記事
- 2016年06月03日 08:14
憲法論議の正常化は可能なのか - 井上武史(九州大学大学院准教授)
1/2憲法論議の歪み――立憲主義論議
日本国憲法は、比較憲法的に見て正しく立憲主義に基づいた憲法である。そして、そのことを戦後の憲法学は一貫して誇りにしてきたのだった。しかし、不思議なことに、そのもとでの憲法論議には、他の立憲主義国では見られない歪みや偏りがあるように思う。その最たるものは、昨今の立憲主義論議であろう。昨年の安保国会において、野党が盛んに持ち出したのが「立憲主義に違反する」という批判だった。その後批判はさらにエスカレートして、「現政権は相次ぐ暴挙で立憲主義を破壊した」、「次の参議院議員選挙は立憲主義を回復するための選挙である」などの声が、政治家だけでなくメディアや憲法学者からも叫ばれている。
しかし、立憲主義の途上にある国での議論ならともかく、すでに立憲主義はわが国の統治システムを成り立たせている土台なのであって、一方の陣営が僭称できる筋合いのものではない。政権も野党も共に憲法の意味をめぐって論争していたのであり、それはまさに立憲主義に基づく政治であろう。一方が立憲主義を独占し他方を反立憲主義(あるいは非立憲)と決めつけるような議論は初めから公平でなく、この時点ですでに議論は歪んでいる。
また、そもそも立憲主義は特定の政権によって破壊されたり、選挙によって回復したりするものではない。仮に立憲主義が選挙で回復するのであれば、同じように選挙で失われることも認めなければならないはずであるが、それはおそらく論者の承服するところではないだろう。さらに、選挙によって立憲主義が回復したという事態が招来したのであれば、それは表現の自由や選挙権の行使など、憲法が予定する民主政治のプロセスが正常に機能した結果である。それゆえ、立憲主義は初めから破壊されていなかったことになり、「立憲主義が破壊された」という議論はそもそもの前提を失うだろう。
「立憲主義違反」の本当の意味
このような議論の歪みは、立憲主義の語が本来の意味で用いられていないことに基づく。立憲主義とは、ある国の憲法や政治体制が権利保障と権力分立という本質的要素を含んでいるかを点検するための概念であり、政権の行為や特定の政策を批判するため用いられるものではない。これは立憲主義論の国際標準であり、これまでの日本の憲法学でも広く了解されてきた。もし憲法学者がこうした了解を無視した言説を意図的に広めたのであれば、専門家としての信用を失わせる背信行為として厳しく非難されるべきであろう。にもかかわらず、「立憲主義違反」論に意味があるとすれば、それは現行憲法の問題点を図らずも炙り出した点にある。「立憲主義違反」という言明は、憲法の規定に違反しない(つまり憲法違反ではない)が「憲法の精神」に違反する権力の行為を非難するものであるが、それはむしろ、現行憲法が権力を統制しきれていないこと、つまり権力を統制するのに憲法規定が足りないことを告発するものである。そうすると、今後同じことが起こらないように、また、どのような政権にも妥当するように、憲法の規定の点検やその不足・不備の是正が、安保法への立場を超えた共通の課題として取り組まれるべきであった。



