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【中国人だからここまで書けた】赤裸々ルポ 上海的神経衰弱 - 楊素行

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「退屈でたまりません」

 最初の登場人物は、僕と同じ屋根の下で暮らすルームメートの戦若雲さん(仮名)。23歳の彼は昨年、南京大学を卒業し、「上海市政設計院」という企業で都市開発企画に携わっている。南京大学と言えば、国立大学ではあるが、日本なら早慶のような名門校。上海市政設計院に至っては、れっきとした「央企」(中央政府が直轄する企業)で、花形の就職先である。つまり、戦さんは数々の難関を突破し、羨望の的となる人生を歩む勝ち組の一人といえる。



 彼の快進撃と比べると、僕なんかは中国流の判断基準に従えば、確実に負け組に分類される。勝ち組と負け組の2人で、リビングなしの2寝室を持つ古びたアパートをシェアしているわけで、月の家賃4600元(約78000円)を折半している。この物件は友人の不動産仲介業者の尽力で取った大のお得物件で、相場だと1000元以上上乗せされるという。それでもフリーランスの僕にとって、家賃は重荷であり、ストレスの元だ。しかし、戦さんは就職一年目の身にもかかわらず、家賃の支払いに余裕綽々の模様。その上、僕は生活費を切り詰めるため、しょっちゅう自炊に励むが、彼は自炊は皆無で週末になるとせっせとおしゃれなレストランの食事会に足を運ぶ。天下の共産党が治める世で政府系の企業が如何に威勢がいいか、新人の戦さんから垣間見える。しかも、彼は家庭を築く年齢には、まだ遠く、受験戦争もはるか昔のこと。自由自在の身で人生の中で一番ストレスを溜めずに済む時期を謳歌している……と思いきや、戦さんから思いがけない苦悩を打ち明けられた。

「待遇とオフィス環境だけをみれば今の職場は申し分ないし、安定性も抜群です。けど仕事の内容と言ったら、何とも言えない気分ですよね。基本的に毎日同じ任務の繰り返しですよ。退屈でたまりません。こういう仕事を一生懸命こなしても、キャリアアップに繋がるかどうか、自信がありません。入社当初は『よし、この分野においてやり手になろう』と張り切っていたのに。都市開発というのは立案者、設計部門、建築部門など、各部門の連携がとても重要なのですが、中国の場合は縦割り経営がはびこっています。責任と権限の所在が曖昧で、いつもたらい回しにされるわ、つぎはぎのプロジェクトになるわ、なかなか捗りません。これからずっとこんな仕事をしなければならないのかと思うと、焦りが出ますよ」。戦さんはしばらく間を置き、胸襟を開いて、語り続ける。

「もううんざりですよ」



「まあ、キャリアの悩みは後に転職で解決するかもしれません。僕が一番不満なのは政府が完全に信用を失ったことです。役人が言ったことが、最近、何だか真っ赤な嘘に聞こえるようになってきました。この間、とんでもないワクチンスキャンダルが起きたでしょう。5年間で5億元(約85億円)以上に相当する違法ワクチン(使用期限が切れたり、冷蔵されていなかったりする劣悪品)が、数百万もの子供に悪徳業者によって投与されたというじゃありませんか。しかも、投与先の特定が困難だというからもう最悪です。容疑者は何と数年前に一度法を犯した元医者で、執行猶予期間中に今回の犯罪に及んだとか、もう呆れすぎて開いた口がふさがりません。金儲けのために命を助けるワクチンにも手をつけたかとネット上で、みんなの怒りが爆発してますよ。この劣悪ワクチンを注射された子供たちの健康は、これからどうなるのか、5年間もこの人でなしな犯罪を見過ごした、あるいは目をつぶっていた当局は、どう責任を取るつもりかって大炎上です。5年間も犯行が野放しにされたのは、役人どもが犯人から賄賂を受け取っていたからでしょう。こんな政府は信用できますか?」

「僕には、まだ子供がいないので、今回の被害を受けそうにないことだけは幸いだ」という僕の発言に対し、戦さんはこう続ける。

「でも、いずれ結婚して子供を持ちますよね。長い目で見ればみんな当事者です。僕は外国へ移り住むつもりはないから、どうしても国内の情勢が気になるんですよ。もし、自分の将来の子供がこんな目に遭わされたら、と思うと怖気づきます。だいたい今の政府は何なんですか。信じられないほどのスキャンダルが起きると、必ず誰かをスケープゴートに仕立てて、『同じことが二度と起きないよう、全力で取り組みます』と宣言する。しばらく時間が経つと、もっと恐ろしい事件が舞い込む。もううんざりですよ。だから、僕の生活は当分の間、楽勝でしょうが、未来を見越すと何となく重い気分になります」

