記事
- 2016年05月07日 15:25
被災地と被災地外との温度差に苦しむあなたへ
家を失い、仕事も失い、家族も失い今もなお体育館での厳しい避難生活を強いられている人がいるのに一歩、被災地から離れるとそこは別世界。
被災地、被災者の苦しみはまるで無関心。すぐそこにこんなに大変な思いをしている人がいるのにくだらないことに興じくだらないことを楽しみそんなくだらない日常をフェイスブックやらブログやらで垂れ流している。
許せない!こんな苦しい思いをしている人がいるというのに。
そんな風に思っているあなた。そんなに憤ったり怒ったり感情的になったりしなくてもいいのですよ。
被災地という場所は日常とはまるで違う。あなたは今、あり得ない非日常世界の中を生きている。
被災地にはマスコミ美談だけでは片付けられない人間の醜さや憎しみや悲しみや怒りなどが充満していてそこが「日常」となってしまったあなたは心のバランスを崩してしまっている。
被災地にのみこまれて自分自身や正常な心を失いかけている。
苦しんでいる被災地を日常的に見ているあなたにとって遊びほうけているような被災地外の日常が許せないと思うのは当然でしょう。
でもそんな被災地外の日常がなければすべてがダメになってしまう。無関心で遊びほうけているような人でも被災地に支援の手を差し伸べていたかもしれない。現地に行かなくても物資やお金を送っているかもしれない。
直接的な被災地支援をしていなかったとしても被災地外の人たちが日常している仕事が間接的に被災地の役に立っているかもしれない。被災地を支援してくれている人たちの支えになっているかもしれない。仕事をしていなかったとしても被災地外の人が「消費」することで誰かの商売が繁盛しそのおかげで経済が回りそれがめぐりめぐって被災地支援のお金になっているかもしれない。
目の前に家を失った人たちが何人もいて苦しんでいる中被災地外ののんきな日常は許せないと思うかもしれないけれどそんなのんきな日常がなく「不謹慎」「自粛」という名のもと被災地外でも沈み込んだ雰囲気になってしまったら被災地への支援も間違いなく減るだろう。めぐりめぐって経済が悪化し支援する人もお金も物資も減ってしまうだろう。
温度差があってもそれは仕方がない。あなたが今、温度差に苦しんでいるようにかつてのあなたも他の地域で起きた災害時に被災者から「のんきな日常を垂れ流す許せない輩」と思われていたかもしれない。
でもそれは悪くない。あなたにはその時あなたなりの日常があり精一杯あなたの人生を生き余力があれば被災地に何らかの形で支援をしていたかもしれないのだから。
被災地という日常が当たり前になると時に無力感を覚えるかもしれない。圧倒されるほどの被害や難題、課題に対し私なんかが手伝っても何の解決にもならないのではないかと。
そんなことはない。それは驕りというもの。甚大な自然災害に際し一人一人ができることなんてそうたいしたことはない。
もちろんすごいパワーで支援をしている人もいるかもしれないけど他人は他人、自分は自分。
「私より大変な被災者がいる」「私より被害を受けた被災地がいる」その一心から過度に自分の生活を犠牲に自分の心に余裕がないまま被災地支援を続けているとあなたの心は壊れてしまい活動は継続できなくなってしまう。
あまり入れ込み過ぎないこと。他人は他人、自分は自分と割り切ること。まずは自分の心身のバランスをきっちり整えること。
あなたが憤っていたり悲しんでいたり怒っていたりしたら何もできなくなってしまう。
自然災害を目の前に人は無力だ。でも無力かもしれないけど微力ながらできることはある。微力でしたことを過小評価する必要はない。あなたがあなた自身を犠牲にしながら支援をするのは健全ではない。それは長期的な目で見ればあなたのためにも被災地のためにもならない。
まずは自分の心の平静を取り戻した上で事実を淡々とみつめてできることとできないことを峻別し自分の生活や家族を大切にした上でできることをすればいい。
被災地とどうかかわるか他人を気にする必要はない。自分は自分であって人は人。
だから被災地外の日常に憤りを感じていたらあなたの心の危険のサイン。
被災地にのみこまれてはならない。過度に同情するのではなく自分の心をしっかり持ち自分自身が心のゆとりを持ちながら被災地とかかわること。
GWが終わったら温度差はさらに拡大するだろう。でもそれはそれ。
助けが必要ならネットで発信して助けを求めればいい。感情的にならず何が必要かをきっちり見分け客観的な事実を伝えるよう心掛けること。
そして自分の生活も大切に。自分の心も第一に。時にはゆっくり休んで。
被災地の復興は時間がかかる。今日明日の問題だけでなく年単位で考えなければならないこと。
だから今、感情的にキッーとなって心を乱してあなたが倒れてしまうのは得策ではない。
