- 2016年05月16日 11:00
孫正義の投資判断「成功確率9割」はもう手遅れ
数々の修羅場をくぐり抜けてきた名経営者たち。自らの生き様を語った言葉から、これからの人生の指針を打ち立てるヒントを得る。
リスク3割以下で攻守のバランス
ソフトバンクという会社には、常に成長・拡大しているイメージがある。創業以来一貫して「情報革命を通じた人類と社会への貢献」を標榜しながら、積極的な新規事業への参入、思い切った企業買収を立て続けに行ってきた。その意味で創業社長の孫正義は実業家と投資家の2つの顔を持っている。
では孫は、どのような条件とタイミングで決断するのか――。ジャパン・フラッグシップ・プロジェクト社長兼CEOの三木雄信は“7対3の法則”を挙げる。三木は1998年、孫の秘書としてソフトバンクに入社。右腕として一時も孫から離れず、その謦咳に接してきた人物だ。
そこで孫が投資に当たっていつも口にしていたのが、「5割の確率でやるのは愚か。9割の成功率が見込めるようなものはもう手遅れだ。7割の成功率が予見できれば投資すべきだ」である。三木に孫の意を解説してもらうと、次のようになる。
成功率が半々というのは、事業化そのものが時期尚早の可能性があり、失敗という最悪の事態に陥りかねない。だからといって9割の成功率だと、すでに誰かが同じことを考えている恐れが十分にある。結局、そうしたことを考えると、勝負を仕掛けるのは、成功率7割が確信できたときが望ましい。
「裏を返せば、3割超リスクを取らないということ。ソフトバンクは“リスクテイカー”と思われがちだが、実は違う。孫社長は、その投資に失敗して撤退・清算をすることになっても、グループ全体の事業価値の3割を超える損失が出ないようにしている」(三木)
この“攻めと守り”のバランス感覚が孫の決断の凄さだと三木は見ている。いわゆる“勝負勘”とか“投資勘”だけで決断しているわけではない。孫は、事前の適切な情報収集と幅広い資金調達という“裏付け”が揃ったうえで慎重に投資を行っているのだ。
95年にヤフーに出資した際、孫は「地図とコンパスがあれば、さっと宝を見つけて1日で帰れるわけですね」ともいっている。その直前にアメリカの展示会運営会社のコムデックスとコンピュータ関連出版社のジフ・デービスを買収しており、この2社がそれぞれ「地図」と「コンパス」の役割を果たした。
「展示会や雑誌にはIT業界の最新情報が集まってくる。孫社長はそこからヤフーの面白さに気づき、出資を決めている。初期の成功例として語り継がれているが、こうした方法が投資リスクの最小化へつながっているわけだ」(同)
このとき孫は、今後のIT業界はインターネットが主流になることと、そのなかでヤフーが重要なプレーヤーになることを予見。だから100億円も投じたのだ。この結果、アメリカにおけるヤフーの上場とそれに伴う株式売却益の獲得、日本におけるヤフー・ジャパンの成功につながっている。
孫の会議は深夜でも呼び出し
また、将来のビジョンから逆算して、いま何をすべきかを考えるのも“孫流”の意思決定の方法だ。2001年にソフトバンクがブロードバンド事業に参入する際は、いきなり「モデムを100万台発注する!」と決断した。
「当時のブロードバンド市場規模は小さく、利用料金も高額だった。その理由の一つが加入者の自宅に設置するモデムの価格が高かったこと。そこで、孫社長は『発注台数を100万台にすれば、大量生産効果でモデムの価格が10分の1に下がる。そうすれば、みんなが使える』と考えた。私を含めて周囲の者は猛反対したのだが、いま振り返ると、実際にそうなっている」(同)
実は三木がこの事業に携わっていた時分、社内会議は深夜におよぶことが多かった。そこでは、孫がホワイトボードに数字や図を書き、それをもとに全員で議論していく。正確な情報を掴むために、出席したメンバーだけで用が足りなければスピーカーフォンで別の場所にいる人間につなぐ。時間や場所は一切お構いなしだ。このタフネスさとスピード感がソフトバンクの強みなのである。三木も数え切れないくらい呼び出された。正月元旦に孫の自宅まで出かけて、その年の経営方針を話し合ったこともある。そして結論が出れば、孫は「いますぐ大至急」と、すみやかな実行を指示する。
「いつも怒られっぱなしで、褒めてもらったという記憶はほとんどない。しかし、在職期間中、重要な会議には必ず呼ばれていた。孫社長は私を言葉で褒めるのではなく、会議に呼ぶという形で示してくれたのではないかと思う。事実、毎回のように呼ばれる人間は出世していったのだから」(同)
当然、孫自身もハードワークを余儀なくされる。けれども、いつも泰然自若としている。13年に米国の携帯電話会社スプリント・ネクステル・コーポレーションへの約1.8兆円の投資を決める際中には「坂道は、いかに苦しくても登っている時が一番楽しい」とツイッターでつぶやいた。
求められる責任を取るトップ
同じくスプリント買収で話題になったのが「髪の毛が後退しているのではない、私が前進しているのである」という孫のツイートである。孫の風貌からすれば、やや自虐的ギャグといえなくもないが、この言葉は自身の“ベンチャースピリッツ”を鼓舞したものだと三木は指摘する。
「日本の会社は売上高が何兆円規模ともなると、それを5~10年で倍にしようとはしない。『年間数%の成長でいい』としてしまう。ソフトバンクは大企業になってもベンチャー精神は忘れない。孫社長も年を取って髪の毛が薄くなってきているが、さらに前進していくという意気込みを語っているのだ」
高度経済成長期の日本企業もそうだった。終身雇用、年功序列を建前とする日本的経営に守られながら、トップやミドルは果敢にリスクを取り、新分野にチャレンジをしていた。三木がソフトバンクに入る前に3年間在籍した三菱地所もそうだった。直属の部長は、入社2年目の彼に「丸の内活性化プロジェクト」を任せた。それが現在の「丸の内カフェ」につながった。
「経営の現場から、そんな人物が消えて久しい。孫社長のようなトップの姿勢が、閉塞感が漂う日本の企業には求められていると思う」(同)
(敬称略)
孫正義の歩み【1957年】佐賀県鳥栖市に生まれる
【1973年】 久留米大学附設高等学校入学、秋に中退
【1974年】 単身渡米
【1977年】 一時帰国して電子翻訳機を営業。シャープ専務の佐々木正氏から計1億円の資金を得る
【1980年】 米カリフォルニア大学バークレー校経済学部を卒業
【1981年】 日本ソフトバンク設立
【1983年】 慢性肝炎で入院(3年半ほど入退院を繰り返す)
【1996年】 Yahoo! JAPANを設立
【1998年】 株式を東証1部へ上場
【2000年】 米ナスダックと提携してナスダックジャパン(現・ヘラクレス)を設立
【2001年】 Yahoo! BBをスタート(モデム100万台発注で周囲猛反対)
【2006年】 ボーダフォン日本法人を買収
【2008年】 アップルiPhone3Gを国内独占販売
【2012年】 イー・アクセスを買収
【2013年】 スプリント・ネクステル・コーポレーションを買収
三木雄信
1972年、福岡県生まれ。98年にソフトバンクに入社。2000年に社長室長に就任、数々の買収案件に携わる。06年にジャパン・フラッグシップ・プロジェクトを設立し、社長兼CEOを務める。
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