- 2016年05月19日 10:59
20世紀後半の結婚観と若者気分って“異常”だったよね
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もしかして少子化問題って10年後には解決してるんじゃないの?非婚が進む30代と早婚志向な20代の溝 - トイアンナのぐだぐだ
リンク先を読んで、「ああ、結婚に対して呑気に構えていた、バブル~ロスジェネ世代の結婚観や若者気分がデタラメだったんだなー」と改めて痛感した。と同意に、それらが過去の遺物になりつつあるのは、さしあたって良いことだとも思った。
『東京タラレバ娘』5巻には、20世紀末の女性達が「あと5年は遊びたい」と話す場面があるが、リンク先のトイアンナさんは、これは現在の二十代からは共感されるものではないと解説している。
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この、「あと5年遊びたい」「結婚はもう少し後にして自由な時間を楽しみたい」、実際、私が二十代だった頃には巷に蔓延していた考え方だった。今にして思えば、なんと贅沢で、浅はかな考えだったのだろう!
彼らの、いや、私達の世代が語っていたところの「あと5年遊びたい」「自由な時間が欲しい」とは、人生経験を積みあげて三十代や四十代に繋いでいくためのモラトリアムではなかった。そうではなく、今の流行を追いかけ、恋愛を楽しみ、若者として望ましいライフスタイルを長続きさせることが「あと5年遊びたい」「自由な時間が欲しい」の内実だった。
あの頃の若者達は、人生の次のステージを見越して何かを準備・修養するために時間を欲していたのではない。おじさん・おばさんになる日を一日でも遅らせて、「若者としてイケている自分」を謳歌したいと願ってトレンディな日々を*1追い求めていたわけだ。
言い換えると、あの、タラレバ娘に出てくるような20世紀後半にありがちな人々は、目前の若者生活しか眼中にない人生観を生きていた、とも言える。いや、人生を人生と認識してすらいなかったのではないか? いつまでも若者でいたい・若者でいられるという思い込みは、人生観と呼ぶのはあまりにも軽薄だ。
いつかは若者時代も終わり、若者の次には中年期が、中年期の次には老年期がやって来る。ところが、厳然たる事実から、なぜか、当時の若者と若者文化は目を逸らし続けていた。リンク先でも書かれているとおり、これは、他の世代からは信じがたく、共感しがたい現象とうつるだろう。 時代の徒花としての「いつまでも若者」
そんなデタラメが時代の気分となって充満していたのは一体なぜだったのか?
・第一に挙げられる要因は、日本が経済的に豊かだったからだ。
バブル景気の頃はもとより、それ以前のオイルショック後の一時代やバブル崩壊後しばらくも、なんやかや言っても衰微の兆候はまだまだ少なかった。貧困が絶無だったわけではないが、なんやかや言ってもこの頃の日本人は人口ボーナスの恩恵に与っていて、“一億総中流”という言葉が語られ、自分達の経済状況に呑気に構えていられた。正社員になるのが夢ではなく、正社員になるのがダサいと語られていたこの時代、医療費自己負担の割合は現在よりも少なかったし、社会全体の医療費もずっと小さかった。老後の費用や少子化の影響を真面目に心配していたのは、極一部の人々だけだった。
史上類を見ないほど庶民階級にまでカネが行き渡り、老後の貯蓄を心配しなければならない家庭も少なければ、そのぶん、若者がカネを使って遊び回る風潮に社会は寛容になれたろうし、若者自身、稼いだカネを片端からスポーツカーやグルメに突っ込むことができた。いざとなったら親のすねをかじることだってできる。
だが、今はそうではない。
もしかして少子化問題って10年後には解決してるんじゃないの?非婚が進む30代と早婚志向な20代の溝 - トイアンナのぐだぐだ親が金持ってればパラサイトすれば生きていける、でも親も貧乏だと結婚するしかない。団塊jrは親が裕福だったが、今の20代は親も貧乏になってるんだよ。
2016/05/18 20:30
このブックマークコメントがよく言い表しているように、もう、子どもにすねをかじらせられる親は少ない。1990年代の大学生への仕送り金額と現在のソレとを比較すれば、それがよくわかる。経済的豊かさは、大半の若者からは失われてしまった。
- シロクマ(はてなid;p_shirokuma)
- オタク精神科医がメディアや社会についての分析を語る



