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テントの入口に響く声――南スーダンでみた誘拐、民族紛争、武装解除のもう一つの顔 / 橋本栄莉 / 文化・社会人類学

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テントの入口には

本稿では、わたしが調査の中で垣間見た、報道などではなかなか見えてこない南スーダンの紛争のもう一つの顔を紹介した。現在、南スーダンではさまざまな機構によって和平合意に向けた準備が進められている。国家レベルで取り決められた合意が、果たして本稿で取り上げたような人びとにどのような影響力をもちうるのかはまだわからない。

南スーダンや旧スーダン共和国で生じていた紛争は、これまで「北部のアラブ系住民」と「南部のアフリカ系住民」の対立、あるいは「北部のムスリム」と「南部のキリスト教徒・伝統信仰の信者」の対立、「民族対立」などと説明されることが多かった。この結果、スーダン地域でなかなか終結しない紛争は、人種や文化、信仰の違いに起因するものであるかのような印象をもって伝えられることがある。S.チャルキンスらは、このような二項対立的で単純な紛争の原因の捉え方は、多様であることや所属の違いそれ自体を「悪霊化する」ことであると表現している[Calkins et.al 2015: 4]。

本稿で取り上げたエピソードが示唆するのも、ある集団の所属や背景が違っていること自体が紛争の直接的な原因となるわけではないということであった。このような集団や属性の違いが政治的に利用され、操作される中でスーダン地域の紛争が展開してきたことは多くの研究者によって指摘されている[e.g. Johnson 2003]。

ホワイト・アーミーの成員の不満からも伺えるように、世に流通する紛争理解や、紛争主体に対するイメージのお仕着せが新たな紛争の火種となるのならば、紛争を終結に導かない「悪霊」とは、わかりやすい紛争の解説を求め、誰かにとって都合の良い理解を鵜呑みにしてしまうわたしたちの中に実はひそんでいるのかもしれない。

わたしがいたテントの入り口には、日本にいたのでは決して聴くことのできなかった紛争のただ中を生きる人びとの声が響いていた。彼らの声が教えてくれたのは、一面的な紛争に対する見方では到底理解することのできない、その都度彼らによって意味づけられ、吟味され、時として戦略的に対処されてゆく紛争の側面だった。

わたしは、危ないと思えば日本という安全なテント[Rosaldo 1986, Stocking 1983]に避難し、その入口を閉ざすことができる。その意味で、いくら一時的に経験を共有したとはいっても、わたしと彼らの間の非対称的な関係は変わらない。

とはいえ、政府や国際社会からは距離をとりつつ、顔の見える範囲にいる人間同士の結びつきを重視しながら生きる彼らの姿は、不確定な未来や他者との共存、その中で誤解や偏見に頭を悩ませるわたしたちとどこか重なる部分がある。日本では、南スーダンという国家やそこに暮らす人びとは「支援すべき脆弱な」存在としてみなされることが多い。しかし、大きな勢力に翻弄されつつも、ときとして戦略的に生きる彼らの振る舞いやその対処のわざからわたしたちが学ぶことはまだあるような気がする。

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伝統的な予言者を祀った教会で女性たちが歌う予言の歌。予言の歌の中には、紛争に巻き込まれる彼らの運命や、いつか彼らの国にもたらされる平和が歌われている(2013年1月筆者撮影)

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調査の一場面。現地のホスト・ファミリーと(2012年1月撮影)

参考文献
・Calkins, S. Ille, E. and R. Rettenburg (eds.) (2015) Emerging Orders in the Sudans. Langaa RPCIG.
・エヴァンズ=プリチャード、E. E. (1978) 『ヌアー族―ナイル系一民族の生業形態と政治制度の調査記録』(向井元子訳)、岩波書店。
橋本栄莉(2014)「ヌエルの予言者と『ホワイト・アーミー』:独立後南スーダンにおける武力衝突を事例として」『社会人類学年報』40、pp.121-132。
・波佐間逸博(2015)『牧畜社会の共生論理:カリモジョンとドドスの民族誌』京都大学学術出版会。
・International Crisis Group (2014) South Sudan: Jonglei–“We have always been at war”, Africa Report No.221, December, International Crisis Group.
・Johnson, D. H. (2003) The Root Causes of Sudan’s Civil Wars. Indiana University Press.
・湖中真哉(2015)「やるせない紛争調査―なぜアフリカの紛争と国内避難民をフィールドワークするのか―」床呂郁哉(編)『人はなぜフィールドに行くのか―フィールドワークへの誘い』東京外国語大学出版会、pp. 34-52。
・Rosaldo, R. (1986) From the Door of His Tent: The Fieldworker and the Inquisitor. In: J. Clifford and G. E. Marcus (eds.), Writing Culture: The Poetics and the Politics of Ethnography, pp.77-97, University of California Press.
・佐川徹(2011)『暴力と歓待の民族誌―東アフリカ牧畜社会の戦争と平和』昭和堂。
・Stocking, G. (1983) The Ethnographer’s Magic: Fieldwork in British Anthropology from Tylor to Malinowski. In: G. W. Stocking Jr. (ed.), Observers Observed: Essays on Ethnographic Fieldwork, pp.70-120, University of Wisconsin Press.
・Young, J. (2007) Emerging North-South Tensions and Prospects for a Return to War, Small Arms Survey, July.

画像を見る橋本栄莉(はしもと・えり)
文化人類学

日本学術振興会特別研究員PD(九州大学人間環境学研究院所属)、横浜国立大学非常勤講師。一橋大学社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。専門は文化・社会人類学、アフリカ地域研究、東アフリカ民族誌学。2009年から2013年まで南部スーダンの首都ジュバやジョングレイ州、上ナイル州などに滞在しながら現地長期調査を行った。2013年末の内戦勃発以降は、隣国のウガンダなどに避難した南スーダン難民を追い、引き続き現地調査を行っている。

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