 ルームメートの職場について、僕は何とも言えないが、政府の信用の失墜については、深く共感する。

 例えば近年、中国人の福祉を大きく脅かしている狂乱状態の不動産バブル。数年前に当時、首相だった温家宝は、記者会見で「政府はこれから全力を尽くし、不動産価格を合理的な水準に落ち着かせます」と発言した。国民は「政府はようやく重い腰を上げたな」と期待を膨らませた。だが、その後の中国の不動産市場は、その期待を裏切り、冷めるどころか過熱状態にさらに入っていった。去年から今年にかけ、上海エリアの不動産価格は何と40%も上昇した。中国政府は国民に誓ったことを見事に反故にしたというわけだ。

 もう一つの例は株式市場の混迷。2014年から共産党政権は株式市場の繁栄で経済の健全化を図るべく、「政府が後ろ盾になるから、みんな株投資をどんどんやってくれ」と国営メディアを通じて、国民に不動産投資から株投資へと転換するよう呼びかけた。「政府が後押しするなら安全なはず」とそれを信じ込んだ国民は、こぞって株式市場に金を突っ込んだ。その結果、中国の株式市場は一時期、空景気に沸いた。だが、不備な市場メカニズムと穴だらけの監督体制が災いし、2015年の6月を境に株価は一気に急落。そこで中国政府は、お家芸の高圧的干渉主義を振りかざし、株価の暴落を必死に食い止めようとした。サーキットブレーカー(株価が一定限度を超えた変動を起こした時に取引を止める制度)など、極端な政策を打ち出し、東奔西走したら、裏目に出た。投資家たちのパニック売りが引き起こされ、株式市場はさらなる惨状を呈してしまった。

 ここまで来たら「豪然たる強さ」をいつも演出する中国当局もさすがに世界に恥を晒し、その無力ぶりが露呈した。中国の株式市場はその後、低迷の一途をたどり、今も立ち直る気配は絶無だ。これによって、数えきれない中国人が長年コツコツ貯めた貯蓄を一夜で失った。彼らが自国政府を信用しているかは、言わずもがなのことだろう。

「ここは本当に居心地が悪い」

 次に登場してもらうのは、戦さんとは生い立ちも立場も大きく異なる紀化梅さん(実名)。紀さんは山東省の田舎出身の55歳の女性で、僕が住む近所で「煎餅果子」という朝ごはんを出す屋台を営む。煎餅果子とは中国北方の伝統料理の一つで、練った小麦粉を熱々の鉄板の上に広げ、中に卵やら野菜やらを放り込んで焼きあげたもの。栄養が手軽に摂れるとあって、昔から庶民に親しまれてきた。紀さんが焼いた煎餠果子には、多種類の雑穀が練りこまれていて、栄養豊富なだけでなく、絶妙な風味もある。そのため朝食の時間になると、彼女の屋台は常連でいつも大盛況。彼女の一人息子は、優秀な成績で大学を卒業した後、上海の大企業に勤めているという。

 紀さんは貧しい農村出身で、若いころほとんど教育を受けなかったことを考えれば、中国の改革開放の波に乗った成功者の一人だと言える。しかし、彼女は何故か仕事をしている時にいつも眉をひそめている。悩み事があるようで、ある日、朝食を買うときに尋ねてみたら、彼女は苦衷を明かしてくれた。紀さんのお父さんはすでに他界したが、83歳のお母さんは病弱で、多額の医療費がかかっているそうだ。しかし、「農村戸籍」を持つ田舎の住民というだけで年金も健康保険も絶無に等しい。60歳を超えた老人には、一カ月60元(約1000円)が政府から支給されるのみ。この60元では生活費もままならず、ここから医療費を捻出するのは難しい。それで娘である紀さんは、母親の経済的面倒を一身に引き受けるはめになり、ここ2年間で払った医療費は、何と8万元(約136万円)を超える。生活費の援助を加えると、自分たちの暮らしを圧迫するほどだという。

