昨今、大学発のベンチャーキャピタル設立のニュースが目立つ。大阪大学ベンチャーキャピタル、京都大学イノベーションキャピタル、東北大学ベンチャーパートナーズなど、日本各地の大学で、大学が保有する技術の商業化を狙った動きが活発化している。日本の最高学府・東京大学では、隣接している産学協創推進本部に民間運営の東京大学エッジキャピタルがあるが、近く東京大学自身でも投資活動を開始するニュースが出た。お金の動きの一方で、起業家の育成はどうであろうか。東京大学ではアントレプレナー道場、京都大学ではGTEPといわれるプログラムを通して、実践的な場を学生に提供し、各プログラムで、成果が出ているようだ。
東南アジアに目を向けるとどうであろうか。東南アジアで最高峰の大学と言えば、シンガポール国立大学(National University of Singapore、通称NUS)、南洋技術大学(Nanyang Technology University、通称NTU)やシンガポール経営大学(Singapore Management University、通称SMU)の3つが有名だ。それぞれ、日本の大学に例えるなら、NUSが東大、NTUが東工大、SMUが一橋大というところか。
今回、約2カ月の直接取材、また卒業生の起業家のインタビューを通して、NUSの起業家教育プログラムが、シンガポールの中で、いや、東南アジアの中で起業家を輩出するロールモデルとなっていることに気づき、記事にすることにした。
では、NUSの起業家育成プログラムは、日本のそれと何が違うのか。どうしてこのプログラムから優秀な人材を輩出し続けることができるのか―その秘密に迫りたい。
NUS Enterprise
―人材育成からスタートアップ投資まで―
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2001年に設立されたNUS Enterpriseは、新産業育成をミッションとしたNUSの内部にある専門機関だ。主に3つの領域に力を入れている。大学内の研究開発支援、ベンチャー企業への投資、そして学生の起業家精神育成だ。研究開発支援では、日本や欧米の技術移転機関と同様に、大学の知的財産権を管理し、企業へのライセンス提供や共同基礎研究の仲介を行っている。
ベンチャー企業への投資も積極的に行っているようで、アイディア段階から事業化段階まで、ステージに合わせて資金援助をしているそうである。これ以外にも、コワーキングスペースの提供、アクセラレーションプログラムの開催、人材採用や企業との提携支援、ピッチコンテストなども盛んに行っている。今週は、 マリーナベイサンズでInnoveFestという大規模なスタートアップイベントも主催している。
これだけでも十分に手厚いサポートだが、正直、これらのプログラムやイベントは、他の大学でも実施しているケースがある。それでは、NUSを特別なものにしているものは何だろうか。
画像を見る驚異の留学システム
今回、取材を通して、NUS Oversea Collegeという起業家志望の学部生向け長期交換留学プログラムに特色があることがわかった。これに参加を許された学生は、欧州、中国、イスラエル、もしくは北米のどこか一カ所を選び、1年間著名なスタートアップで有給のインターンシップの機会を与えられる。同時に、パートタイムとして、トップスクールに交換留学できるのだ。
たとえば、米国だとスタンフォード大学とニューヨーク大学、中国では清華大学や復旦大学など、世界のトップスクールばかりだ。受講する授業も指定されている。たとえばスタンフォード大学でのプログラムの場合、”The Spirit of Entrepreneurship”(起業家精神)や、” Global Entrepreneurial Marketing” (グローバル市場におけるスタートアップマーケティング)などである。
無論、これは学部公認のプログラムのため、インターンシップ、並びに座学両方で単位を稼ぐことができる。トップスクールに学費を払う必要はない(NUSへの学費のみ)。むしろ、インターンシップのため、給料が支払われる。その給料で、滞在費の大部分を賄うことができ、実質追加コスト無しで海外の最先端マーケットでスタートアップの実践的な訓練を積むことができる夢のようなプログラムなのだ。
短期的な視察旅行はどこの大学でもやっていることであろう。私も大学院時代、シリコンバレーに一週間ほど行かせて頂いた。一週間でも大分刺激をうけたものだが、仮にこれが一年間だとすると……もうワクワクが止まらない。ましてや、日本よりも産業発展的には遅れている東南アジアからの学生からすれば、その刺激は何倍にでも増すに違いない。
E27 COO Thaddeus氏へインタビュー
NUS Oversea Collegeが“マインドセット”を大きく変える理由
今回の記事ではNUS Oversea Collegeの卒業生の一人であり、かつ東南アジアのエコシステムビルダーの第一人者でもある、E27のCOO、Thaddeus氏(以下Ted)にインタビューし、経験談を語ってもらった。彼は2000年前半にNUSに入学、機械工学を学ぶごく普通の学生だった。そんな彼が、友人から「面白いプログラムがある」と言われて紹介されたのがNUS Oversea Collegeだった。
