- 2016年05月19日 10:59
20世紀後半の結婚観と若者気分って“異常”だったよね
2/2『なんとなくクリスタル』や“新人類”に象徴される80年代以降の若者文化は、おじさんやおばさんをダサいものとみなし、消費センスに敏感な若者=自分達を格好良いものとみなすものだった。その、格好良さを巡って、[新人類vsおたく][サブカルvsオタク]といった文化主導権争いもあったわけだが、とにかくも、雑誌やテレビを媒介物として若者を席巻していった価値観は「格好良くてトレンディな若者」を最良のロールモデルとし、たとえば子育てに時間や金銭を割く父親や母親、あるいは戦前世代のメインカルチャー的なものを格好悪いとみなすものだった。
この価値観に忠実に生きるためには、いつまでも若者でいなければならない。それも、ただ若いだけではダメで、トレンディな遊びに精通した、消費社会の寵児たらねばならないわけだ。もちろん、恋愛はこのトレンディな遊びのうちに含まれるが、結婚はNGである。結婚は遊びではないし、若者時代の終わりを象徴するように(当時の段階では)みえてしまう。トレンディでありたいなら、できるだけ結婚を遅らせるのが得策、と考える人が増えるのは当然だし*2、そうでなくても、若者的なライフスタイルをダラダラ延長する方便としては十分だろう。
2016年から振り返ると、このような若者史上主義的なカルチャーを流布し、初心なティーンに信じ込ませた人達はなかなか罪作りである。少子化問題の何割とまではいかなくても、何%かは彼らの活動に因ると言っても過言ではないように思える。感化しやすく、信じやすいお年頃の若者に、これまでの人生のロールモデルに代わる教えとして「いつまでもトレンディな若者でいるのが素晴らしい」と信じ込ませ、それでもって経済的・文化的アドバンテージを稼いでいたのだから。
もちろん彼らを責めれば良いというものでもない。20世紀の若者史上主義のなかには、戦前以来の旧弊に対するカウンターとしての意味も、少なくとも当初はあったのだから。だが、いつしかそうしたカウンターとしての意味合いが失われるとともに、若者文化は一種の自家中毒状態に陥り、若者をやめた後のロールモデルをみずから見失った。「ちょい悪オヤジ」「三十代女子」などといった言葉は、そうしたロールモデル喪失の末にひねり出された、苦し紛れのフレーズである。若者文化の自家中毒によって、年の取り方がわからなくなってしまったのである。
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・第三に挙げられる要因は、これらの変化が急激過ぎたことだ。
価値観の変化が緩やかなスピードで起こるなら、次の価値観への移行しやすくなる。ところが、この問題の渦中にあった世代(とその親世代)は、半世紀近く続いていた右肩上がりの時代の終焉に突然直面した。経済的衰退が緩やかであれば、価値観の変化やカルチュアルな変化も緩やかで構わなかったのかもしれないが、現実には、経済的衰退の速さに価値観の変化や文化的変化は追いつくことができなかった。悪いことに、彼らの親世代もまた右肩上がりな社会を前提とした「かくあるべき」を息子や娘に説き、価値観のギアチェンジの足を引っ張った。
リンク先でトイアンナさんが語るように、現在の二十代は「あと5年は遊びたい」「自由な時間が欲しい」から自由になっている。いや、そのような贅沢な価値観を維持するだけの猶予の無くなった今を生きている、と訂正すべきか。それにしても、20世紀的な価値観から目を覚ますのに、一体どれだけの時間と涙が流れたのだろう!
1970年代生まれは、まあわかる。だが、実際にはそれより更に若い世代も「いつまでも若者」的な価値観に束縛されていた。そういえば、『東京タラレバ娘』の主人公・倫子は33歳という設定だが、2014年にスタートした漫画で33歳ということは、だいたい1981年生まれである。バブル崩壊時に10歳、就職氷河期の厳しかった時期に18歳の倫子が、あのような20世紀臭い価値観に囚われているのは、興味深い、しかしリアルな設定である。
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「あと5年は遊んでいたい」は歴史資料集に載るかもしれない
こうやって思い起こすと、1970~80年代生まれにありがちな“あのころ”の結婚観は、いまや急速に時代遅れになりつつある、時代の徒花(あだばな)だったと言わざるを得ない。歴史のスケールで眺めると、こういった時代の徒花が成立するのは短く、珍しい一瞬でしかないので、後世の人達は「どうしてあんな価値観が流行っていたのだろう?」と訝しむことだろう。
ここで私が思い出すのは、歴史の資料集に必ず載っている、「どうだ、明るくなったろう」である。
大正時代の成金を風刺したこの絵は、当時を体験していない私達からみれば“異常”にみえる。しかし、その時代の風潮を今に伝えるものとして、長く記憶されている。
「あと5年は遊んでいたい」も、これと同じで、20世紀後半の、日本が経済的に熟れきっていた一時代を象徴するものとして語り継がれていくのではないだろうか。
金持ちのドラ息子が「あと5年は遊んでいたい」と言っているのではない。平均的な家庭の、特別な才能も収入源も持たない若者が「あと5年は遊んでいたい」などとズケズケ言って、未来に備えず、若者時代を謳歌するために時間とお金を費やしていられる一時代が、一体どこにどれだけあるというのか? しかし、あの時代の気分を呼吸していた人達は熱に浮かれ、それを“異常”なこととは認識していなかった。2016年の二十代、そして私達から眺めれば、栄華に驕った、向こう見ずなカーニバルだったと言わざるを得ない。
『東京タラレバ娘』の巻末には、「※収録されている内容は、作品の執筆年代・執筆された状況を考慮し、コミックス発売当時のまま掲載されています」と書かれている。これは、5年後、10年後の読者には気の利いた配慮だろう。倫子達のような旧い価値観に束縛されたアラサー“女子”は、これから先、どんどん減っていくのだから。
*1:あるいは自分の好きな趣味だけを
*2:後に、結婚して子育てをスタートしても、意識の高い親になることでトレンディ文化競争の延長戦を戦う戦術が広まっていったのだが、それはまた別のお話。
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- オタク精神科医がメディアや社会についての分析を語る