「あなたのように結構稼いでいても、親の医療費の支払いに苦しんでいるというのなら、もっと貧乏な子供、あるいは不孝な子供を持つ老人は、大病を患った時、一体どう工面するんですか?」と僕は質問を投げかけた。「そういう人は治療費を払えないので、自宅にこもって死を待つだけよ。実際、私の故郷では病気になっても病院に行けずにそのまま最期を迎える年寄りはいっぱいいるの」。紀さんはため息をつきながらこう話す。「母の哀れな様子を見るとなんだか自分の20年後の姿が目に浮かぶのよ。息子が最近、上海に一軒家を買ったばかりでローンに苦しんでいるから頼れないし。母の医療費にお金がどんどん消えるから、将来に備えるための貯金もできないし。だから、今は将来のことを考えないようにしているの。だってちょっと先のことを考えたら気が狂いそうになるもの」

「ここのところ、政府が『2020年をめどに、小康社会の全面的実現』(中国語の小康社会とはみんながゆとりのある人生を享受できるという意味)を宣言したけど、あなたが説明してくれた農村の現状は、小康社会とは、ほど遠いようですね」と最近のキーワード「小康社会」を僕が口にすると、「無理無理!」と紀さんは激しく首を横に振って激昂する。「都会に出稼ぎに来てはっきりわかったのは、我が国の都市と田舎とでは、天と地ほどの差があるということ。田舎で小康社会なんて夢のまた夢。我々田舎の人はまるで下層民に生まれたみたい」。自暴自棄気味の彼女の顔に一瞬、憤慨の表情が浮かんだのを、僕の目は見逃さなかった。

 紀さんを取り巻く現実から、もう一つの中国の素顔が浮かび上ってくる。それは、都市部の「栄光」の背後で、広大な農村部が陰で喘いでいるという真実。人民を「都市戸籍」と「農村戸籍」の2つに分け、差別的に扱う悪名高き「戸籍制度」を作ったのは、50年代の毛沢東その人である。この制度により、田舎の人たちは事実上、自分が耕す農地に縛り付けられることになった。毛沢東の死後、「オノボリさん」が都会へ出稼ぎに出るのを認めるようになったものの、現在に至るまで、農村戸籍の人々は、理不尽な差別に晒されている。「出稼ぎを許すが、住み着くのはご遠慮」という白い目で見られる彼らは、歳をとったら、いずれ故郷に舞い戻っていく。そこで彼らを待ち受けるのは、貧困そして、社会基盤や福祉などが欠如している農村の厳しい現実。大都会の市民が受けている福利厚生と農村のそれを比べれば、紀さんの憤慨はごもっともだ。田舎と都会の深い溝は、今に始まったことではなく、中国が共産主義国家になった頃から存在した。ただ昔は、田舎の人々は完全に土地にがんじがらめにされていたので、外のことがわからず、政府のプロパガンダを鵜呑みにしていただけだ。今や都会に出てきた彼らは、この露骨な不平等に日々向き合わざるをえず、都会への抗争意識を高めている。

 目に余る露骨な差別は無論、毛沢東の非道な戸籍制度に源を発している。しかし、半世紀以上にわたって、都会住民と田舎住民が、この制度により、全く別々の世界に閉じこもった結果、両者の心理上の疎遠感や偏見は、日常生活の中にも浸透してしまった。紀さんのご主人・林さんは、陽気な初老の人で、時々、紀さんの代わりに露店を切り回すが、ある日、彼と雑談していたら、林さんは僕に鬱憤をぶちまけた。「俺たちは上海に出てきて、かれこれ20年になるんだけど、ぶっちゃけ、こうやって親しく我々を構ってくれるのは君だけ。都会の人って、基本的に我々田舎の者を見下しているんだよ。もちろん言葉に出ないけど、相手の表情や仕草を見ればそりゃあわかるさ。20年住んでいても、全然『家』って感じがしないね。俺たちはいずれ故郷へ帰る。ここは本当に居心地が悪い」

 後日、僕は近所の散髪屋で髪を切ってもらっている時、生粋の上海人のマスターに紀さんの悩み ―   老後に備える年金と健康保険の欠落   ―について話すと、マスターは即座に「その女性は高望みしすぎだよ。都市と田舎が違っているのは当然だろう」と一蹴。この発言からも、都会に住む中国人と農村に住む中国人の間にある隔たりの大きさがはっきりと伝わるだろう。

ヤン スシン 1974年中国・西安生まれ。2006年、宮崎産業経営大学卒業。上海在住。国際的オピニオンリーダーを目指している。

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