スタートアップってそもそも何だ? と、起業には全く興味が無かった。1年卒業が遅れてしまうというだけでほとんどの学生が躊躇していたけれども、彼は海外で一年過ごすことに好奇心を抱き、シリコンバレープログラムに応募、見事選出され、パロアルトに渡った。
前述の通り、プログラムは、パートタイムの授業と、フルタイムのインターンシップで構成される。Tedにとっては、そのどちらも貴重な体験になったと言う。スタンフォードの授業では、マーケティングの授業を履修した。何が一番学びになったのか? との質問に対し、彼は懐かし気にチームプロジェクトの話をしてくれた。1カ月のチームプロジェクトで、東南アジアからの留学生はASEANチームを結成したのに対し、彼はアメリカ人中心のチームに参画した。
ASEANチームは、週に3回ミーティング、毎回数時間を割きながらプロジェクトを進め、最終評価はA+を取ったという。一方で、Tedが入ったアメリカ人中心のチームは、ミーティングは週1回、毎回決まって2時間で集中して行い、最終的な成績はA-だったという。最終的な評価はASEANチームに劣ったとはいえ、費やした時間に対した効率で言えば、アメリカチームの方が圧倒的に優れていた。
この経験のように、彼は「最短の時間で最高のパフォーマンスを上げるアメリカ流の働き方」と、「民主主義的に細かく時間を費やすアジア流の働き方」2つの違いを見出したという。もちろん一朝一夕だが、マルチタスクになればなるほど機能するのはアメリカ流であり、この経験が今の仕事にも生きているという。
フルタイムのインターンは、Cataphoraという当時イケイケのスタートアップに大学よりアサインされた。トラッキングシステムの開発サポートをするエンジニア職を1年間務めたそうだが、職種内容よりも、職場環境に大きな影響を受けたという。「スキルで雇う」シリコンバレーには、人種も国籍も関係ない。当時、Cataphoraのオフィスには、20カ国以上のエンジニアがそろって働いていたという。
多国籍の職場環境に放り込まれた彼は、最初に企業文化を学び、まずはそのコミュニティに受け入れられる(フォローする)ことの重要性を知った。その後、自分個人のユニークさをコミュニティの中で発揮する(リードする)ことを学んだという。この教えは、現在会社を経営する時に、新しい社員に対しても伝える大切な教えになっているという。
1年のプログラムを終え、シンガポールに帰国した時には、以前とは全く異なる考えを持っていたことに気づいたという。シンガポールでは、良くも悪くも、そして今でも、大学で学んだことが就職に直結し、それが当たり前だと思っている人が多いという。
たとえば、医学を勉強したら医者だし、機械工学を勉強したらエンジニアになる、そんな決まりきったレールが敷かれている。シリコンバレー生活での一番の学びは、「何か新しい価値を創ればそれを評価して対価を払ってくれる人はいる」ということに気づいたことだという。専攻が何であろうが、世の中に価値を提供すれば、それを評価し投資をしてくれる、応援してくれる人はいる。彼は、卒業後、E27を起業し、東南アジアではTech in Asiaと肩を並べるテックメディアを築き上げるに至る。
NUSの起業家プログラムは日本でも実施できるのか
驚くべきことに、年間100名もの学生をこのプログラムを通して世界中に派遣している。信じられるだろうか。さすが、シンガポール政府が全面的に支援するシンガポール国立大学だけのことはある。驚くべき成果が出ていることは言うまでも無い。99.co、All deals asia、
Zopinn、Tencube、そして本連載第二回目でも採り上げたFunding societiesなどなど、注目される数多くのスタートアップがNUS Oversea Collegeの卒業生によって起ち上げられている。
Tedと話しているうちに、このスキームが日本でも機能するのか、という議論になった。日本人を仮にシリコンバレーのスタートアップに1年間働かせてみるということを想定してみたが、そのままモデルを実行するのは難しそうだ。まず、絶対的にそれに耐えうる英語力を持つ学生があまりいそうにない。エンジニア職ならまだしも、現地でクライアントとやりとりするビジネス職では、いわゆる上級英語では物足りなく、ネイティブ並の英語が必要だ。
社会人経験のない学生を受け入れるメリットが企業側になさそうだ。加えて、多様性溢れる環境への適応力も問題になるだろう……というトピックも出た。幼いころから色々な人種と一緒に教育を受けてきたシンガポール人は、例え異国の地でも、環境適応する(周りに溶け込む)スピードが速いという。均質的な社会で育った日本人はその点で苦労するだろう……ということだった。
意見が一致したことは、起業家を育成する一番の要素は、ギャップを創りだすこと、である点だ。今の自分と移動先で出会う人々との間で、ギャップを感じることである。スケールのでかさ、所得の差、技術の差、色々なギャップがあるが、このギャップを感受性豊かな内に経験することである。このギャップが、使命感であれ欲望であれコンプレックスであれ、モチベーションに転化する。ギャップは大きくて深ければ、それだけ大きなモチベーションを産み出すことは、どうやら一つキーとなる要素のようだ。日本の大学教育関係者は、今こそシンガポールの事例を参考にしてほしい。