自分を守れない人間に他人は守れない。
まずは自分の心を癒してから被災地にかかわったらいい。
被災地、被災者の苦しみはまるで無関心。すぐそこにこんなに大変な思いをしている人がいるのにくだらないことに興じくだらないことを楽しみそんなくだらない日常をフェイスブックやらブログやらで垂れ流している。
許せない!こんな苦しい思いをしている人がいるというのに。
そんな風に思っているあなた。そんなに憤ったり怒ったり感情的になったりしなくてもいいのですよ。
被災地という場所は日常とはまるで違う。あなたは今、あり得ない非日常世界の中を生きている。
被災地にはマスコミ美談だけでは片付けられない人間の醜さや憎しみや悲しみや怒りなどが充満していてそこが「日常」となってしまったあなたは心のバランスを崩してしまっている。
被災地にのみこまれて自分自身や正常な心を失いかけている。
苦しんでいる被災地を日常的に見ているあなたにとって遊びほうけているような被災地外の日常が許せないと思うのは当然でしょう。
でもそんな被災地外の日常がなければすべてがダメになってしまう。無関心で遊びほうけているような人でも被災地に支援の手を差し伸べていたかもしれない。現地に行かなくても物資やお金を送っているかもしれない。
直接的な被災地支援をしていなかったとしても被災地外の人たちが日常している仕事が間接的に被災地の役に立っているかもしれない。被災地を支援してくれている人たちの支えになっているかもしれない。仕事をしていなかったとしても被災地外の人が「消費」することで誰かの商売が繁盛しそのおかげで経済が回りそれがめぐりめぐって被災地支援のお金になっているかもしれない。
目の前に家を失った人たちが何人もいて苦しんでいる中被災地外ののんきな日常は許せないと思うかもしれないけれどそんなのんきな日常がなく「不謹慎」「自粛」という名のもと被災地外でも沈み込んだ雰囲気になってしまったら被災地への支援も間違いなく減るだろう。めぐりめぐって経済が悪化し支援する人もお金も物資も減ってしまうだろう。
温度差があってもそれは仕方がない。あなたが今、温度差に苦しんでいるようにかつてのあなたも他の地域で起きた災害時に被災者から「のんきな日常を垂れ流す許せない輩」と思われていたかもしれない。
でもそれは悪くない。あなたにはその時あなたなりの日常があり精一杯あなたの人生を生き余力があれば被災地に何らかの形で支援をしていたかもしれないのだから。
被災地という日常が当たり前になると時に無力感を覚えるかもしれない。圧倒されるほどの被害や難題、課題に対し私なんかが手伝っても何の解決にもならないのではないかと。
そんなことはない。それは驕りというもの。甚大な自然災害に際し一人一人ができることなんてそうたいしたことはない。
もちろんすごいパワーで支援をしている人もいるかもしれないけど他人は他人、自分は自分。
「私より大変な被災者がいる」「私より被害を受けた被災地がいる」その一心から過度に自分の生活を犠牲に自分の心に余裕がないまま被災地支援を続けているとあなたの心は壊れてしまい活動は継続できなくなってしまう。
あまり入れ込み過ぎないこと。他人は他人、自分は自分と割り切ること。まずは自分の心身のバランスをきっちり整えること。
あなたが憤っていたり悲しんでいたり怒っていたりしたら何もできなくなってしまう。
自然災害を目の前に人は無力だ。でも無力かもしれないけど微力ながらできることはある。微力でしたことを過小評価する必要はない。あなたがあなた自身を犠牲にしながら支援をするのは健全ではない。それは長期的な目で見ればあなたのためにも被災地のためにもならない。
まずは自分の心の平静を取り戻した上で事実を淡々とみつめてできることとできないことを峻別し自分の生活や家族を大切にした上でできることをすればいい。
被災地とどうかかわるか他人を気にする必要はない。自分は自分であって人は人。
だから被災地外の日常に憤りを感じていたらあなたの心の危険のサイン。
被災地にのみこまれてはならない。過度に同情するのではなく自分の心をしっかり持ち自分自身が心のゆとりを持ちながら被災地とかかわること。
GWが終わったら温度差はさらに拡大するだろう。でもそれはそれ。
助けが必要ならネットで発信して助けを求めればいい。感情的にならず何が必要かをきっちり見分け客観的な事実を伝えるよう心掛けること。
そして自分の生活も大切に。自分の心も第一に。時にはゆっくり休んで。
被災地の復興は時間がかかる。今日明日の問題だけでなく年単位で考えなければならないこと。
だから今、感情的にキッーとなって心を乱してあなたが倒れてしまうのは得策ではない。
自分を守れない人間に他人は守れない。
まずは自分の心を癒してから被災地にかかわったらいい。



