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イギリスの左派がヘイトスピーチに走る理由

今日の横浜北部は快晴でした。夕方になってけっこう気温が下がったような気がしました。

さて、久々にブログを更新です。

パナマ文書の内容が一部公開されたり、オバマ大統領の広島訪問が決定したりと、国際的なニュースにおいては気になる話題が多いですが、今回は前回の放送(http://ch.nicovideo.jp/strategy2/live)でも触れた、イギリスの左派のユダヤ問題について少し。

この話の元ネタは、ニューヨーク・タイムズ紙のコラム欄に掲載された意見記事なのですが、そこで紹介されていた意見が、戦略論的にもなかなか考えさせてくれる内容だったので放送でもとりあげたというわけです。

すでにご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、つい先日行われたイギリスの市長選で、欧州の主要都市としては初の、イスラム系の市長(サディク・カーン氏)が誕生しました。

これは極めて画期的なことであり、国際的にも大きな話題になったところは記憶に新しいところですが、一般的には移民によって変わりつつあるイギリス社会の姿を象徴した出来事という見方や、イギリスという国のリベラル的な寛容性を示したものとして紹介されておりました。

ところがその一方で、放送でもとりあげたニューヨーク・タイムズの意見記事では、イギリスの左派を代表する労働党の中に、深刻な反ユダヤ主義(anti-semitism)が広がっている実態が紹介されております。

「え?左派って人種差別には厳しいんじゃなかったっけ?」

とお感じになった方もいらっしゃるかもしれませんが、それは実は正しい感覚です。

というのも、伝統的に「左派」というのは、人権のような「普遍的価値」(universal value)や「平等主義」(egalitalianism)を目指す、リベラルで寛容さを主張する考えを持つ人々のことを指すわけです。

彼らの「敵」は、特権階級のもたらす不平等や不公平であり、だからこそ一般的な労働者の立場にたって、人種差別のないリベラルな社会を政策で実現していこうと考えるわけです。

イギリスの労働党というのは、まさにこのような思想に立って活動をしている二大政党の一つであるわけですが、ニューヨーク・タイムズ紙のコラムで紹介されていたのは、この労働党の実力者たちの間に最近「反ユダヤ主義」的な失言があったということ。

具体的には、イングランド北部のブラッドフォード地区選出のナシーム・シャー労働党所属議員の「イスラエルを国ごとアメリカに移してしまえ」という失言や、ケン・リヴィングストン前ロンドン市長が「ヒトラーは30年代までユダヤ人国家建設を目指すシオニスト運動を支援していた」という誤った歴史認識を披露したというものです。

「左派って、ナチスがやったような反ユダヤ主義には厳しいはずじゃ・・・」

という感想はまさにその通りでして、左派のリベラルというのは、本来このような人種差別を、「人権」や「平等」という概念を掲げながら徹底的に攻撃する役割を持っていたのです。

ところが最近、このような状況に異変が起こりました。

そしてその異変の原因は、労働党を始めとする左派のリベラルが進めてきた寛容(であったはずの)の移民政策にあります。

何度もいいますが、左派のリベラルの信奉する概念は、人権や平等、そして寛容な精神。

ところがその精神を拡大して、自分の国に移民を受け容れ、しかも寛容に扱っていたら、撲滅すべき「反ユダヤ主義」という人種差別が復活してしまったということなのです。

もちろんその原因は、リベラルの人々が同時に推し進めていた「多文化主義」という政策。

これは確かに「他の文化も認める」という意味で「寛容さ」を拡大したものとなるわけですが、イギリス(というか西欧全般)の場合、多数のイスラム系の移民が入り、彼らの文化にも寛容になった結果、彼らの(ごく一部でしょうが)過激な思想も野放しになってしまった、ということなのです。

その一つが、本来の左派のリベラルが忌み嫌っている「反ユダヤ主義」のような人種差別的思想。

イスラム系の人々は、パレスチナ難民に同情する反イスラエルの人々が多いので、必然的に彼らの反ユダヤ主義が、逆にリベラルな西洋の国家の中で野放しにされて拡大してしまった、ということなのです。

これはまさにルトワックの戦略論の核心にある「逆説的論理」(パラドキシカル・ロジック)に近いものです。

どういうことかというと、リベラルの人々は「寛容さ」を目指すがゆえに、「非寛容」な思想を持った人々を受け容れざるを得なくなってしまったということなのです。

もちろん目指していることが正反対の結果をもたらすことはよくありますが、イギリスの「反ユダヤ主義の撲滅を目指していたら、かえって反ユダヤ主義が蔓延してしまった」というのは、なんとも皮肉な現象であります。

今回ご紹介した例はかなり極端な例と言えるのかもしれませんが、これは何も国際政治や国内政治だけでなく、われわれ個人のレベルにも当てはまることではないでしょうか?

人間の生活には多かれ少なかれ、このような皮肉な結果をもたらす「逆説的論理」が働いていると想定してみれば、われわれが「表向きの短期的な問題の解決」ではなく、本質的なところまで見据えた「根本的な問題解決の方法」を考える際の、大きなヒントになるのではないでしょうか?リンク先を見る
(駅前の風景)

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