指示に従わなければならない」と規定される。

 「トゲだった言葉の羅列」と書いたのはそういうことだ。ぼくらは、国家の指示によって自由を奪われる。

 現行憲法のやさしさとの対比は明らかだろう。

 繰り返すけれど「日本語」はやさしいのだ。ぼくにとっては「にほんご」である。ぼくは「にほん」が好きなのだ。ひらがなの「にほん」を大事にしていきたい。

 最近の「刺々しい日本語」の横行に、ぼくはかなり違和感を抱いている。選挙では、やさしいほうに投票する。それがぼくの選択基準だ。

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